昨日は地域訪問活動や県常任委員会の会議でした。
地域訪問活動では、個人タクシーの方から「行政が税金で100円バスなどを応援して、われわれは苦しい。県民の所得を増やさずに、弱者救済の政策では問題は解決しない」とご意見。「とにかく、県議会に出てしっかり働いてくれ」と。わたしたちは、福井県にたいしても、行政が支援する福祉タクシー制度を提案し、総合的な高齢者ふくいの到来にそなえた交通政策を、と主張しています。財政は無限ではありませんので、将来の人口構造を考慮し、広域移動の新幹線は凍結し、この数十年は、買い物・通院などを支援する高齢者交通体系づくりを行政が責任をもつべき、と考えます。
今井正監督の「どっこい生きている」を観ました。この間、生活相談をうけたりしたみなさんとだぶって・・・・・。「どっこい生きている」との叫びがひびきましたね。
★
先日の毎日新聞福井版に支局長の新幹線についての「手紙」が掲載されていました。・・・・・
●支局長からの手紙:夢の新幹線 /福井
夏が終わり、憂うつな空の日が増えてきましたね。月曜の午後、自転車でJR福井駅前へ用事に出ると、急に激しい雨が降ってきて雨宿りをする羽目になりました。ちょうど目の前のビルにある「えきまえKOOCAN」で小学生が自分の夢を描いた絵の展示をしており、見学しました。
男子は野球やサッカーで活躍する夢が多かった。女子はバラエティーに富んでいましたが、お菓子でできた遊園地で遊んだり、スポットライトを浴びて歌う絵がかわいらしかった。スペースシャトルやジェット機といった乗り物を描いたものも並んでおり、その中に一つ、駅を発車する新幹線の絵があってはっとさせられました。
ここしばらく、夢をのせて新幹線を考えたことがなかったからです。なるほど、始動する流線型の先頭車両は風を切って疾駆する次段階を予感させ、かっこいい。
北陸新幹線の福井延伸問題では、原発立地の見返りとしての建設要求、今年こその期待を裏切られた後の県政界の責任の押し付け合い、立ち枯れの福井駅の高架と、ろくなイメージがわきません。
私は必ずしも福井延伸に反対ではありませんが、県内建設費とされる5300億円(うち福井県と市町の実質負担は800億~1000億円の県試算)も投入する価値があるのかどうかとなると、議論が不十分だと考えます。それもこれも、夢をもって新幹線が語られてこなかったからだと気づきました。
あの子の絵から連想してみましょう。新幹線駅を出ると、小規模でも活気のある街がそこにあるはずです。笑顔で集う市民、足早に歩くビジネスマン……。ところが、実情は正反対です。
大型公共工事による経済効果への期待も含め、新幹線をてこにした街づくりの考えもありますが、私は街が先だと思います。既存の新幹線にはさびれた場所へ無理に作った駅がありますが、たいして発展せず、投資に見合いません。新幹線は街づくりの道具ではなく、街と街をつなぐものです。そこをごまかしてはいけません。
福井市の幹部と話してみると、街づくりに一定の努力はしてきたようです。駅の西側に計画中の再開発ビルも、その一つ。地権が複雑に絡み合い、8年がかりで現在にこぎつけたとのこと。さらに、完成には早くても5年程度がかかる見込みのようです。
ただ、この10年を超える年月をどうみるか。その間に、どれほどの損失が生じているのか。加えて、日本の再出発時点であった戦後を65年も経ての現状です。
なぜ、これほど遅々として進まないのか。改めて原因を追及し、その反省に立って進行速度を上げなくてはなりません。国土政策上、太平洋側の新幹線とつながなければ北陸新幹線の意味は半減します。街の整備が進めば、そう後回しにはできないともいえます。
街づくりが進まない原因の一つに、市民が街づくりの夢を共有できなかったこと、行政がそれをよく導けなかったことがあるのではないでしょうか。開発を巡る損得は壁となりがちですが、どこでも同じです。夢が争いの一定の歯止めとなり、おのずと協力体制はできていくものです。
みんなでよい街を作ろうという呼びかけを強め、市民参加の街づくりの工夫をすることがなによりも重要でしょう。そこで新幹線も必要となるというなら、沿線各所でも同様の声があるとして、私は即座に賛成したいと思います。【福井支局長 戸田栄】・・・・・・
マスコミのみなさんのこういう冷静な「議論」を歓迎したいですね。
県民に対して、新幹線・在来線問題であまりに情報が提供されていません。また、新幹線の是非はともかくとして、在来線・・・通勤通学の足や、関西・中部などへのアクセス特急はどうなるのか、など県民の不安に福井県政と県議会はまともにこたえていません。
また、今後の数十年は生産年齢人口は福井県が急速に減少します。そして超高齢化時代が到来します。
その時に、多くの県民に必要とされるのは、新幹線なのか、車を失った大量の高齢者の移動手段なのか、・・・・責任ある見通しと対策が求められると思うのです。
