前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

前福井県議会議員・さとう正雄の活動日誌。ご意見・情報は smmasao.sato@gmail.com までお願いします。

共産党大会でお会いした、ハンセン病違憲国倍訴訟全国原告団協議会長 谺雄二さん

2014年05月13日 | Weblog
  昨日は、金元書記長や山岡常任との街頭宣伝、午前・午後と会議会議の連続でした。また、労働相談があり、県労連の五十嵐さんとともにお話をお聞きし、対応を相談しました。
 相談が終わってその方が「おいくらでしょうか?」。日本共産党の相談は無料です。いろんな事情で困っている方の窓口が日本共産党の無料生活相談所です。
 お気軽にご相談ください。    福井の方は 0776-27-3800


            ★

 ハンセン病違憲国倍訴訟全国原告団協議会長で、元患者の差別解消を訴えた谺雄二さんがなくなりました。
今日おこなわれる葬儀の葬儀委員長は群馬県の共産党県委員長です。
 1955年、日本共産党に入党。第23回党大会に代議員として参加し、発言されました。

 この党大会には、私も当時の西村県委員長らとともに代議員として参加していました。国の強制隔離政策を批判し、違憲だ、としての不屈のたたかいでマスコミにもよく登場されていた方が長年の共産党員として目の前で「共産党は我が家です」との発言される姿に体が震えました。

 ご訃報に接し、ご冥福をお祈りいたします。
人間を人間あつかいしない社会の復活は許さない。私も微力ながらたたかいつづけます。


●志位委員長
  谺雄二さんの訃報に接し、社会的偏見と差別のもとで、ハンセン病患者の人間回復のために闘った人生に深い敬意を表し、心から哀悼の意を捧げます。 「オレたちが/この世から/滅べば/汚点が消えたと/笑うやつらが/いる/笑わせて/たまるか/生きてやれ」 谺さんの言葉。その精神を引き継ぎます。


●2年前の赤旗のコラム・・・・

 「谺(こだま)雄二」の名前には、谺さんの深い思いが込められています。21日付で、失礼にもその「雄二」を「裕二」と間違えてしまいました▼ハンセン病の国賠訴訟全国原告団協議会の会長、谺さん。かつて「谺雄二」は、姓も名も筆名でした。10代のころの話です。谺さんは、三つ上のお兄さんとともに、東京のハンセン病療養所、多磨全生園に入っていました▼2人とも、大の本好き。お兄さんは、あかぎれがもとで患った右足を切断し、よけい本の虫に。ある日、兄がいいます。「おれ(療養所から)出ようかな」▼わけを聞くと、「好きな人ができてなぁ」。「誰?」。「看護婦だ」。彼女には薬物中毒の肉親がいる、という。弟は説得します。「そんな足で働けるわけじゃないし、看護婦にその肉親と一緒にめんどうみてもらうことになって、みじめになるだけだ」。反論できない兄▼彼は、恋人を忘れようとして患者仲間の補助看護に熱中します。無理がたたり、病が進む。ついに息を引き取ります。弟がいくら名をよんでも、聞こえているはずがこたえないまま。弟は悔やみます。「おれがまずかったな。兄貴の思うようにさせればよかったな」▼彼女の姓は「こだま」。兄の名「政雄」。弟は「良治」。3人分で「谺雄治」。弟は、「治」を「二」と変えて「谺雄二」と名乗ります。「二人」のことを一日たりとも忘れまい、と。のちに、「谺雄二」を本名にしました。誓いを胸に、「人間回復」のたたかいに今日も忙しい、ことし80歳の谺さんです。