中国の民主活動家でノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏が13日、多臓器不全のため亡くなった。享年61。
6月末に、末期の肝臓がんと診断されて、突如、遼寧省錦州市の監獄から病院への仮出所が認められたことで、世界に衝撃とともに疑惑が走った。不作為の謀殺ではなかったか、と。実は昨年と今年2月の2度にわたって肝臓部CTスキャン検査を受けていたらしいが、その結果については公表されても、本人および家族に伝えられてもいないという。今年6月初めに本人が腹痛を訴え、遼寧省錦州監獄から瀋陽の病院に送られて、やっと肝臓がん末期と診断されたというが、これは遼寧監獄管理当局の公式発表であって、実際には5月23日に肝臓がん末期の診断が下され、監獄の外の病院での治療が認められ、国内の専門医が招集されて既に集中治療が開始されていたともいう。2015年の709事件(7月9日から始まった中国の人権派弁護士ら300人以上の一斉拘束・逮捕)では、拘束された弁護士たちが、明らかに怪しい薬を無理やり投与されたという証言が出ているから、疑惑は深まるばかりだ。やっていることは所詮、北朝鮮と変わらないではないか・・・
それはともかく、本人と妻の劉霞さんは国外での治療を希望し、実際に米国、ドイツ、フランスなどが劉氏らの受け入れ姿勢を示していたが、中国当局は病状悪化を理由に最後まで移送を拒んだ。NHK海外放送で劉氏の容体を伝えるニュースが流れると、画面が真っ黒になり、音声も聞こえなくなったらしい(いつものことだが)。中国のSNSでは劉氏の名前を検索しても「関係する法律法規と政策」を理由に結果が表示されず、亡くなってからは追悼の書き込みも次々削除されているらしい。中国外務省の報道官は、劉暁波氏の死亡を受け、各国から中国政府の対応に批判が相次いでいることについて、「内政問題であり、外国は不適切な意見を表明する立場にない」との談話を発表し、強い不快感を示した。
そして今日、劉暁波氏の遺灰は「海葬」で海に撒かれたことが明らかとなった。劉暁波氏の親族は、自宅がある北京の墓に埋葬されることを希望していたが、当局は墓が民主化要求運動の拠点になることを警戒して海葬に同意するよう強いた可能性があると報じられている。他方、当局は劉暁波氏の支持者らを相次いで軟禁状態に置いていることも伝えられ、こうした当局の警戒は初七日の期間続くだろうと言われている。今秋に5年に1度の中国共産党大会を控える習近平指導部は統制を強めており、批判の押さえ込みに躍起のようだ。
・・・とまあ、中国当局の対応が異様なのは、今さら言うまでもないことだが、いろいろな関連記事を読む中で、G20で、ドイツ首相のメルケル首相だけが習近平国家主席との会談で劉暁波氏の受け入れ治療を表明したが、地理的に中国に一番近い日本が、何故、積極的に治療受け入れの名乗りを挙げなかったのかと問題提起されていた(福島香織さん)のが引っ掛かった。
確かにこれまで日本は、人権外交は欧米に譲り、人道的な問題で世界に向けて発言することもなかった。つい最近も、世界で唯一の被爆国でありながら、核兵器廃絶に賛成票を投じられなかったことに歯がゆい思いをされた方も多かっただろう。戦後70年、憲法9条を盾に、戦争で日本人の血を流さなかったことは自慢されてもよいが、それも、今なお冷戦状況が続く不安定な北東アジア地域にあって、アメリカの半ば属国として核の傘に守られているのが安全保障上の現実だからである。中・韓との間で歴史認識を問う問題では、事実かどうかを離れて、情報戦なり世論戦で完敗状態だからである。そのため、今さら(戦時中の侵略性や性差別を措いておいて)中国や韓国に向かって偉そうなことが言えるのか、などと言い返されるに決まっている。下手すりゃ報復措置を受けかねない。島国の外交下手や、その昔、男は黙ってサッポロビールなどといったTVコマーシャルがあったように、潔さをよしとする国民性は、明らかにプロパガンダと分かる中国や韓国の主張に明確に反論をしないまま、ウソが現実であるかのような雰囲気を、少なくとも当事者間では作ってしまった。日本を国連安保理常任理事国入りさせない、ひいてはアジアの盟主は中国だけという、華夷秩序観に今なお支配された中国の策略にまんまと嵌ってしまっている。
