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ベルリンの壁が崩壊した20年前は、平成の世が始まった年でもありました。あの時(1989年1月7日)、私は、独身寮の寮長室に詰めていました。その前々週にたった三時間の電話当番をサボったばかりに、その罰として、一日電話当番を言いつけられ、よりによって朝から晩まで昭和の歴史を振り返る特番を堪能し、昭和天皇崩御を悼んだのでした。
昨日・今日と、天皇陛下ご即位20年の祝賀行事が行なわれました。テレビや新聞の報道を見ていると、災害被災地へのお見舞いや障害者や高齢者の施設訪問(即位後に両陛下が訪問された全国の施設はこれまでに170ヶ所!)などを通じて、常に国民に寄添い、日本国民並びに日本国の平和と安寧を願ってきた皇室のありようをあらためて思い知らされました。これは平成あるいは戦後に限った話ではありません。最近、読んだ阿川弘之さんの小説「米内光政」に、昭和天皇の次のようなエピソードが紹介されています。
・・・・・昭和20年9月27日、マッカーサー元帥はアメリカ大使館で天皇陛下と初めての単独会見をした。天皇陛下が命乞いに来ると思っていたマッカーサー元帥は、西欧のエンペラーともカイゼルとも感じの違う人がモーニング姿で現れて、「自分の一身なぞどうなってもいいから、国民を助けて欲しい」と言うのを聞き、「世界の歴史にかつてこのような君主がいたのを私は知らない」と、非常な感銘を受けたと伝えられている・・・・・・
太平洋戦争へと突き進む昭和初期、昭和天皇は陸軍の暴走を懸念され、三国同盟を身体を張って阻止し終戦工作を陰で指揮した米内光政海軍大将のことをこの上もなく信頼されていたそうですが、もし昭和天皇が専制君主であったなら、先の戦争には至らなかったのではないかとさえ思います。これが2000年の皇室の歴史と伝統と言えるのかも知れません。それを今なお守り育てている今上天皇のご努力には頭が下がります。そんな皇室を戴いた日本人の幸福を思わないわけには行きません。
上の写真は「日出るところの天子」ならぬ、場所はマラッカ海峡の日の出です。
昨日・今日と、天皇陛下ご即位20年の祝賀行事が行なわれました。テレビや新聞の報道を見ていると、災害被災地へのお見舞いや障害者や高齢者の施設訪問(即位後に両陛下が訪問された全国の施設はこれまでに170ヶ所!)などを通じて、常に国民に寄添い、日本国民並びに日本国の平和と安寧を願ってきた皇室のありようをあらためて思い知らされました。これは平成あるいは戦後に限った話ではありません。最近、読んだ阿川弘之さんの小説「米内光政」に、昭和天皇の次のようなエピソードが紹介されています。
・・・・・昭和20年9月27日、マッカーサー元帥はアメリカ大使館で天皇陛下と初めての単独会見をした。天皇陛下が命乞いに来ると思っていたマッカーサー元帥は、西欧のエンペラーともカイゼルとも感じの違う人がモーニング姿で現れて、「自分の一身なぞどうなってもいいから、国民を助けて欲しい」と言うのを聞き、「世界の歴史にかつてこのような君主がいたのを私は知らない」と、非常な感銘を受けたと伝えられている・・・・・・
太平洋戦争へと突き進む昭和初期、昭和天皇は陸軍の暴走を懸念され、三国同盟を身体を張って阻止し終戦工作を陰で指揮した米内光政海軍大将のことをこの上もなく信頼されていたそうですが、もし昭和天皇が専制君主であったなら、先の戦争には至らなかったのではないかとさえ思います。これが2000年の皇室の歴史と伝統と言えるのかも知れません。それを今なお守り育てている今上天皇のご努力には頭が下がります。そんな皇室を戴いた日本人の幸福を思わないわけには行きません。
上の写真は「日出るところの天子」ならぬ、場所はマラッカ海峡の日の出です。
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