コロナ3年10月9日(ウクライナ侵攻元年)
私に取って生きるとは、遥か彼方に人様と自分の幸せに満ちた顔を思い浮かべ、そこへベクトルを向けて行く過程そのものです。その過程には苦難も待ち受けているかも知れません。ある時は忍耐も必要となるでしょう。しかし、その遥か彼方の方向が正しいものであるなら、必ずしもそれが実現できないとしても充実感に包まれるはずです。今私は、生きているなと感じながら毎日喜びに満ちた生活ができるのです。なぜなら、今、自分の向けているベクトルがぶれていないからです。
喜びに近い言葉にうれしさ、楽しさというのがありますが、その二つは案外刹那的でもあります。しかし、この喜びというものは持続性があり、うれしさ楽しさを超えた次元の高い心の働きのような気がします。
多分に信仰心に近いものがあるようにも想います。毎日は楽しいことばかりではありませんが、その向こうに自他の喜ぶ姿が垣間見えれば、人は頑張っていけます。自分と他人のwin winを創造すれば我慢もできます。生きる方向性がはっきりと自分で自覚できれば喜びに満ちた生活を送ることができ自分の人生は充実したものになります。
人生百年時代で、混迷の時代でもありますが、ベクトルだけはいつも同じ方向を向いていたいと想います。
ただ、人生振り返ってみても一直線にその方向へ進むことはほぼありません。時には1歩後退し2歩前に進むこともあるでしょう。また、右に左に迷いながらスパイラルに進むこともあるでしょう。
いずれにせよ、大切な事は、行こうとする方向だけはいつも不動であって欲しいのです。いわゆるぶれないといいう事です。ぶれなければ、何があってもすぐ軌道修正ができ正しい道に戻ることができるのです。まあ、人生ぶれずに直線でなくともスパイラルに進むことができればいいでしょう。
わたしはいつも1歩後退してもいい、その後、2歩前進すれば必ず1歩は前に進むことができるからと想っています。1歩後退は1歩前進の為の貴重なステップです。よく観察していると、鳥が飛び立つ前は、必ず脚を一旦すくめてから勢いよく飛び立ちます。その動作がないと、前に進めないのです。急がなくていい、ステップバイステップです。急がば回れという言葉もあります。まさに言い得て妙とはこのことだと想います。火山の噴火も同じようなものです。噴火前はマグマが溜まって圧縮されます。その後、限界まで来たときに爆発するのです。それは人間(じんかん)でも同じようなことだと想います。自然は最高の我が師匠です。学びは自然から、しかもごく自然にがモットーです。常に自己肯定感を持ってぶれない事、Viva nature!