国境なき記者団による「報道の自由ランキング」は、調査方法に問題があって、180ヶ国中72位(前年61位)と低迷しているが(因みに「インターネットの自由度ランキング」なるものもあって、こちらは世界7位らしい)、戦後日本の言論空間を歪めているとすれば、安倍一強の政府の直接的な圧力というより、GHQ施政下の言論統制とそれに続く自民党政権の外交敗戦により、間接的にお隣の大国の侵略(情報戦であり世論戦)を受け続けているせいではないかと疑ってしまう。そして日本の一部メディアは、意識的にせよ無意識的にせよ、お隣の大国の意思に叶う形で動いていても、恬として恥じることはない。
本題に戻って、劉暁波氏は獄中にある2010年10月、「中国での基本的人権を求める長期にわたる非暴力の闘い」を授賞理由としてノーベル平和賞を受賞した。代読された「私の最後の陳述」というメッセージは、「私に敵はいない。憎しみもない」として、弾圧者をゆるし、自由や民主が中国で実現することを祈るものだったという。1989年の天安門事件に向けて大きな盛り上がりを見せた中国の民主化運動の過程で、軍に武力弾圧されると、運動から離脱したり転向したり海外に亡命したりする活動家が続出する中、劉暁波氏はわざわざ勤務先のアメリカの大学から中国に舞い戻り、その後も「海外に出る機会を自ら放棄し、国内に残って戦い続ける道を選んだ」(石平氏)。彼の勇気ある行動は特筆すべきものだ。彼の死によって中国の民主化は何年遅れただろうか。政府の情報統制によって、劉暁波氏の存在すら知らない若い中国人が多くなっているというのは、残念なことだ。
6月末に、末期の肝臓がんと診断されて、突如、遼寧省錦州市の監獄から病院への仮出所が認められたことで、世界に衝撃とともに疑惑が走った。不作為の謀殺ではなかったか、と。実は昨年と今年2月の2度にわたって肝臓部CTスキャン検査を受けていたらしいが、その結果については公表されても、本人および家族に伝えられてもいないという。今年6月初めに本人が腹痛を訴え、遼寧省錦州監獄から瀋陽の病院に送られて、やっと肝臓がん末期と診断されたというが、これは遼寧監獄管理当局の公式発表であって、実際には5月23日に肝臓がん末期の診断が下され、監獄の外の病院での治療が認められ、国内の専門医が招集されて既に集中治療が開始されていたともいう。2015年の709事件(7月9日から始まった中国の人権派弁護士ら300人以上の一斉拘束・逮捕)では、拘束された弁護士たちが、明らかに怪しい薬を無理やり投与されたという証言が出ているから、疑惑は深まるばかりだ。やっていることは所詮、北朝鮮と変わらないではないか・・・
それはともかく、本人と妻の劉霞さんは国外での治療を希望し、実際に米国、ドイツ、フランスなどが劉氏らの受け入れ姿勢を示していたが、中国当局は病状悪化を理由に最後まで移送を拒んだ。NHK海外放送で劉氏の容体を伝えるニュースが流れると、画面が真っ黒になり、音声も聞こえなくなったらしい(いつものことだが)。中国のSNSでは劉氏の名前を検索しても「関係する法律法規と政策」を理由に結果が表示されず、亡くなってからは追悼の書き込みも次々削除されているらしい。中国外務省の報道官は、劉暁波氏の死亡を受け、各国から中国政府の対応に批判が相次いでいることについて、「内政問題であり、外国は不適切な意見を表明する立場にない」との談話を発表し、強い不快感を示した。
