想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

人間も生物の一員だ!

2018年07月16日 | エッセイ
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震災8年7月16日

 いつも疑問に思っていることがあります。卑近な例を挙げれば、インフルエンザが流行ったとします。そうすると、そのウイルスに近づけないようにしたり、それを洗い流すように手洗いを奨励したり、なるべくそれに近づけないようにします。その菌がすべての原因のように言われてしまいます。

 確かに、ウイルスという因がなければ発症はしなかったはずです。それも、一理あります。そういう治療法が今は当たり前のように言われています。それで、薬の生産額も飛躍的に伸びているのです。それが保険制度の影響で気軽に診察が受けられ、ますますGDP増加につながっているのです。悪循環です。もっと、本来生物に備わっている抗体という宝物を使うようにしたいです。それが、結果として一番経済的です。

 健康診断もややもすると、人の不安心理を増加させている傾向があります。それが抗体の力を弱めているのです。ですから、ますます、診断に頼るようになってしまいます。

 熱がちょっと出ただけですぐ病院にいく悪習慣が特に日本人は多いように思います。病気のなると、すぐ、原因を外に求めてしまいます。気が弱っていたとは考えないのです。黴菌が入ったから病気になったと考えてしまいます。それで、病原菌がいる限り病気になってしまいます。

 自然界を広く見渡してみましょう。ウイルスなどの病原菌がなくなるなどということは考えられないでしょう。もし、神がいたとするなら、生物の全てをある目的を持ってこの世に誕生させたのだろうと思います。

 私もそうです。路傍の石でも価値があるから、この世に存在してます。人間も宇宙のスケールでとらえれば生物の中の一構成員なはずです。

 万物の霊長は人のおごりです。人間だけ生きればいいという偏狭な考えはこの世では通じないでしょう。時がくれば寿命を終えるのが生き物です。ウイルスが邪魔だといって人間だけ生きようとするのは人の驕りも驕りです。自然界の法則から行けばあり得ないことだと分かります。

 そうです。人も、生き物の一員として人たる使命を持ち、この世に存しています。その使命を終えれば命も尽きます。それが、昔からいう寿の命であり、寿命なのです。だから、寿命が尽きたというのです。寿命は決まった長さが神様から与えられているのです。その量は決まっているのです。たくさんつかえがいつかは尽きます。

 浜の真砂は尽きねども…と、言う言葉がありますが、あれだけたくさんあったと思える真砂もいつかは尽きるのです。そういうスケールで物事を考えないと、人の未来も危うくなって来ています。

 海のマイクロプラスチックの問題など卑近な例でしょう。通常自然界ではできることがないものを人間が作り出しそれにより、自然環境にに大問題となっています。 

 前にも述べたように、すべての物質は自然界の中で循環ができるものだけ、この世に誕生させないと、将来に禍根を残すことを忠告しておきます。

 

 さて、先ほどの、病気が、病原菌が原因だと簡単に決めつけてかかるのはどうでしょう。病気という字は病が半分気が半分と書きます。病は病原菌などをさすのでしょうが、気は精神力、すなわち、気功、元気、気力、気概、やる気など、精神力の強さを表しています。

 そうです。気が弱ってきた状態で病気になるのです。ですので、すぐ、薬や病院にかかるのでなく、その辺を疑ってみるのが先決だと思います。病気になったからと、何の生活の振り返りもなく、短絡的に薬を飲んだり、医者にかかるのは考え物だと思います。

 ウイルスで病気にかかったのではなく、それを撃破する気が弱くなったため、全身に流れる体液がどこかで、滞って、抗体の働きが弱っていると考えるのが至当だと思います。

 私は病気の状態が結果的に体液の流れがどこかで滞っていると考えています。水がさらさら流れていれば、本来は正常に人の体は働くはずです。人間は水でできているといった、ギリシャのタレスの言葉も案外あっているのではないかと思います。

 余談ですが、世界の水がだんだん汚れて来ているのが気になっています。空気も同じですね。これは、また、どこかで考えてみたいと思います。

 その反省がないと、いくら、薬や医者の治療があったとしても、それは他力の力により一時的によくなっているだけで、その薬が切れてしまえば、また、元の木阿弥になってしまいます。

 ですので、やたらと、病原菌から遠ざけるのでなく、それに立ち向かう気を充実させるようにするのが、正解だと思います。

 本来昔はもっと、気の充実に力点が置かれた生活環境があったと思います。この気の問題は人間が生きる上で最も大事なことだと思います。それが、失われつつある現在の社会は知らず知らずのうちに人類を破滅へといざなっているように思えるのです。もう一度この気についてよく考えてみないといけません。

 漢字を見ればわかります。いかに、気が付く字が多いのかが分かります。

 今の世の中は、便利になりすぎて、本来生物としての人間が持つ抵抗力、克服力がどこかに行ってしまっているように思えてなりません。

 アレルギーの問題もアレルギーだから何も食べられないのでなく、その物質が入ってくる量が、その人個人の限界を超えているのだから、微量だけ口に入れるようにして、少しずつその量を増やしていけば本来人は抗体を自分で作りだしいけるのではないかと思います。

 アレルギーだからとそれを避けていたら、いつまでたっても気は充実していきません。微量から初めて、少しずつ、耐性をつけていくのです。その、量の加減の問題です。

 人間加減をうまく制御できた人が成功者となるのです。いい加減という言葉も考えれば奥が深いですね。我儘も悪い言葉になっていますが、考えれば含蓄のある言葉です。我儘でなければ、創造性は発揮できないのです。自己中ではないのです。もっと、広い言葉です。

 人間は太古の昔から、種として生き延びてきた知恵を体に細胞レベルで刻んで来ているはずです。それを十分に発揮しない手はないでしょう。それは、昔から育ててきた肥沃な大地を宅地化することと似ています。

 太古の昔から細胞レベルに秘めた力を再確認してその力にまず、頼ることです。たからこその力ではないでしょうか。

 そのような力が今、根こそぎ奪われそうになっているのではないでしょうか。全てが便利になったがゆえに生物の一員としての人間を忘れ、短絡的思考と、効率等の目先の利害に振り回されているのが現状です。

 そこに、すべての現在の悪の病巣が隠れているように思えてなりません。

 

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