先日の敦賀市での演説会で市田書記局長が小林多喜二にふれ、「どんな弾圧をうけても信念を曲げない人。国民にとってこれほど頼りになる存在はなかった」と話されました。
kei.sugarのCD「多喜二の愛した音楽」を帰ってから聞きました。小林多喜二が文学だけでなく、音楽にも関心をもち深い造詣があったことがしのばれる作品です。
歌詞につけられたkei.sugarさんのコメントも素晴らしい。
いくつか紹介しましょう。
★
ラ・マルセイエーズ
フランス国歌
いざ進もう祖国の子どもたちよ
栄光の日がやってきた
血塗られた暴政の軍旗がひるがえる
聞こえるか獰猛な兵士らのうなり声が
迫ってくる
われらの子や妻たちののどをかききるために
武器を取れ市民よ
隊を組め
進め、進め
彼らのけがれた血が
われらの大地を染めるまで
(Kei.sugar日本語訳)
ラ・マルセイエーズは、歌っていると気分が高揚するフ
ランス国歌。弟三吾さんの回想によると、多喜二はこの曲
を原語のフランス語で歌っていました。
■
二一ナ チャンビ作曲(イタリヤ語)
Tre giomi son che Nina,che Nina,che Nina
in letto se ne sta,in letto se ne sta.
Pifferi,timpani,cembali,
svegliate mia Ninetta,svegliate mia Ninetta,
acciò non dorma più,accio non dorma più,
svegliate mia Ninetta,svegliate mia aninetta,
acciò non dorma più,accio non dorma più.
私の二一ナ
三日経っても目覚めぬ二一ナ
笛、太鼓、シンバルで
目覚めよ二一ナ、目覚めよ二一ナ
これ以上眠らぬよう
目覚めよ二一ナ、目覚めよ二一ナ
これ以上眠らぬよう
(Kei.Sugar日本語訳)
愛する人を再び目覚めさせようとする「二一ナ」。
その歌詞が、特高警察のひどい拷問を受けて死んだ多喜
二の遺体に向かって、母セキさんが、「あんちゃん、みな
さんの見ている前でもう一度立て。立ってみせろ」と慟哭
した姿と重なります。
■
まぼろしの影を追いて(賛美歌510番)
1.まぼろしの影を追いて浮き世にさまよい
うつろう花に誘われ行く汝が身のはかなさ
※春は軒の雨秋は庭の露
母は涙乾く間なく祈ると知らずや
2.幼くて罪を知らず胸に枕して
むずがりては手に揺られし昔忘れしか
※繰り返し
3.汝がために祈る母のいつまで世にあらん
とわに悔ゆる日の来ぬ間にとく神に帰れ
※繰り返し
多喜二が少年時代にきょうだいでよく歌った歌。治安
維持法により逮捕、勾留されていた多喜二に、姉のチマ
さんは、母セキさんの代筆として送った手紙に、この曲
の歌詞を添え、「この歌が今こそ始めて、本当の意味をもっ
て、お前が独房の中で思い起し、歌わなけれならない歌だ」
と書いたそうです。その歌詞からは、セキさんやチマさ
んの多喜二への思いがしのばれると同時に、母や姉の思
いを理解しつつ、自らの信念を貫こうとした姿に心揺さ
ぶられます。
■
そして、Kei.Sugarさんの作詞・作曲。
多喜二へのレクイエム Kei.Sugar詩・曲
1.目の前の苦しみから背を向けたくなるとぎ
私は思い出すだろう多喜二あなたのことを
貧しさと束縛から人々を解ぎ放つため
あなたは小説を書き続けたそれだけで殺された人
※どれだけ生ぎたかっただろう
どれだけ語りたかっただろう
どれだけ書き続けたかっただろう
どんなに愛したかっただろう
あなたが命をかけ守ろうとしたもの
今私たちがこの手で守りぬきたい
この時代を生きる私たちが
2.いいようのない悲しみにつつまれたとき
私は思い出すだろう多喜二あなたのことを
闇があるから光があると愛する人を励ました
その身を試練に置ぎながらいつもほほえんでいた
※繰り返し(ハングル米澤清恵訳)
3.この国があやまちを再ぴおかさぬよう
私は胸に刻もう多喜二あなたのことを
あなたを語ることは過去を見つめ
未来を語ること
今日に感じ明日に伝える多喜二あなたのことを
※繰り返し
あなたが命をかけ守ろうとしたもの
今私たちがこの手で守りぬきたい
この時代を生きる私たちが
多喜二が目の前にいるような気持ちで、自分に問いかけ
るように詩を書きました。1926年10月2目付けの日記
「ベートーヴェンの第九交響楽のようなのがつくりたい」
という言葉にふれ、歓喜の歌が、多喜二の創造、生へのエ
ネルギーのように思えました。07年4月、韓国で歌った
ハングルの詩を加えて。
★
多喜二は虐殺される3ヶ月前に、弟の三吾さんとベートーベンのバイオリン協奏曲の演奏会に出かけたそうです。
革命に身を投じ、文学でたたかいを描き鼓舞し、音楽を愛した多喜二。
29歳の若さで生きることを封じられた青春。
市田書記局長は多喜二の生き様を紹介し、「この日本共産党の党名を変えるわけにはいきません」「日本共産党を語り、総選挙に勝ちましょう」と訴えられました。
「派遣ぎり」吹き荒れる日本。「蟹工船」で注目をあつめた多喜二。その豊かな感性を多くの人が知れば素晴らしいと思ったCDでした。
★
CD「多喜二が愛した音楽」のお問い合わせは、
office hara 06-6882-0232。 1500円です。
kei.sugarのCD「多喜二の愛した音楽」を帰ってから聞きました。小林多喜二が文学だけでなく、音楽にも関心をもち深い造詣があったことがしのばれる作品です。
歌詞につけられたkei.sugarさんのコメントも素晴らしい。
いくつか紹介しましょう。
★
ラ・マルセイエーズ
フランス国歌
いざ進もう祖国の子どもたちよ
栄光の日がやってきた
血塗られた暴政の軍旗がひるがえる
聞こえるか獰猛な兵士らのうなり声が
迫ってくる
われらの子や妻たちののどをかききるために
武器を取れ市民よ
隊を組め
進め、進め
彼らのけがれた血が
われらの大地を染めるまで
(Kei.sugar日本語訳)
ラ・マルセイエーズは、歌っていると気分が高揚するフ
ランス国歌。弟三吾さんの回想によると、多喜二はこの曲
を原語のフランス語で歌っていました。
■
二一ナ チャンビ作曲(イタリヤ語)
Tre giomi son che Nina,che Nina,che Nina
in letto se ne sta,in letto se ne sta.
