想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

ご破算で願いましては

2015年05月15日 | エッセイ

 震災5年5月15日

 ちょっと、暑い日もありますが、5月のさわやかな日々が続いていいます。毎日、生活していると、どうしても垢がたまってきます。血管で言えば、内壁に脂肪やコレステロールが付着している状態です。健康であるにはいつも血管内を血流がさらさら流れている必要があります。組織も人間もこの流れがスムーズにいってこそ健康体であるといえるでしょう。

 滞るところがあれば、そこで、熱を帯び炎症がおこるのです。ですから、組織というものはいつも流れをよくしておかなくてはなりません。人間の体もある意味では組織体です。風通しをよくし、窓を開け、人の意見によく耳を傾け、自然現象の妙味からも学び、精神の汚れも、毎日さらさら流れるようにしておかないと、毎日生き生きと生活できないでしょう。

 そうしないと、いつも、同じ感覚で同じものを見ていることになるし、そこからは、何も生まれません。何かを生み出してこそ生きる人生だと思います。感覚を研ぎ澄ましていないといい作品は生まれません。

 人生の足跡は大げさにいえば、どんな作品を残したかにあるのではないでしょうか。ささやかでも、何か一つ残していく毎日でありたいものです。

 

 そのため、人は毎朝生まれ変わる必要があります。昨日のことをご破算にして、今日という日を新たな気持ちで送るのです。その集積が足跡となり、新しい自分を作り出しているのです。

 

 さて、先日、年を重ね真剣に日々を送っている人はどんなことを考えているのかなと興味を持ち、「百歳の力」篠田桃紅著を読んでみました。現在百三歳で現役の美術家なのですが、こんなことをおっしゃってるのが印象に残りました。 

 『家でも学校でも本当のことを見極めようとすると、そんな理屈っぽいことを言うんじゃないと言われた。何がいいのか、本質を避ける。私はこうやりたいんだというと、みんなと一緒にやりなさい。曖昧のままにしてやり過ごす。何でも人と同じことをなっていれば安心で、自主的過ぎるというのはよくない。それが、私たちの受けた教育だった。』

と。述懐されていました。私的には、本質を探り押さえておくことは大切なことですが、やはり、TPOに応じてそれは、柔軟に対応するのがベターな生き方だと思います。私的にはベストは目指しますが、現実はベターでと言うのがスタンスです。

 芸術家として彼女はそのポリシーで生きて来たんですね。生涯独身でもあり、妥協しなくても生きてこられる世界にいたからこそできた人生だったでしょう。生き方、人それぞれですね。生まれるのは皆0歳だけど、あの世へは人それぞれ人生が違いますものね。今は、ある程度それができる世の中になりました。ありがたいことです。先人の努力に感謝せねばなりません。

 ところで、私が母から受けた考え方の中に「人様に迷惑をかけない。」と、言うのがありました。その言葉は私を萎縮させるもので、「ちょっとばかりの迷惑に恐れないで、その迷惑を跳ね返すだけエネルギーを持ちなさい。」であったなら、もっと、よかったと高校生を過ぎた頃からおもうようになったことを、今、なつかしく思い出します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする