私に取って、幼い頃、透明は白だと思っていた時期がありました。白は色ではないと思っていたからでしょう。 つまり白=透明だったのです。
白は不思議な色です。図工の時間は画用紙を使って絵を描きました。その画用紙といえば白色でした。白に色々彩色して絵をかきました。だから、白には色がないと思ったのでしょう。
もし、白が起点となる色でないとしたら、赤の画用紙に絵をかくことも、黄色の画用紙に絵を描くことも普通にやっていたはずです。いまでこそ、図工も色々な色画用紙に絵をかくこともあるようになってきました。
そう考えると、白という色は、色の中でも最も根源的な色であると思います。人が生まれたときはタブララサとか、真っ白いキャンバスの状態にたとえられます。そこに色々な色が付き、人生がはじまるのです。
ですから、このことからも白は特別なもので、色の出発点のような気もします。日本では根源的な色なんでしょうね。そして、終着点が黒のようです。
日本には数え年という言葉がありますが、これは白を起点とする考えとにています。1から始まるんですね。また、戦後は満年齢の考え方になりました。これは透明な状態と似ています。いわゆる無(透明)から始まる。0から始まります。
そう考えてゆくと、おぎゃあと生まれた日が人生の誕生と考えるのが1から始まることで、母の胎内で受精したところから始まるのが0から始まる考えに似ています。
自分的には誕生日は受精した時が誕生の日と考えた方がいいと思っていますが、その日がいつかは、自覚するのがまだ、むつかしいですね。将来の誕生日はやがて、受精した日に変わっていくのではないかと考えています。0が発見され数学で使われるようになった時のように…。数え年から満年齢になったときのように…。
白無垢、純白、白衣の天使などもどれも白が入っています。やはり、白は日本では何か畏敬の念さえ抱かされる言葉です。国旗も白地に赤です。
巫女さんの装束も上着は白です。下の袴は緋色といって赤い色です。国旗の日の丸がそうです。国旗はまさに神道そのもののようです。
日本には古来白が出発点だったような気がしてなりません。ですので、透明などという色のない世界は考えられなかったのではないかと思います。
その点、仏教はインドで発生し、無という考えが根底にあります。無我の境地などもそうです。いわゆる何もない0のことが思想的にも底辺に流れていたのですね。それで、0はインドで発見されたということに納得がいきます。
さて、透明は白でなく色がない状態をいうんだなとはっきり自覚した小学生の時期が懐かしく思い出されます。
※参考 数字の不思議
算用数字の形は画の数からできたのがよく分かります。不思議発見ですね。この年になり初めて知りました。