Pifferi,timpani,cembali,
svegliate mia Ninetta,svegliate mia Ninetta,
acciò non dorma più,accio non dorma più,
svegliate mia Ninetta,svegliate mia aninetta,
acciò non dorma più,accio non dorma più.
私の二一ナ
三日経っても目覚めぬ二一ナ
笛、太鼓、シンバルで
目覚めよ二一ナ、目覚めよ二一ナ
これ以上眠らぬよう
目覚めよ二一ナ、目覚めよ二一ナ
これ以上眠らぬよう
(Kei.Sugar日本語訳)
愛する人を再び目覚めさせようとする「二一ナ」。
その歌詞が、特高警察のひどい拷問を受けて死んだ多喜
二の遺体に向かって、母セキさんが、「あんちゃん、みな
さんの見ている前でもう一度立て。立ってみせろ」と慟哭
した姿と重なります。
■
まぼろしの影を追いて(賛美歌510番)
1.まぼろしの影を追いて浮き世にさまよい
うつろう花に誘われ行く汝が身のはかなさ
※春は軒の雨秋は庭の露
母は涙乾く間なく祈ると知らずや
2.幼くて罪を知らず胸に枕して
むずがりては手に揺られし昔忘れしか
※繰り返し
3.汝がために祈る母のいつまで世にあらん
とわに悔ゆる日の来ぬ間にとく神に帰れ
※繰り返し
多喜二が少年時代にきょうだいでよく歌った歌。治安
維持法により逮捕、勾留されていた多喜二に、姉のチマ
さんは、母セキさんの代筆として送った手紙に、この曲
の歌詞を添え、「この歌が今こそ始めて、本当の意味をもっ
て、お前が独房の中で思い起し、歌わなけれならない歌だ」
と書いたそうです。その歌詞からは、セキさんやチマさ
んの多喜二への思いがしのばれると同時に、母や姉の思
いを理解しつつ、自らの信念を貫こうとした姿に心揺さ
ぶられます。
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そして、Kei.Sugarさんの作詞・作曲。
多喜二へのレクイエム Kei.Sugar詩・曲
1.目の前の苦しみから背を向けたくなるとぎ
私は思い出すだろう多喜二あなたのことを
貧しさと束縛から人々を解ぎ放つため
あなたは小説を書き続けたそれだけで殺された人
※どれだけ生ぎたかっただろう
どれだけ語りたかっただろう
どれだけ書き続けたかっただろう
どんなに愛したかっただろう
あなたが命をかけ守ろうとしたもの
今私たちがこの手で守りぬきたい
この時代を生きる私たちが
2.いいようのない悲しみにつつまれたとき
私は思い出すだろう多喜二あなたのことを
闇があるから光があると愛する人を励ました
その身を試練に置ぎながらいつもほほえんでいた
※繰り返し(ハングル米澤清恵訳)
3.この国があやまちを再ぴおかさぬよう
私は胸に刻もう多喜二あなたのことを
あなたを語ることは過去を見つめ
未来を語ること
今日に感じ明日に伝える多喜二あなたのことを
※繰り返し
あなたが命をかけ守ろうとしたもの
今私たちがこの手で守りぬきたい
この時代を生きる私たちが
多喜二が目の前にいるような気持ちで、自分に問いかけ
るように詩を書きました。1926年10月2目付けの日記
「ベートーヴェンの第九交響楽のようなのがつくりたい」
という言葉にふれ、歓喜の歌が、多喜二の創造、生へのエ
ネルギーのように思えました。07年4月、韓国で歌った
ハングルの詩を加えて。
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多喜二は虐殺される3ヶ月前に、弟の三吾さんとベートーベンのバイオリン協奏曲の演奏会に出かけたそうです。
革命に身を投じ、文学でたたかいを描き鼓舞し、音楽を愛した多喜二。
29歳の若さで生きることを封じられた青春。
市田書記局長は多喜二の生き様を紹介し、「この日本共産党の党名を変えるわけにはいきません」「日本共産党を語り、総選挙に勝ちましょう」と訴えられました。
「派遣ぎり」吹き荒れる日本。「蟹工船」で注目をあつめた多喜二。その豊かな感性を多くの人が知れば素晴らしいと思ったCDでした。
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CD「多喜二が愛した音楽」のお問い合わせは、
office hara 06-6882-0232。 1500円です。