想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

自然界の仇花 コロナ

2021年08月09日 | エッセイ
コロナ2年8月9日

   自然の中に溶け合っていると雑草といえども、美しく感ずる。美しいものを見ると感情が感性になり.やがてそれは情操にまで高まる。コロナもよく見れば自然に咲いた仇花、雑草の様なものではないだろうか。
   あの電子顕微鏡のコロナの写真さえ、美しく見える。コロナにも生があれば、やがて死が訪れる。それが自然、大切な事は自然に全てをまかせ、自然に帰る事だ。
 ルソーは自然に帰れと言いった。自然の懐は深い、海よりも深く山よりも高い。
 人とて生物の一員、自然を越える事はなく、自然の中で生を受け死を迎える。永遠の生命を得るまでは、それがまた、自然なのだ。自然の摂理のなせる技である。淀みに浮かぶ泡沫もかつ消えかつ結びたるのも運命。
 vita nature!
自然に帰依しょう。それがあなたの永遠の生命につながるのだ。自然こそ、すべてを司る根本であり、その根底にあるのが、自然の摂理である。私はその摂理を神として信じている。それを人間は超えることが出来ないと早く悟らないと、いつまでたっても、コロナと人間の追いかけっこは終わらない。
with-cronaの行き着く先は人類との共存に違いない。それは、後、5年もたてば分かる事だろう。ワクチンをいくら沢山打っても終わりはない。どちらも歩み寄ってこそ、共存に道が開ける。







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野菜を鑑賞する!苦瓜の七変化?

2021年08月08日 | 我が家の庭
コロナ2年8月8日
 息子が苦瓜が好きだということもあり、今年は緑のカーテンを苦瓜をメインにして作ってみました。
最初、花が咲き、あれほど小さかった実でしたが、お天道さんの光を浴び、食べ頃になり、その後様子を観察してますと、最初は、完熟の印としてオレンジが緑の中に出てきたと思ったら、その後急速に朱色にまで変化してきました。
 今までは、食べる為の苦瓜から、急速に見て楽しむ苦瓜にここ2、3日変わりました。
 その朱色の美しい事、また、成熟するにつれ、表面の皮がぱっくり口を開け、その中にある種も真っ赤になり、その変化も日に日に変わっていく様子は、見ていても飽きませんでした。
 まさに、見てよし、食べてよしの苦瓜だなと、実感した次第です。
 また、熟して落ちた苦瓜を見つけました。あす、もったいないので調理をして食べようかと思っています。ネットで調理法を色々調べたいと思います。
 試しに、ちょっと今日赤い所を食べてみましたら、苦味がなくなっていたのには驚きでした。
 とにかく、成熟してから、落下するまでの変化が目まぐるしいのには驚嘆している所です。





中に小人でも住んでいるのかな?


刻々と色が変化していきます。


まだら色になってきています。


思ったよりかわいい苦瓜の花



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緑のカーテン2021

2021年08月04日 | 園芸
コロナ2年8月4日
 今年も、緑のカーテンができました。昨年はナタマメ中心でしたが、今年はメインをニガウリにし、その脇に朝顔、ナタマメを配置しました。
 リビングから、その垣根を見ると、涼しさを、また、一段と感じます。来年は、綺麗な朝顔をもっと種類を多くして楽しみたいと思います。











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暗号通貨が世界で初めて国家通貨になった中米エルサルバドル

2021年08月02日 | エッセイ
コロナ2年8月2日
 コロナ禍を初め世界は今、社会や自然が大きく変化している。諸行無常は常なる事なので、当たり前でもあるのだが、その変化がここ数年激しくなっている。温暖化のリスクも日増しに増大し、ここ10年が勝負だといわれている。欲望の資本主義も間もなく大きな変革をしないと、地球ももう、持たない。コロナ禍も増えすぎた人口を削減するなどの謎情報も出回り、益々世界は混とんを極めている。中国の三峡ダム破壊なども温暖化がらみの大きなニュースになっている。
 さて、そんな中で貨幣経済に大きな出来事があった。それは、ここ数年でITの発達に伴って変化してきた通貨である。物々交換から始まった貨幣の流れも、今では単なる紙幣からデジタル通貨に移り始めた。いわゆる仮想通貨すなわち暗号通貨である。銀行も低金利にあえぎ、不要論さえ聞こえてくる始末である。
 仮想通貨といえば、星の数ほどあるが、ビットコインがメインである。ブロックチェンの技術を使って通貨の変革を担う役目を背負っているわけであるが、ついに、エルサルバドルが世界で初めて国家通貨として認定された。その国について、少し調べてみると、流れが暗号通貨に行く必然があった。出稼ぎによるお金がその国の経済の20%近くにいっていたのだ。送料無料の暗号通貨はメリットが多かったのである。今後も、その様な特異な事情を持つ国が後に続くだろうと、安易に予想される。時代は刻々と動いている。金の流れは、血液の流れに似ている。振替手数料が無料となれば、そこに流れるのは自明の理であろう。水は低きに流れるのが、自然の理である。
 ついに、その流れが来たなと想う。どこの国であれ、初めての国家通貨に採用され多々問題はあるかと想うが私としては今後の貨幣システムがどう動いていくかを大所高所見ていこうと想う。
 私も、試しにBITコインを少し保有して久しい。どんな時代でも、変化していくときは直線でなく、左右前後にぶれながらリズムを作って発展していくものである。今では、色々課題も含んでいるのも確かなのだが、誰よりも早く体験する先行経験は未知の時代の大切な価値であろう。その流れが持つベクトルの方向を静かに見守っていきたい。
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XXすれば、自ずとYYになる→想いという抽象は手立てや手続きという具象に変えてこそ実現する

