オリンピックが17日間の熱戦を終えて閉幕した。人間の肉体の限界に挑み、勝って涙、負けて涙の選手たちの躍動にもらい泣きした単純な私は、目も鼻もずぶずぶになりながら、せせこましい日常で濁った魂が多少なりとも浄化されたかのような爽快感を覚えたものだ。しかし終わった今となっては、まだ暑い日が続くというのに、心に秋風が吹き抜けるかのような一抹の寂しさを覚える。メダル獲得の有無にかかわらず、選ばれて参加された選手の皆さんに感謝の気持ちがあるのみである。
今回は、100年ぶりにフランス・パリでの開催となった。「史上最もサステナブルな大会」を謳い、温室効果ガス排出量を従来の大会から半減させる意欲的な目標を掲げた。なるべく既存の施設を使うなど、理念には大いに賛同するが、あのセーヌ川でトライアスロンを実施するとは思わなかったし、100年前のパリ五輪で初めて導入されたという選手村システムに皺寄せが行き、選手には頗る評判がよろしくなかったようだ。まず、食事は植物由来のものが多く、まるでビーガン食のようだと話題になった。地産地消にこだわり、卵、肉、牛乳はすべてフランス産というのは理解するが、動物性たんぱく質を摂れる食品、端的に肉が少なく、これじゃあ元気が出ないと、栄養バランスに悩む選手が多かったようだ。また、部屋にエアコンが設置されていないことも話題になった。涼を取る手段は一台の扇風機と地下水を利用した床下冷房のみで、大会期間中のパリは朝こそ涼しいものの、日中は30度を超える日が多く、エアコン慣れした先進国の選手にはさぞ凌ぎ辛かったことだろう。簡易なエアコンを設置した国もあったらしい。
高い理念を掲げ、誇り高く行動するフランスらしいと私は思う。
かつてフランス革命を、ドーバー海峡を挟んだ対岸から眺めていた、保守主義の父エドマンド・バークは、急進主義の危うさに警鐘を鳴らした。それはイギリス経験主義と対比的に語られる大陸合理主義の哲学の祖デカルトを生んだフランスで、論理に溺れ熱狂する人々の危うさでもある。今般のオリンピックに無理矢理、結びつける必然性はないのだが、再生可能エネルギーへの傾斜が、ロシアのウクライナ侵攻で冷や水を浴びせられたように、過ぎたるは及ばざるが如し、理想と現実と、どちらか一方に偏るのは危険で、バランスが大事だと思っているに過ぎない。
いや、そんな邪推より、単に他国の選手の体調を崩す遠謀深慮だったかもしれないと言った方が、此度のオリンピックでは説得力があるかもしれない(笑)
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