30年を超える会社生活を振り返ると、すぐれた諸先輩方や同僚に恵まれ、いろいろな経験をさせて貰って、経営の何たかるかを学ぶことが出来たのは、とても有意義だったと思う(とは、なんと優等生的なコメント!)。とりわけ、大企業にいながらも、1990年代後半にアメリカ、2000年代後半にマレーシアやオーストラリアと、二度にわたる海外駐在を通して、零細な(笑)子会社経営に関わることが出来たのは、今となっては本社の奥の院に鎮座する(!?)よりも現場主義を好むことが判明した私としては幸運なことだった。そして、最もエキサイティングだったのは、海外生活における異文化体験だった。
そんな私とは立場は違うが、今から10年前に30代後半でシングルマザーとして小学校1年生の子供を連れて中国に留学された浦上早苗さんという方がBusiness Insider誌に寄せたコラムは、私自身の経験をも思い出させてくれて、とても楽しませて頂いた(「『好きなのは日本、近いのは中国』 アフリカ人だらけの寮で7歳児が学んだ人種と世界」 https://www.businessinsider.jp/post-215485)。
このコラムを読んで先ず再確認したのは、国家間の関係とて所詮は人間同士の関係だということだ。こんな私でも、アメリカと言われれば少ない経験ながらもアメリカ人の知人数名の顔が浮かぶし、マレーシアやオーストラリアも同様だし、更に言うなら、移民国アメリカやオーストラリアならではと言えるであろう、知人の祖国であるアイルランドやイタリアやフランスやポーランドや東ドイツやベトナムやバングラデッシュやタイやインドやシンガポールなどにも、それぞれの知人の憎めないクセとともに親近感を催す。浦上早苗さんは、ナイジェリア人留学生から「韓国の国力は日本に遠く及ばない。ただし、日本は強国とはいえ、インドの下にある」と評されて(理由はインドは仏教の発祥地だからとの由)、韓国人やベトナム人留学生と「いろいろ衝撃だったね・・・」と語り合いながら、「韓国は日本に遠く及ばない」と言われた韓国人は「アフリカ人だし」と怒らなかったし、「日本はインドの下」と言われたご本人も同じ反応だったエピソードを紹介され、日中、日韓関係がこじれるのは、家族や親戚や近所など、近いからこそ冷静になれず、遠ければ距離を置くことで薄められるのだと語っておられるのは、真実だろうと思う。私がマレーシア駐在のとき、子供繋がりで知り合った韓国人のお母さんから、「日本人って野蛮じゃないのね」と家内が真顔で言われたことは、以前にもこのブログで紹介したことがあるが、メディアで伝えられる韓国の歴史教育が事実であったことに衝撃を受けるとともに、人間関係を通して韓国人の意識変革を促したことは、外務省以上に「良い仕事」をしたものだと自負している(笑)。日本がインバウンドの観光振興を通して、カネを落として貰うだけでなく、日本人や日本の社会を体感して貰うことによって、訪問者(特に中国人や韓国人)の日本観を変える戦略は、間違いなく正しい(笑)。
また、子供の可能性についても感じるところがあった。浦上早苗さんのお子さんは当時、前歯が4本抜けて、笑うと周囲まで笑わせて、100人弱が住まう留学生寮のアイドルになったそうで、アフリカからの留学生だらけの寮生活で、30代後半のご本人が交流を深められたのは、ひとえに息子さんのおかげだと語っておられるのは、恐らく正直なところだろうと思う。黒人の男性3、4人が共用キッチンで音楽を大音量でかけながら踊っていて、近づくのが躊躇われるような局面でも、息子さんは彼らとハイタッチして一緒に体を揺らしたそうだし、日本から持ち込んだ任天堂のゲーム端末があったものだから、お子さんは大柄の黒人男性など留学生仲間を招き入れて一緒に遊んでいたそうである。我が家の上の子は、アメリカ赴任の時にアメリカで生まれ、4歳のときに現地の幼稚園に入って全く物おじしなかったが、その後、日本で6年間暮らし、マレーシア駐在が決まったときには小学5年生で、さすがに迷った挙句、折角の機会だからと日本人学校ではなくインターナショナル・スクールに入れたところ、やはり無謀だったようで、最初の一年間は語学専門クラスに入れられた。