2021年08月01日 | エッセイ
コロナ2年8月1日
 人は幸せになりたい。お金持ちになりたい。思いやりのある人になりたい。家を建てたい。と、なりたい病になっています。しかし、このなりたいというXXの想いだけでは、YYはそう簡単には実現しません。
 大切なことは、こうなりたいならば、そのことだけ想っていても、いつまでも実現されないのです。それは、直接想うだけでなく、こうすれば、そうなるはずだというロジックが大切なのです。そのロジック通りにやれば、誰がやってもそうなるのです。それは、究極的には自然現象だからです。
 現代人は何でも効率優先で早くやりたがります。しかし、早くできればその夢も早く冷めます。その実現にはそのロジックを無視しては絶対実現しません。それは自然界普遍の原理だからです。というと憲法の人類普遍の原理を想いだすでしょう。その普遍です。
 例えば、自然を見ていると実にそのロジックがよく分かります。それだから、「自然は最高の師である。」と言えるんです。私の生涯の師匠でもあります。
 風の流れを起こしたいと想えば、気圧差を作ることです。そうすれば、必ず空気は気圧の高い方から、低い方に流れていきます。それが風なんです。しかし、その前提には空気がなければいけません。真空では風は起きないのです。  
 風がないな、風が吹いてほしいな、と想っていても風はおきません。想いだけでは実現しないのです。
 しかし、気圧差を作れば必ず風は気圧の高い方から、低い方に流れ出すのです。そして、それは、気圧差がなくなるまで続きます。気圧差がなくなり、凪が現れ、その後、また、気温の変化も起き、また、その為に気圧差ができ、高温では空気が膨張し、気圧は低くなり、低温では空気が圧縮され気圧が高くなるのです。不思議といえば不思議なんですが、当たり前といえば当たり前の自然法則です。それが、自然であり、文字通り、自ずと然るべきことなんです。だから、自然と書きます。
 その自然を操っているそのものを、私は神(自然の摂理)として、信仰にしています。
 毎日起こる落雷や集中豪雨でおこる洪水、森羅万象の出来事など、すべて、それは神の意志そのものでもあるのです。その実現の物理現象を客観的な筋立てでまとめたものが、原理です。
 そして、人間界で起こるすべての社会現象も、つまるところ、このような物理的な現象の上に社会現象として表れてくるのです。
 ですから、今まで「あなたは文系か理系か。」との質問は私に取っても無意味になります。今まで、とかく、色々なことを分けて考えてきましたが、これからは、これらを総合止揚して考えていかないと現在社会も理解できない時代になりました。
 いわゆるすべてをつなぎ目で区切るのでなく、シームレスにつないで考えるのです。だから、私は文系だ理系だといって分ける考えには反対です。それは差別を生む源泉となります。すべては陰陽始め男女、国際社会など繋がっているのです。陰と陽の間にもグレーがあり、男女の間にもグレーなゾーンがあるのです。違いに目をむけるのでなく、同質に目を向けるのです。それが、相互理解に繋がります。
 所で、ここでいう金持ちになりたい、幸せになりたい、人から良く思われたいなどの社会的な欲求は自然現象と一見違うように想われていますが、よくよく根底を考えてみますと、やはり根底には物理現象で繋がっているのです。そのことに気づくことが大切です。
 昔、まだ、30代前半の教師をやっていた頃、私は中高の社会科と小学校の免許を持って教職生活をしていました。当時は高校で電気を専攻していた関連もあり、小学校教諭として教育機器の活用を中心に研修を進めていました。ある日、教育センターの指導主事をやっていたYさんと話をしているうちに、私は「世の中は、すべて社会現象であるから、中高の免許は社会科の免許を取った。」と話したところ、センターで研究員をやっていた彼は「すべては物理現象じゃない。」と、いっていたのが今でも印象に残っています。
 当時の私は、あっ彼にはやられたなと想ったことがありました。そうです。社会現象もその根本は物理現象の上に成り立っているのだなと、あらためて想った事を追想しています。
 私は何でも根本に遡って考えることが好きですが、なぜ、そのことに想いが行かなかったかと今でも反省をしております。ナチュラリストで、エセンシャリストの私としては浅はかだったなと想います。
 さて、これらのなりたいを具体化させる方法についてはまた、別な所でまとめてみたいです。
 
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