想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

子育ては胎教から始まる!

2016年07月05日 | エッセイ

震災6年7月5日



 


 幼稚園の話を妻から、よく耳にする。その中で、もう、3歳児の話も、精神面は成人と変わらないような気がする。基礎がすべてできているのだ。昔から、三つ子の魂百までもという。その通りだと思う。昔は数え年なので、極端にいえば、最小で満1才過ぎで数え3才になってしまう。

 ですから、誕生日はお母さんのお腹から、この世に出て来たときでなく、受胎した日が正しいのだと思う。それを、誕生日にした方が、今時、合理的である。

 昔の医学では、いつ、受胎したかは分からなかったかもしれない。しかし、医学の進歩した今、誕生日は受胎した日と、民法で決めてもいいのではという気がする。そこから、大きなリズムが始まるような気がする。早産や未熟児で出産してしまうと、現行の誕生日ではおかしなリズムになってしまうが、受胎した日が誕生日なら、生理学的にいっても、絶対値となり、より比較がしやすいのではと思う。


 そうなれば、より、胎教の重要性も増し、受胎した日からの成長にも心配りがなされるし、その間の両親の働きかけの重要性も増してくる。誕生してからでは遅いのだとつくずく思う。


「子育ては受胎から…」が、今後はキャッチフレーズになって来てもおかしくない。医学の進歩に社会が追いついていってないような気がする。その、十月十日は重要な出発点になるのだ。


 その間をお母さんのお腹の中でどう過ごしたかが、子育てには最重要になるのだと思う。そういう考え方をもっと、もっと、広めていったらいいと思う。


 私の小学校の経験でも直感力は教育するものでなく、生まれつきのものであり、それをどう引き出すかが教育であると思う。それが、いわゆる環境である。孟母三遷の教えもそのことをいっているのだと思う。


 素質は変えられないが、環境はいかほどにも変えることができる。この素質と環境をどう組み合わせて、その子の持って生まれた良さを引き出して行くのが教育だ。


 素質の根本は遺伝子の中にある。それは神様が与えてた自らの分け前である。自分であり、個性なのだ。それを環境とどう織り交ぜて行き、引き出して、その良さが最大限になるようにするのが教育だ。


 その人の一生はその人だけで終わるものではない。その生き方は自分の遺伝子にも、大きな変化をもたらしているだ。ただ、期間が一生と長いので、個人には気が付かないだけだ。


 わからなければ、時計の針を思い起こすとよい、その針を長く伸ばすとその先端は動いているのだ。


 一生は誰しも、人様に後ろ指を指されないように過ごさなくては子孫に申し訳ない。その生き様が遺伝子に大きく関わっているのだとおもう。自分の人生は一見自分だけのものと、思ってしまうが、大きくとらえると子孫や人類という普遍性の高い物だと思う。だから、できるだけ、遺伝子はきれいにして次世代に譲るとよい。


 最近の風潮として、利己主義や個人主義があるが、憲法をよく読みこなしてゆくと、個人はもとより、人類の健全な発達という面にも目がゆくかないとおかしいと、分かるだろう。公共の福祉という重しが基本的人権にはついているのだ。そのことをないがしろにした人権は将来の人類に大きな禍根を残すことになるだろう。


 桝添都知事の問題など、考えさせられる事が多々あったとつくずく思う。我々段階の世代はこのことに心配りをして人生を全うして、次の世代にバトンタッチして行く必要があるかと思う。


 ただ、残念なことに、高齢者が自己保身に走りすぎている風潮があちこちに見え隠れしている。これも大きな問題である。先日のEU離脱の問題もそのことが大きく出てしまった。


 我々は後に続く若い世代のことをしっかり考えて行かないといけない。そのレールを敷いてあげないといけないが、イギリスの決断は若い人の残留の考え方を無視してしまったようだ。


 いわゆる老人エゴになってしまっている。高齢者が票につながっている現実はいかんともしがたいが、将来を背負う立派な若者も沢山いる。そのことを、肝に銘じて優秀の美を飾って次世代に託していってほしい。


 と、同時に若者も積極的に政治に参加してほしい。若者も投票率があがれば、票はそちらに関心がいくのだ。将来は次世代のものだから…。


 


コメント
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