そこは大胆にも小学生から高校生まで、さまざまな国から英語が出来ない子供たちが集う混成クラスで、それでも早速、友達が出来て悪ガキ三人組と称され、同じクラスになった日本人の女子高校生から羨ましがれたものだった。子供は幼ければ先入観もなく、見たままをそのまま受け入れる強さがある。当時、下の子は幼稚園の年少だったが、最初の頃こそ言葉が通じなくて泣きながら通ったものだが、隠然たる存在でクラスを牛耳る(!?)に至るまで時間はかからなかったようだ。
さらに海外にいるからこそ、日本のソフトパワーの強さに感銘を受けるところにも共感する。浦上早苗さんによれば、どの国の人たちも日本を知っていて、コンゴ共和国の留学生は、浦上さん親子を見ると「カメハメハ―」と、ドラゴンボールの亀仙人のポーズを取ってくれたし、チェコ人は息子さんに「ポケモン描いて」と話しかけたそうだし、中国人の教師からは「一休さん」の話題を振られたことがあると言い、アニメの伝播力はとんでもなく大きいと感想を述べておられる。私が駐在したマレーシアでも、アニメやコミックを日本語で理解したいばかりに日本語を勉強する学生がいたのは、必ずしも例外的というわけではなかった。日本のアニメの絵の細やかさや美しさが優れているのは間違いないが、ストーリーに表れる日本の社会や日本人独特の情感、さらにはその世界観が外国の人々を惹きつけるようだ。
こうした異文化体験がもたらす最大のメリットは、日本人や日本の社会を相対化する視点を持てることだ。相互依存が進むグローバルな社会にあっては、自らを絶対化して視野狭窄に陥ることのないよう、こうした余裕のある目線を持つことは極めて重要だと思う。
ところが日本人自身は内向き志向が強いと言われて久しい。かつて家電製品や自動車などを輸出攻勢して、欧米先進国と摩擦を起こしながらも高度成長を謳歌していた時代と比べれば、豊かになってモノづくりの国際競争力が低下して内需依存型の経済に転換した最近の日本に、海外を志向する動機が乏しいのは事実だろう。ハーバード大学などの海外の一流大学に留学する日本人が減ったとか、中国人や韓国人の存在感に気おされていると言われて、遅まきながら日本でも外国人留学生の受け入れなど国際化の努力をしているが、少子化で大学経営が成り立ち辛くなっているからこその助平根性と言えなくもない。日本は規模の点でも動機付けにならなくて、1億を超える人口大国で(人口減少社会とはいえ世界11位)、世界第三のGDPを誇る日本では、海外の(特定国に偏ってはいるが)さまざまな情報や主だった書籍は日本語に翻訳されるから、英語などの外国語を使えなくても、十分に生きていける。
アメリカの強さを支えたのは、世界の共通語である英語と、世界の基軸通貨ドルと、大学のシステムだと言う人がいた。英語やドルは分かるが、大学とはどういうことか? アメリカの大学や大学院に留学するような外国人は、国費留学生をはじめ母国では間違いなくエリートである。大学生、大学院生の頃に、そんな彼らと仲良くなって、10年や20年もたてば、世界の政・官・財のエリートを結ぶ強力なネットワークとなる・・・そう、浦上早苗さんのように。そんなアメリカの覇権は盤石に見えたものだ。
それに引き換え日本には英語もドルも大学のシステムもない。そもそも覇権を狙う野心がない。しかし、圧倒的な物量で勢いを増すばかりのお隣の国に呑み込まれないためには(どうやら香港は不幸にも呑み込まれそうな情勢だが)、自由や法の支配などの価値観を共有する欧米の成熟した国々と密に連携し、歴史と伝統と先端技術といった文化力でお隣の国を圧倒する必要がある。経済というハードパワーがあった時代よりも、文化によるソフトパワーの時代には、よりしたたかに、よりしなやかに生きて行く知恵が要る。島国・日本の歴史を振り返れば、内に閉じこもりがちのところがあるが、本来、島国は(隋や唐に学び、明治維新後は欧米に学んだように)外来文化に対してオープンなはずだ。英語は流暢なことに越したことはないが、所詮はコミュニケーション・ツールであって、飽くまで中身で勝負である。異文化社会の作法を間違わず、しなやかに、したたかに生き抜いていく日本でありたいと切に思う。