地域訪問活動では、個人タクシーの方から「行政が税金で100円バスなどを応援して、われわれは苦しい。県民の所得を増やさずに、弱者救済の政策では問題は解決しない」とご意見。「とにかく、県議会に出てしっかり働いてくれ」と。わたしたちは、福井県にたいしても、行政が支援する福祉タクシー制度を提案し、総合的な高齢者ふくいの到来にそなえた交通政策を、と主張しています。財政は無限ではありませんので、将来の人口構造を考慮し、広域移動の新幹線は凍結し、この数十年は、買い物・通院などを支援する高齢者交通体系づくりを行政が責任をもつべき、と考えます。
今井正監督の「どっこい生きている」を観ました。この間、生活相談をうけたりしたみなさんとだぶって・・・・・。「どっこい生きている」との叫びがひびきましたね。
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先日の毎日新聞福井版に支局長の新幹線についての「手紙」が掲載されていました。・・・・・
●支局長からの手紙:夢の新幹線 /福井
夏が終わり、憂うつな空の日が増えてきましたね。月曜の午後、自転車でJR福井駅前へ用事に出ると、急に激しい雨が降ってきて雨宿りをする羽目になりました。ちょうど目の前のビルにある「えきまえKOOCAN」で小学生が自分の夢を描いた絵の展示をしており、見学しました。
男子は野球やサッカーで活躍する夢が多かった。女子はバラエティーに富んでいましたが、お菓子でできた遊園地で遊んだり、スポットライトを浴びて歌う絵がかわいらしかった。スペースシャトルやジェット機といった乗り物を描いたものも並んでおり、その中に一つ、駅を発車する新幹線の絵があってはっとさせられました。
ここしばらく、夢をのせて新幹線を考えたことがなかったからです。なるほど、始動する流線型の先頭車両は風を切って疾駆する次段階を予感させ、かっこいい。
北陸新幹線の福井延伸問題では、原発立地の見返りとしての建設要求、今年こその期待を裏切られた後の県政界の責任の押し付け合い、立ち枯れの福井駅の高架と、ろくなイメージがわきません。
私は必ずしも福井延伸に反対ではありませんが、県内建設費とされる5300億円(うち福井県と市町の実質負担は800億~1000億円の県試算)も投入する価値があるのかどうかとなると、議論が不十分だと考えます。それもこれも、夢をもって新幹線が語られてこなかったからだと気づきました。
あの子の絵から連想してみましょう。新幹線駅を出ると、小規模でも活気のある街がそこにあるはずです。笑顔で集う市民、足早に歩くビジネスマン……。ところが、実情は正反対です。
大型公共工事による経済効果への期待も含め、新幹線をてこにした街づくりの考えもありますが、私は街が先だと思います。既存の新幹線にはさびれた場所へ無理に作った駅がありますが、たいして発展せず、投資に見合いません。新幹線は街づくりの道具ではなく、街と街をつなぐものです。そこをごまかしてはいけません。
福井市の幹部と話してみると、街づくりに一定の努力はしてきたようです。駅の西側に計画中の再開発ビルも、その一つ。地権が複雑に絡み合い、8年がかりで現在にこぎつけたとのこと。さらに、完成には早くても5年程度がかかる見込みのようです。
ただ、この10年を超える年月をどうみるか。その間に、どれほどの損失が生じているのか。加えて、日本の再出発時点であった戦後を65年も経ての現状です。
なぜ、これほど遅々として進まないのか。改めて原因を追及し、その反省に立って進行速度を上げなくてはなりません。国土政策上、太平洋側の新幹線とつながなければ北陸新幹線の意味は半減します。街の整備が進めば、そう後回しにはできないともいえます。
街づくりが進まない原因の一つに、市民が街づくりの夢を共有できなかったこと、行政がそれをよく導けなかったことがあるのではないでしょうか。開発を巡る損得は壁となりがちですが、どこでも同じです。夢が争いの一定の歯止めとなり、おのずと協力体制はできていくものです。
みんなでよい街を作ろうという呼びかけを強め、市民参加の街づくりの工夫をすることがなによりも重要でしょう。そこで新幹線も必要となるというなら、沿線各所でも同様の声があるとして、私は即座に賛成したいと思います。【福井支局長 戸田栄】・・・・・・
マスコミのみなさんのこういう冷静な「議論」を歓迎したいですね。
県民に対して、新幹線・在来線問題であまりに情報が提供されていません。また、新幹線の是非はともかくとして、在来線・・・通勤通学の足や、関西・中部などへのアクセス特急はどうなるのか、など県民の不安に福井県政と県議会はまともにこたえていません。
また、今後の数十年は生産年齢人口は福井県が急速に減少します。そして超高齢化時代が到来します。
その時に、多くの県民に必要とされるのは、新幹線なのか、車を失った大量の高齢者の移動手段なのか、・・・・責任ある見通しと対策が求められると思うのです。