前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

前福井県議会議員・さとう正雄の活動日誌。ご意見・情報は smmasao.sato@gmail.com までお願いします。

改めて原発県政を考える

2009年05月11日 | Weblog
   今朝は、かねもと幸枝さんと県庁前で朝の街頭宣伝。その後、ハローワーク前で宣伝。自民党県議会議員の会社を解雇された、という青年も。なんたることか。
こういう時期こそ、あらゆる手だてで雇用を維持する先頭に立たなくてはいけないのではないか。先日、紹介した町工場の社長さんを見習ってほしいものだ。
   県庁も、議会から言われるだけでなく、「経営者」県議会議員も多いのだから、まず足元から雇用維持を訴えたらどうか。

  さて、先日、原発問題住民運動福井県連絡会で、福井大学名誉教授の庄野義之先生を講師に福井県の原発の歴史などをお聞きした。

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  1970年に敦賀1号、美浜1号が稼動しているので、福井県の原発は40年を迎える。その当時は、いまと違って情報公開などはほとんどなかった、という。安全の説明がないまま急速に増設されたのが福井の原発。
   先生ご自身、なぜ批判的なのか。技術的問題として安全が確立していない。高レベルの放射能のゴミなどどうするか。トータルシステムの安全性が不十分。
  地域では、結局「カネ」の問題になってしまい、原発依存になってしまった。
  振り返れば、戦争に利用されたということで原子力は不幸なスタートだった。日本でも、中曽根が学者の頬を札束でたたくような手法で推進した、と批判された。
  いま、平和利用といいながら、プルトニュウムの取り出し。もんじゅ・プルトニュウムリサイクル路線。・・・・この流れで原発をどんどんすすめるのがいいのか。

  これまで、美浜1号の蒸気発生器細管破断、敦賀の放射能ふくんだ廃液たれ流し、大飯1号の緊急冷却装置の誤作動、もんじゅのナトリウム火災事故、美浜3号機の配管破断事故・・・・地震による柏崎原発被災。大きな事故が繰り返されてきた。

   日本の原子力行政に、独立した規制機関がないのは大問題。
   国や福井県がすすめるプルトニュウム路線は安全にモノになるか、は疑問。もんじゅのナトリウム冷却にも無理がある。再処理問題ふくめて、よほどの技術の大飛躍がないと難しい。
   こういう点で、日本は地道に原子力をやっていく、という姿勢に欠けている。また、アメリカとの深い関係に拘束された原子力行政であり、日本独自の発展が妨げられている。

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  「いけいけどんどん」で福井県も国の原発推進に丸ごと協力しているが、あらためて、批判的な検証が必要でしょう。
  事故が起こったときだけ、こぶしをふりあげるような「場当たり」的な対応は、本当に県民の命と安全に責任をもつ態度とはいえないのではないでしょうか。