そんな私とは立場は違うが、今から10年前に30代後半でシングルマザーとして小学校1年生の子供を連れて中国に留学された浦上早苗さんという方がBusiness Insider誌に寄せたコラムは、私自身の経験をも思い出させてくれて、とても楽しませて頂いた(「『好きなのは日本、近いのは中国』 アフリカ人だらけの寮で7歳児が学んだ人種と世界」 https://www.businessinsider.jp/post-215485)。
このコラムを読んで先ず再確認したのは、国家間の関係とて所詮は人間同士の関係だということだ。こんな私でも、アメリカと言われれば少ない経験ながらもアメリカ人の知人数名の顔が浮かぶし、マレーシアやオーストラリアも同様だし、更に言うなら、移民国アメリカやオーストラリアならではと言えるであろう、知人の祖国であるアイルランドやイタリアやフランスやポーランドや東ドイツやベトナムやバングラデッシュやタイやインドやシンガポールなどにも、それぞれの知人の憎めないクセとともに親近感を催す。浦上早苗さんは、ナイジェリア人留学生から「韓国の国力は日本に遠く及ばない。ただし、日本は強国とはいえ、インドの下にある」と評されて(理由はインドは仏教の発祥地だからとの由)、韓国人やベトナム人留学生と「いろいろ衝撃だったね・・・」と語り合いながら、「韓国は日本に遠く及ばない」と言われた韓国人は「アフリカ人だし」と怒らなかったし、「日本はインドの下」と言われたご本人も同じ反応だったエピソードを紹介され、日中、日韓関係がこじれるのは、家族や親戚や近所など、近いからこそ冷静になれず、遠ければ距離を置くことで薄められるのだと語っておられるのは、真実だろうと思う。私がマレーシア駐在のとき、子供繋がりで知り合った韓国人のお母さんから、「日本人って野蛮じゃないのね」と家内が真顔で言われたことは、以前にもこのブログで紹介したことがあるが、メディアで伝えられる韓国の歴史教育が事実であったことに衝撃を受けるとともに、人間関係を通して韓国人の意識変革を促したことは、外務省以上に「良い仕事」をしたものだと自負している(笑)。日本がインバウンドの観光振興を通して、カネを落として貰うだけでなく、日本人や日本の社会を体感して貰うことによって、訪問者(特に中国人や韓国人)の日本観を変える戦略は、間違いなく正しい(笑)。
また、子供の可能性についても感じるところがあった。浦上早苗さんのお子さんは当時、前歯が4本抜けて、笑うと周囲まで笑わせて、100人弱が住まう留学生寮のアイドルになったそうで、アフリカからの留学生だらけの寮生活で、30代後半のご本人が交流を深められたのは、ひとえに息子さんのおかげだと語っておられるのは、恐らく正直なところだろうと思う。黒人の男性3、4人が共用キッチンで音楽を大音量でかけながら踊っていて、近づくのが躊躇われるような局面でも、息子さんは彼らとハイタッチして一緒に体を揺らしたそうだし、日本から持ち込んだ任天堂のゲーム端末があったものだから、お子さんは大柄の黒人男性など留学生仲間を招き入れて一緒に遊んでいたそうである。我が家の上の子は、アメリカ赴任の時にアメリカで生まれ、4歳のときに現地の幼稚園に入って全く物おじしなかったが、その後、日本で6年間暮らし、マレーシア駐在が決まったときには小学5年生で、さすがに迷った挙句、折角の機会だからと日本人学校ではなくインターナショナル・スクールに入れたところ、やはり無謀だったようで、最初の一年間は語学専門クラスに入れられた。そこは大胆にも小学生から高校生まで、さまざまな国から英語が出来ない子供たちが集う混成クラスで、それでも早速、友達が出来て悪ガキ三人組と称され、同じクラスになった日本人の女子高校生から羨ましがれたものだった。子供は幼ければ先入観もなく、見たままをそのまま受け入れる強さがある。当時、下の子は幼稚園の年少だったが、最初の頃こそ言葉が通じなくて泣きながら通ったものだが、隠然たる存在でクラスを牛耳る(!?)に至るまで時間はかからなかったようだ。
