週末の朝は一週間のニュースを振り返る解説番組が目白押しで、各局、ユニークなコメンテイターを出演させて特色を出すのに躍起のようです。私も、新聞(しかも経済紙)ではどうしても取りこぼしがあるので、実は、毎週末、楽しみにしています。なんだか一億総評論家の如く、好き勝手言っているのが可笑しくもあり、また必ずしも専門家ではない人までもが専門家面して語るのがちょっと奇妙な光景でもあります。
さて先週末、一番印象に残ったニュースは、オバマ大統領が来日した際に天皇・皇后両陛下に深々とお辞儀した姿勢が米国で物議を醸していることでした。オバマ大統領にとって、4月にロンドンで開催された主要20ヶ国・地域(G20)首脳会議でサウジアラビアのアブドラ・ビン・アブドルアジズ国王にお辞儀をしたことに続いて、二度目の“事件”です。確かに握手する欧米文化では相手の目を見るのが礼儀であって、逆に握手の時にアイコンタクトを避けるのは失礼にあたり、深々とお辞儀すること自体が異例で、頭を下げることは文字通り低姿勢と受け止められて異様に映るのは事実で、元首同士の間で外交儀典上不適切であるという批判は分からなくもありませんが、卑屈でアメリカを貶めるものという非難まで出るに至ると、やや過剰反応ではないかと思ってしまいます。郷に入っては郷に従え。もとより私たち日本人には違和感はありませんし、礼節を知る態度として好ましく映りました(強いて言えば、背が高いオバマ大統領が窮屈そうには見えましたが)。
たまたま今、「ペリー提督日本遠征日記」なるものを読んでいて、当時のアメリカ人が当時の日本ならびに日本人をどう見ていたかに注目しているのですが、歴史の授業で砲艦外交だとか恫喝外交と総括されていたのは、やや表面的に過ぎるのかも知れず、むしろ、よく知らない相手に対して毅然とした態度を取ろうとする余り、自分たちのルールに固執しそれを押し付けようとしたキライがあるといった程度ではなかったかと思います。勿論、キリスト教によって教化されていない日本を未開の地と見なす差別意識が根底にあったことは間違いありませんが、日本のことを侮れない相手と見ていたこともまた厳然たる事実のようであり、蒸気船という技術力で圧倒的優位にあったほど、心理的に差があったかとなると、やや疑問のように感じました。当時、アメリカは若かったし、日本も若かった。
そうは言っても、150年を経た今も、アメリカ人は変わらないものだとも思います。いつ如何なる時も、自分たちこそ世界標準であり、そのやり方やルールを押し付けようとするのは、ヨーロッパの派生文化、周辺文化としての生い立ちが影響しているのかもしれません。圧倒的に力の差があって優位にある時には、もっと余裕のある態度を取るのかも知れませんが、そうではない時こそ、やや空威張りしてしまう。逆に言うと、今回のオバマ大統領のお辞儀に対するアメリカ国民(特に保守派)の狭量な反応は、この程度のことにと言ってしまえばそれまでですが、まさにアメリカが、今、自信喪失している証拠ではないかと思いました。
日米関係は、鳩山さんや民主党だからというばかりでなく、難しい微妙な時代を迎えていると言えるかも知れません。
上の写真は、ご存知オーストラリア・シドニー。アメリカと並ぶ典型的な移民社会です。これから国としてどんな展開を見せるのか興味深い。
さて先週末、一番印象に残ったニュースは、オバマ大統領が来日した際に天皇・皇后両陛下に深々とお辞儀した姿勢が米国で物議を醸していることでした。オバマ大統領にとって、4月にロンドンで開催された主要20ヶ国・地域(G20)首脳会議でサウジアラビアのアブドラ・ビン・アブドルアジズ国王にお辞儀をしたことに続いて、二度目の“事件”です。確かに握手する欧米文化では相手の目を見るのが礼儀であって、逆に握手の時にアイコンタクトを避けるのは失礼にあたり、深々とお辞儀すること自体が異例で、頭を下げることは文字通り低姿勢と受け止められて異様に映るのは事実で、元首同士の間で外交儀典上不適切であるという批判は分からなくもありませんが、卑屈でアメリカを貶めるものという非難まで出るに至ると、やや過剰反応ではないかと思ってしまいます。郷に入っては郷に従え。もとより私たち日本人には違和感はありませんし、礼節を知る態度として好ましく映りました(強いて言えば、背が高いオバマ大統領が窮屈そうには見えましたが)。
たまたま今、「ペリー提督日本遠征日記」なるものを読んでいて、当時のアメリカ人が当時の日本ならびに日本人をどう見ていたかに注目しているのですが、歴史の授業で砲艦外交だとか恫喝外交と総括されていたのは、やや表面的に過ぎるのかも知れず、むしろ、よく知らない相手に対して毅然とした態度を取ろうとする余り、自分たちのルールに固執しそれを押し付けようとしたキライがあるといった程度ではなかったかと思います。勿論、キリスト教によって教化されていない日本を未開の地と見なす差別意識が根底にあったことは間違いありませんが、日本のことを侮れない相手と見ていたこともまた厳然たる事実のようであり、蒸気船という技術力で圧倒的優位にあったほど、心理的に差があったかとなると、やや疑問のように感じました。当時、アメリカは若かったし、日本も若かった。
そうは言っても、150年を経た今も、アメリカ人は変わらないものだとも思います。いつ如何なる時も、自分たちこそ世界標準であり、そのやり方やルールを押し付けようとするのは、ヨーロッパの派生文化、周辺文化としての生い立ちが影響しているのかもしれません。圧倒的に力の差があって優位にある時には、もっと余裕のある態度を取るのかも知れませんが、そうではない時こそ、やや空威張りしてしまう。逆に言うと、今回のオバマ大統領のお辞儀に対するアメリカ国民(特に保守派)の狭量な反応は、この程度のことにと言ってしまえばそれまでですが、まさにアメリカが、今、自信喪失している証拠ではないかと思いました。
日米関係は、鳩山さんや民主党だからというばかりでなく、難しい微妙な時代を迎えていると言えるかも知れません。
上の写真は、ご存知オーストラリア・シドニー。アメリカと並ぶ典型的な移民社会です。これから国としてどんな展開を見せるのか興味深い。
これだけの分量をこれだけの頻度で書き続けるのは大変ですね。