前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

前福井県議会議員・さとう正雄の活動日誌。ご意見・情報は smmasao.sato@gmail.com までお願いします。

安曇野の思い出

2009年03月26日 | Weblog
     昨日今日は、宣伝や生活相談活動など。相談活動では、「親族の離婚問題」「土地問題」「返済の問題」などさまざま。問題によっては自由法曹団の弁護士の方といっしょに相談にのった。
     今朝は冬の寒さが戻ったなか、問題のパナソニック関連の工場前で宣伝。鈴木市議や西村元市議、南県委員長らとともに、宣伝カーから雇用対策や経済政策を訴えて、党のチラシを配布した。「お疲れさまです」など声をかけていく人も多かった。働く人の立場でがんばっている日本共産党に共感が広がっているのかな、と思う。

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学生時代に「安曇野は最高だぞ」と誘われて先輩と「旅した」。「佐藤、臼井の安曇野、読んでないのか」などと言われ、ユースホステルに泊まった。が、先輩は常連らしく「××さん、久しぶり」などとみんなから声をかけられている。しかし、驚いたのは本名ではなく、「ペンネーム」だったことだ。
    夜はみんなでわいわいやって、「翌日は観光かな」と期待していたら、農家の方が求人にきた。朝から「よーし、今日はバイトだ」となって、1日トマトもぎのバイト。
これが結構重労働。しばらく、トマトやトマトジュースをみるとげんなりしてた。

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    先日亡くなった加藤周一氏は、日本が開戦した12月8日の夜、ガラガラの新橋演舞場で文楽を観たという。
「日米開戦を知って、東京が灰燼に帰するのは時間の問題。生きているうちに」、と書いている。
   その加藤氏が宮本顕治氏と最初に会った印象を書いている。「印象は強烈だった。その風貌は精悍。その発言は理路整然。さすがに日本ファシズムの凶悪な政権に対し反戦を貫いてきた人物の気迫がみなぎっていた。宮本氏には相手に圧迫感を感じさせないような、しかし見紛がう余地のない一種の迫力があった」。
  その縁をとりもったのが「安曇野」を書いた臼井吉見氏だという。
  加藤氏との対談に消極的だった宮本氏を臼井氏が説得したというのはおもしろい。風土のなせる業か。
  その後、加藤氏は折に触れて日本共産党にたいする期待や注文をよせてくださった、と聞く。


げんげ田 に白壁映えて 槍 穂高 常念ヶ岳
国ばしらとわにそば立ち 烏川流れさやけし       (臼井)
※ げんげ・・・れんげ


  あれから30有余年、安曇野を訪ねてはいない。