さらに海外にいるからこそ、日本のソフトパワーの強さに感銘を受けるところにも共感する。浦上早苗さんによれば、どの国の人たちも日本を知っていて、コンゴ共和国の留学生は、浦上さん親子を見ると「カメハメハ―」と、ドラゴンボールの亀仙人のポーズを取ってくれたし、チェコ人は息子さんに「ポケモン描いて」と話しかけたそうだし、中国人の教師からは「一休さん」の話題を振られたことがあると言い、アニメの伝播力はとんでもなく大きいと感想を述べておられる。私が駐在したマレーシアでも、アニメやコミックを日本語で理解したいばかりに日本語を勉強する学生がいたのは、必ずしも例外的というわけではなかった。日本のアニメの絵の細やかさや美しさが優れているのは間違いないが、ストーリーに表れる日本の社会や日本人独特の情感、さらにはその世界観が外国の人々を惹きつけるようだ。
こうした異文化体験がもたらす最大のメリットは、日本人や日本の社会を相対化する視点を持てることだ。相互依存が進むグローバルな社会にあっては、自らを絶対化して視野狭窄に陥ることのないよう、こうした余裕のある目線を持つことは極めて重要だと思う。
ところが日本人自身は内向き志向が強いと言われて久しい。かつて家電製品や自動車などを輸出攻勢して、欧米先進国と摩擦を起こしながらも高度成長を謳歌していた時代と比べれば、豊かになってモノづくりの国際競争力が低下して内需依存型の経済に転換した最近の日本に、海外を志向する動機が乏しいのは事実だろう。ハーバード大学などの海外の一流大学に留学する日本人が減ったとか、中国人や韓国人の存在感に気おされていると言われて、遅まきながら日本でも外国人留学生の受け入れなど国際化の努力をしているが、少子化で大学経営が成り立ち辛くなっているからこその助平根性と言えなくもない。日本は規模の点でも動機付けにならなくて、1億を超える人口大国で(人口減少社会とはいえ世界11位)、世界第三のGDPを誇る日本では、海外の(特定国に偏ってはいるが)さまざまな情報や主だった書籍は日本語に翻訳されるから、英語などの外国語を使えなくても、十分に生きていける。
アメリカの強さを支えたのは、世界の共通語である英語と、世界の基軸通貨ドルと、大学のシステムだと言う人がいた。英語やドルは分かるが、大学とはどういうことか? アメリカの大学や大学院に留学するような外国人は、国費留学生をはじめ母国では間違いなくエリートである。大学生、大学院生の頃に、そんな彼らと仲良くなって、10年や20年もたてば、世界の政・官・財のエリートを結ぶ強力なネットワークとなる・・・そう、浦上早苗さんのように。そんなアメリカの覇権は盤石に見えたものだ。
それに引き換え日本には英語もドルも大学のシステムもない。そもそも覇権を狙う野心がない。しかし、圧倒的な物量で勢いを増すばかりのお隣の国に呑み込まれないためには(どうやら香港は不幸にも呑み込まれそうな情勢だが)、自由や法の支配などの価値観を共有する欧米の成熟した国々と密に連携し、歴史と伝統と先端技術といった文化力でお隣の国を圧倒する必要がある。経済というハードパワーがあった時代よりも、文化によるソフトパワーの時代には、よりしたたかに、よりしなやかに生きて行く知恵が要る。島国・日本の歴史を振り返れば、内に閉じこもりがちのところがあるが、本来、島国は(隋や唐に学び、明治維新後は欧米に学んだように)外来文化に対してオープンなはずだ。英語は流暢なことに越したことはないが、所詮はコミュニケーション・ツールであって、飽くまで中身で勝負である。異文化社会の作法を間違わず、しなやかに、したたかに生き抜いていく日本でありたいと切に思う。
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