2007年末に東北大学名誉教授の服部文男氏が亡くなって、最近マルクス・エンゲルス研究者による追悼誌がだされた。
富塚良三・中央大学名誉教授の追想は、東大経済学部以来60年余の交友に心あたたまる。ゼミでは5~6時間ぶっとおしで議論し、そのことが学者の基礎をつくった、とのくだり。別に何の用事もあるわけではなかったが、会っているとお互いなんとなく気が休まり、のんびりした気分になれた、とのくだりなど、なるほどなあ、と感じた。
さて、大村泉・東北大学大学院教授が共産主義政党の規約「前文」についての服部論文を紹介している。
この論文のなりたちに大村氏が関与していたことが明かされている。それは、「労働者階級の前衛部隊、との規定はソ連・東欧で共産党が一党独裁をすすめるときの根拠となったのではないか。そもそもマルクス、エンゲルスはそのような規定をしていないのではないか」との疑問を投げかけたのだという。
研究によれば、1934年のソ連共産党第17回大会が嚆矢であり、日本共産党規約もそれを踏襲したのでは、とのことだ。
わたしも、改めて当時の服部論文を探し出して読み直した。たしかに、服部氏は1995年に、論文「共産主義政党の規約『前文』の成立過程」を発表している。
そしてその後、日本共産党は2000年の第22回大会で規約から「前文」を削除している。前衛政党という規定は、「科学的社会主義の事業の歴史のなかでみれば、一時的にあらわれた規定」であるとの認識の発展からである。
大村氏は「日本共産党の幹部諸氏も、服部論文に一定の関心が払われていたようにも思われる」と書いている。
ところで、当時「雑誌『前衛』の編集長が一番頭を悩ましているのではないか」といわれた。なかなか雑誌の名前の変更というのは難題。服部先生ならどんな知恵をだしたでしょうか。
富塚良三・中央大学名誉教授の追想は、東大経済学部以来60年余の交友に心あたたまる。ゼミでは5~6時間ぶっとおしで議論し、そのことが学者の基礎をつくった、とのくだり。別に何の用事もあるわけではなかったが、会っているとお互いなんとなく気が休まり、のんびりした気分になれた、とのくだりなど、なるほどなあ、と感じた。
さて、大村泉・東北大学大学院教授が共産主義政党の規約「前文」についての服部論文を紹介している。
この論文のなりたちに大村氏が関与していたことが明かされている。それは、「労働者階級の前衛部隊、との規定はソ連・東欧で共産党が一党独裁をすすめるときの根拠となったのではないか。そもそもマルクス、エンゲルスはそのような規定をしていないのではないか」との疑問を投げかけたのだという。
研究によれば、1934年のソ連共産党第17回大会が嚆矢であり、日本共産党規約もそれを踏襲したのでは、とのことだ。
わたしも、改めて当時の服部論文を探し出して読み直した。たしかに、服部氏は1995年に、論文「共産主義政党の規約『前文』の成立過程」を発表している。
そしてその後、日本共産党は2000年の第22回大会で規約から「前文」を削除している。前衛政党という規定は、「科学的社会主義の事業の歴史のなかでみれば、一時的にあらわれた規定」であるとの認識の発展からである。
大村氏は「日本共産党の幹部諸氏も、服部論文に一定の関心が払われていたようにも思われる」と書いている。
ところで、当時「雑誌『前衛』の編集長が一番頭を悩ましているのではないか」といわれた。なかなか雑誌の名前の変更というのは難題。服部先生ならどんな知恵をだしたでしょうか。