前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

前福井県議会議員・さとう正雄の活動日誌。ご意見・情報は smmasao.sato@gmail.com までお願いします。

福井豪雨から10年、を考える。今日は、再稼動反対金曜アクションです。ぜひご参加ください

2014年07月18日 | 福井県政
  昨日は、北陸新幹線と在来線を考える会としてアンケート活動をおこなう準備会、原発問題住民運動連絡会で再稼動反対の署名運動の打ち合わせ、共産党の会議で党活動についての交流、西村市議らとの地域訪問活動・・などでした。
 新幹線と在来線問題、原発の再稼動問題で県民にひろくアピールする活動が新たにスタートします。

 県民の声を聞いてください!

 西川県政と県議会のあり方を問う運動となるのではないでしょうか。

  
 今日は、原発再稼動反対金曜行動です。夕方から福井県庁・関西電力前でさまざまなアクションがあります。
川内原発再稼動の文字がマスコミには躍りますが、そうはさせない、の世論と行動はますます高まっています。
 がんばりましょう!国民が主人公です!


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 今朝の新聞には福井豪雨から10年の大きな記事。

 直前の6月議会でも足羽川ダム計画を批判し、洪水はいつくるかわからないのだから放置せずに河川改修をすすめるべき、などと持論を展開した直後でした。

 しかし、堤防決壊、山地崩壊の広域大災害。「言ったとおりだろう」などと県庁批判をしている暇はありません。
ただちに民主団体のみなさんとボランティアセンターを立ち上げ、福井市をはじめ各地へのボランティア派遣、救援物資、救援募金の取り組みに日夜とりくみました。
 全国からの募金を県庁はじめ、福井市、美山町、池田町、鯖江市など被災自治体にもお届けした。
 あわせて共産党の国会議員団の調査活動と、政府への申し入れ、国会質問で国の支援をひきだすことにも全力をあげました。
 越美北線の復旧でも県庁と情報交換しながら国会で取り上げてもらい、国の重要答弁を引き出すことができました。

 災害救援の仕事がめどがついたところで、京都大学の専門家らに足羽川堤防決壊問題についての調査を依頼した。
その結果は先日の議会でもあらためて取り上げたように、県庁の河川管理の問題をえぐったものでした。

 福井豪雨10年。さまざまな教訓、経験をいかす報道がなされています。
 災害は、個人は3年で忘れ、組織は30年で忘れていく、などといわれるそうです。

 「自助」「共助」とともに、公的責任が災害対策で重要なことはいうまでもないでしょう。そういう点での検証も県庁や各自治体、マスコミにも期待したいところです。
 先日の一般質問もそのことを考えていただきたい観点からの質問をおこなったつもりです。

  
 あらためて、越美北線50年、で当時書いた文章を再録します。

■ 今日の福井新聞から「越美北線 山越え谷越え 15日 開業50周年」という企画がはじまった。
 福井豪雨後のことが書かれている。当時の県庁総合交通課長だった寺崎さんのコメントもある。
そう、あの時、「廃線」という文字が新聞にもおどった。

  福井豪雨災害翌日、わたしは当時の美山町役場で町長らに実情を聞くとともに、大野市のJR鉄道部にもかけつけ、「代行バスの運行と、鉄道復旧を」と申し入れた。応対されたJRの方は、「代行バスは考えます」とは答えたが、「鉄道の復旧は・・・」とはっきり答えなかった。

  災害翌々日には、日本共産党の高橋衆院議員が青森からかけつけた。わたしたちと越美北線の鉄橋が崩れ落ち、線路が流された現場をつぶさに調査した。
  美山町長とも懇談した。町長は、「いろんな政治家の方がたくさんきています。一番最初にきていただいたのは共産党の佐藤さんです」と言われた。実は前日は福井市からは美山に入れず、大野から入ったのだった。
  そして、「調査にこられた国会議員の先生、ひとりにつき1億円の支援をお願いしたい」と冗談とは思えない、悲痛な訴えはわたしたちの胸をうった。

  高橋衆議院議員はわたしたちと福井市内の被災現場を調査し、福井市の「対策会議」も傍聴した。
その時、当時自民党の衆議院議員がはいってきて、「ちょっと」などと言って、議事を中断させ、自分の「訴え」をはじめたのには驚いた。その議員はその後、民主党に所属政党を変えているが・・・。

  さて、その後の国会論戦、災害対策の集中審議のなかで高橋議員は越美北線の復旧問題をずばり取り上げた。
鉄道局長は、「JRにたいして復旧を指導します」と答弁した!
このことは、すぐにわたしたちにも伝えられ、わたしは寺崎課長にもすぐに伝えた。寺崎さんは、「本当ですか。ありがとうございます」と喜ばれた。

   地元のみなさんや、県庁のみなさんとともに、日本共産党と私も、越美北線の復旧の一端を担えたことは「誇り」だ。