風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

風は永遠に

2021-09-16 01:31:38 | スポーツ・芸能好き
 大久保一久さんが亡くなったそうだ。まだ報道されていないが、「風」ファンの間で囁かれ、その早過ぎる死が惜しまれている。
 1975年に伊勢正三さんとフォーク・デュオ「風」を結成された。私はどちらかと言うと伊勢正三さんの感性に惹かれて来たが、お二人あっての「風」というグループは私にとって永遠なのだ。
 晴れて大学生になって、それまで体育会系で武骨な私が、どういう「風」の吹き回しか(色気づいて?)フォークソング・サークルに入って、生まれて初めてアルバイトをして買ったモーリスというフォークギターで(当時、モーリス持てばスーパースターも夢じゃない、などとラジオで宣伝されたものだった)、最初に練習した曲はご多分に漏れずスリーフィンガーで定番の「22才の別れ」だった。私がブログ名をペナンやシドニーの「風」と称し、今、「風」来庵などと称しているのは、透明で、しかしほんのりと匂いを載せ、また肌感覚を刺激しながら、人の心に少なからぬ余韻を残して気ままに吹き過ぎるというその特性と、「風」の存在がある。「風」命名者の伊勢正三さんによると、「空気のように留まらず、音楽的に常に進化していくことを目指す」という意味が込められているそうだが(Wikipediaより)、平凡な私には「進化」よりも「気まま」が性に合う・・・。
 それはともかく、「風」と言えば、「22才の別れ」や「ささやかなこの人生」、「ほおづえをつく女」、「Bye Bye」といった、伊勢正三さんのダンディズムが前面に押し出されるが、その合間に大久保一久さんの作品が光っている。「古都」、「三丁目の夕焼け」、「夜の国道」、「旅の午後」、「小さな手」、「デッキに佇む女」、「おそかれはやかれ」、「トパーズ色の街」など、その暖かい声質と相俟って、一転して日差しが変わって、ほのぼのとして、ほっと一息つくような、恰好の箸休めになっているのだ。そのコンビネーションこそが「風」であり、素晴らしい。
 今、YouTubeで拾った『風 弾き語り スタジオライヴ 1976 08 28 大分放送ラジオ(OBS)』を聴きながら書いている。ナマのコンサートには足を運んだことがない、ファンにあるまじき不束者だが、もうお二人の「風」が再結成されることはないと思うと、勝手なことに、無性にいとおしくなる。
 ご冥福をお祈りして、合唱。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自民党総裁選・品定め | トップ | 自民党総裁選・討論会 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

スポーツ・芸能好き」カテゴリの最新記事