そして今日、劉暁波氏の遺灰は「海葬」で海に撒かれたことが明らかとなった。劉暁波氏の親族は、自宅がある北京の墓に埋葬されることを希望していたが、当局は墓が民主化要求運動の拠点になることを警戒して海葬に同意するよう強いた可能性があると報じられている。他方、当局は劉暁波氏の支持者らを相次いで軟禁状態に置いていることも伝えられ、こうした当局の警戒は初七日の期間続くだろうと言われている。今秋に5年に1度の中国共産党大会を控える習近平指導部は統制を強めており、批判の押さえ込みに躍起のようだ。
・・・とまあ、中国当局の対応が異様なのは、今さら言うまでもないことだが、いろいろな関連記事を読む中で、G20で、ドイツ首相のメルケル首相だけが習近平国家主席との会談で劉暁波氏の受け入れ治療を表明したが、地理的に中国に一番近い日本が、何故、積極的に治療受け入れの名乗りを挙げなかったのかと問題提起されていた(福島香織さん)のが引っ掛かった。
確かにこれまで日本は、人権外交は欧米に譲り、人道的な問題で世界に向けて発言することもなかった。つい最近も、世界で唯一の被爆国でありながら、核兵器廃絶に賛成票を投じられなかったことに歯がゆい思いをされた方も多かっただろう。戦後70年、憲法9条を盾に、戦争で日本人の血を流さなかったことは自慢されてもよいが、それも、今なお冷戦状況が続く不安定な北東アジア地域にあって、アメリカの半ば属国として核の傘に守られているのが安全保障上の現実だからである。中・韓との間で歴史認識を問う問題では、事実かどうかを離れて、情報戦なり世論戦で完敗状態だからである。そのため、今さら(戦時中の侵略性や性差別を措いておいて)中国や韓国に向かって偉そうなことが言えるのか、などと言い返されるに決まっている。下手すりゃ報復措置を受けかねない。島国の外交下手や、その昔、男は黙ってサッポロビールなどといったTVコマーシャルがあったように、潔さをよしとする国民性は、明らかにプロパガンダと分かる中国や韓国の主張に明確に反論をしないまま、ウソが現実であるかのような雰囲気を、少なくとも当事者間では作ってしまった。日本を国連安保理常任理事国入りさせない、ひいてはアジアの盟主は中国だけという、華夷秩序観に今なお支配された中国の策略にまんまと嵌ってしまっている。
国境なき記者団による「報道の自由ランキング」は、調査方法に問題があって、180ヶ国中72位(前年61位)と低迷しているが(因みに「インターネットの自由度ランキング」なるものもあって、こちらは世界7位らしい)、戦後日本の言論空間を歪めているとすれば、安倍一強の政府の直接的な圧力というより、GHQ施政下の言論統制とそれに続く自民党政権の外交敗戦により、間接的にお隣の大国の侵略(情報戦であり世論戦)を受け続けているせいではないかと疑ってしまう。そして日本の一部メディアは、意識的にせよ無意識的にせよ、お隣の大国の意思に叶う形で動いていても、恬として恥じることはない。
本題に戻って、劉暁波氏は獄中にある2010年10月、「中国での基本的人権を求める長期にわたる非暴力の闘い」を授賞理由としてノーベル平和賞を受賞した。代読された「私の最後の陳述」というメッセージは、「私に敵はいない。憎しみもない」として、弾圧者をゆるし、自由や民主が中国で実現することを祈るものだったという。1989年の天安門事件に向けて大きな盛り上がりを見せた中国の民主化運動の過程で、軍に武力弾圧されると、運動から離脱したり転向したり海外に亡命したりする活動家が続出する中、劉暁波氏はわざわざ勤務先のアメリカの大学から中国に舞い戻り、その後も「海外に出る機会を自ら放棄し、国内に残って戦い続ける道を選んだ」(石平氏)。彼の勇気ある行動は特筆すべきものだ。彼の死によって中国の民主化は何年遅れただろうか。政府の情報統制によって、劉暁波氏の存在すら知らない若い中国人が多くなっているというのは、残念なことだ。
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