昨日は、福井市内で街頭宣伝。豊岡では、年配の男性が宣伝中にちかづいてこられて激励。マイクで「ありがとうございます!」。大宮では消費税増税許すな、のくだりで高校生からも声援。未来の有権者からのご支援もありがたいねえ。
ところで、昨日は沖縄県の施政権がアメリカから日本に返還されて37年。地元紙・琉球新報は書く・・・・沖縄は15日、本土復帰から満37年を迎えた。四次にわたる国の沖縄振興計画によって社会資本の整備が進んだものの、全国一低い県民所得や高い失業率など、経済自立の目標はなお道半ばだ。“アメリカ世”から“大和世”へと社会は様変わりしたが、米軍基地から派生する事件・事故はいまも後を絶たず、名護市辺野古への新たな基地建設問題で揺れている・・・・・
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福井県民として、沖縄問題をみる時に忘れてはならないのは、佐藤元首相の密使をつとめた福井出身の若泉敬氏のことだろう。著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」は、私も発売後すぐ買って読んだ。
なぜ、氏が重大な核密約を告白したのかはわからない。しかし、この密使としての活動が、氏に重い自責の念をいだかせていたことは明らかだろう。それゆえに、出版社に対し、絶版を認めない約束をしたものと推察される。そのことを裏付ける記事が4年前の琉球新報に載っている。
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2005年5月14日琉球新報・・・・「核密約」遺書でわびる 密使として関与の故・若泉敬氏・・・・・ 著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の中で沖縄返還交渉において、自らが佐藤栄作首相=当時=の密使として核持ち込み密約にかかわったことを告白した元京都産業大学教授・若泉敬氏(1996年死去=享年66歳)の遺書の写しがこのほど、関係者の手により明らかになった。遺書は1994年6月23日の日付で、県民と、当時の大田昌秀県知事(現参院議員)あて。この中では、核持ち込み密約にかかわった自らの責任を悔い「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自決)します」と記されている。
慰霊の日のこの日、若泉氏は同墓苑に喪服姿で参拝に訪れている。これまでも自決するために沖縄を訪問したといわれており、遺書の内容はこれを裏付けるものとなった。
遺書は「嘆願状」の題目で10行の便せん5枚。自らの著書により県民に「新たな不安、心痛、憤怒を惹(ひ)き起こした」と述懐。沖縄返還交渉で緊急時の核の再持ち込みの「密約」が交わされたとされる1969年の日米首脳会談以来、密使としてかかわった自らの責任の重さを記している。
墓苑での自決を思いとどまった若泉氏は、著書の英訳出版など日米関係の実態をさらに広めようとしたが、96年7月27日、すい臓がんのため死去した。
若泉氏の同墓苑参拝に立ち会うなど、92年から亡くなる直前まで取材した琉球朝日放送(QAB)報道制作局長の具志堅勝也さん(50)がこのほど、同氏の弁護士から遺書の写しを入手した。具志堅さんは「いつも沖縄のことを気に掛けている人だった。本土復帰は良かったのかと質問を受けたこともある。密約は県民にとってありがたい話ではないが、歴史の裏に隠された真実を知ってほしい」と話した。・・・・・・・・・
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氏の著書の絶版を氏が許すのは、日米安保条約が廃棄され、沖縄をはじめ日本全土から外国の軍事基地が撤去され、日本に核兵器が持ち込まれる可能性がなくなった時かもしれない。もっとも。オバマ大統領のさらなる積極的なイニシアチブと世界の世論と運動で核兵器そのものが廃絶される希望もある。
それにしても、「密約」は、政府が事態に則して検討し決定する道も、憲法で「国権の最高機関」と明記されている国会の決定権もはじめから排除しているわけで、主権侵害の「密約」は本来認められない。このような「密約」は廃棄するのが当然だろう。
ところで、昨日は沖縄県の施政権がアメリカから日本に返還されて37年。地元紙・琉球新報は書く・・・・沖縄は15日、本土復帰から満37年を迎えた。四次にわたる国の沖縄振興計画によって社会資本の整備が進んだものの、全国一低い県民所得や高い失業率など、経済自立の目標はなお道半ばだ。“アメリカ世”から“大和世”へと社会は様変わりしたが、米軍基地から派生する事件・事故はいまも後を絶たず、名護市辺野古への新たな基地建設問題で揺れている・・・・・
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福井県民として、沖縄問題をみる時に忘れてはならないのは、佐藤元首相の密使をつとめた福井出身の若泉敬氏のことだろう。著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」は、私も発売後すぐ買って読んだ。
なぜ、氏が重大な核密約を告白したのかはわからない。しかし、この密使としての活動が、氏に重い自責の念をいだかせていたことは明らかだろう。それゆえに、出版社に対し、絶版を認めない約束をしたものと推察される。そのことを裏付ける記事が4年前の琉球新報に載っている。
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2005年5月14日琉球新報・・・・「核密約」遺書でわびる 密使として関与の故・若泉敬氏・・・・・ 著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の中で沖縄返還交渉において、自らが佐藤栄作首相=当時=の密使として核持ち込み密約にかかわったことを告白した元京都産業大学教授・若泉敬氏(1996年死去=享年66歳)の遺書の写しがこのほど、関係者の手により明らかになった。遺書は1994年6月23日の日付で、県民と、当時の大田昌秀県知事(現参院議員)あて。この中では、核持ち込み密約にかかわった自らの責任を悔い「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自決)します」と記されている。
慰霊の日のこの日、若泉氏は同墓苑に喪服姿で参拝に訪れている。これまでも自決するために沖縄を訪問したといわれており、遺書の内容はこれを裏付けるものとなった。
遺書は「嘆願状」の題目で10行の便せん5枚。自らの著書により県民に「新たな不安、心痛、憤怒を惹(ひ)き起こした」と述懐。沖縄返還交渉で緊急時の核の再持ち込みの「密約」が交わされたとされる1969年の日米首脳会談以来、密使としてかかわった自らの責任の重さを記している。
墓苑での自決を思いとどまった若泉氏は、著書の英訳出版など日米関係の実態をさらに広めようとしたが、96年7月27日、すい臓がんのため死去した。
若泉氏の同墓苑参拝に立ち会うなど、92年から亡くなる直前まで取材した琉球朝日放送(QAB)報道制作局長の具志堅勝也さん(50)がこのほど、同氏の弁護士から遺書の写しを入手した。具志堅さんは「いつも沖縄のことを気に掛けている人だった。本土復帰は良かったのかと質問を受けたこともある。密約は県民にとってありがたい話ではないが、歴史の裏に隠された真実を知ってほしい」と話した。・・・・・・・・・
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氏の著書の絶版を氏が許すのは、日米安保条約が廃棄され、沖縄をはじめ日本全土から外国の軍事基地が撤去され、日本に核兵器が持ち込まれる可能性がなくなった時かもしれない。もっとも。オバマ大統領のさらなる積極的なイニシアチブと世界の世論と運動で核兵器そのものが廃絶される希望もある。
それにしても、「密約」は、政府が事態に則して検討し決定する道も、憲法で「国権の最高機関」と明記されている国会の決定権もはじめから排除しているわけで、主権侵害の「密約」は本来認められない。このような「密約」は廃棄するのが当然だろう。