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古典の季節表現 春 二月上旬

2018年02月02日 | 日本古典文学-春

さえにける空は二月はつ春の影におぼめくけふの三日月
(春夢草~新編国歌大観8)

あかつきがたにまつふく風のおといとあらくきこゆ。こゝらひとりあかす夜かゝるおとのせぬはものゝたすけにこそありけれとまでぞきこゆる。あくれば二月にもなりぬめり。あめいとのどかにふるなり。(略)日ごろいとかぜはやしとてみなみおもてのかうしはあげぬを今日かうてみいだしてと許あればあめよいほどにのどやかにふりて庭うちあれたるさまにてくちばところどころあをみわたりにけり。あはれとみえたり。ひるつかたかへしうちふきてはるゝがほのそらはしたれどこゝちあ やしうなやましうてくれはつるまでながめくらしつ。三日になりぬる夜ふりけるゆき三四寸許たまりていまもふる。すだれをまきあげてながむれば、「あさなむ」といふこゑこゝかしこにきこゆ。風さへはやし。よの中いとあはれなり。(略)
 いかなるにかありけん、このごろの日てりみくもりみいとはるさむかるとしとおぼえたり。夜は月あかし。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

さてついたち三日のほどにむま時ばかりにみえたり。老いてはづかしうなりにたるにいとくるしけれどいかゞはせん。と許ありて「かたふたがりたり」とてわがそめたるともいはじにほふ許のさくらがさねのあや、文はこぼれぬばかりしてかたもんのうへのはかまつやつやとしてはるかにおひちらしてかへるをきゝつゝ、あなくるしいみじうもうちとけたりつるかななどおもひて、なりをうちみればいたうしほなえたり、かゞみをうち見ればいとにくげにはあり。また此度うじはてぬらんとおもふ ことかぎりなし。かゝることをつきせずながむるほどについたちよりあめがちになりにたればいとどなげきのめをもやすとのみなんありける。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

うるふ二月のついたちの日あめのどかなり。それよりのち天はれたり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

 思ひかけず旅寝の床(とこ)に夜を明かす事なん侍し比、二月の初め、例の宿りに立ちとまれるに、鳥の声、鐘の音、しきりに驚かしつゝ、車引出たる暁の空霞み渡りて、峰の横雲ほのかに白みゆく程なり。吹すさむ風につけて、其処(そこ)とも知らぬ梅が香の匂ひたるなど、いと艶(ゑん)なりしも、心なき身にはさしも思ひわかれざりしさへ、思ひ出らるゝ端(つま)にありける。
(竹むきが記~岩波・新日本古典文学大系)

如月の十日のほどに、内裏に文作らせたまふとて、この宮も大将も参りあひたまへり。折に合ひたる物の調べどもに、宮の御声はいとめでたくて、「梅が枝」など謡ひたまふ。(略)
雪にはかに降り乱れ、風など烈しければ、御遊びとくやみぬ。(略)雪のやうやう積もるが、星の光におぼおぼしきを、(略)
(源氏物語・浮舟~バージニア大学HPより)

きさらぎの十日ばかりに飯乞ふとて眞木山てふ所に行 きて有則が家のあたりを尋ぬれば今は野らとなりぬ、一と本の梅の散りかかりたるを 見て古を思ひ出でてよめる。
そのかみは酒に受けつる梅の花つちに落ちけりいたづらにして
(良寛歌集~バージニア大学HPより)

小一條院をば、今内裏とぞいふ。おはします殿は清涼殿にて、その北なる殿におはします。西東はわたどのにて渡らせ給ふ。常に參うのぼらせ給ふ。おまへはつぼなれば、前栽などうゑ、笆ゆひていとをかし。二月十日の日の、うらうらとのどかに照りたるに、わたどのの西の廂にて、うへの御笛ふかせ給ふ。高遠の大貳、御笛の師にて物し給ふを、異笛ふたつして、高砂ををりかへし吹かせ給へば、猶いみじうめでたしと言ふもよのつねなり。御笛の師にて、そのことどもなど申し給ふ、いとめでたし。
(枕草子~バージニア大学HPより)

桜の、一丈ばかりにて、いみじう咲きたるやうにて、御階のもとにあれば、「いと疾く咲きにけるかな。梅こそ、ただ今は盛りなれ」と見ゆるは、造りたるなりけり。すべて、花の匂ひなど、つゆまことに劣らず、いかにうるさかりけむ。「雨降らば、しぼみなむかし」と思ふぞ、口惜しき。(略)
(枕草子~新潮日本古典集成)

如月の朔日ごろとあれば、ほど近くなるままに、花の木どものけしきばむも残りゆかしく、(略)
(源氏物語・早蕨~バージニア大学HPより)

山の方は霞隔てて、寒き洲崎に立てる鵲の姿も、所からはいとをかしう見ゆるに、宇治橋のはるばると見わたさるるに、柴積み舟の所々に行きちがひたるなど、他にて目馴れぬことどものみとり集めたる所なれば、(略)
(源氏物語・浮舟~バージニア大学HPより)

(天平六年)二月一日 天皇は朱雀門に出御して歌垣をご覧になった。参加者は男女二百四十余人で、五品以上の風流心のある者は、皆その中に入りまじった。正四位下の長田王・従四位下の栗栖王・門部王・従五位下の野中王らをその頭(かみ)として、本末を以て唱和した。浪花曲・倭部曲・浅茅原曲・広瀬曲・八裳刺曲の音楽を奏し、都中の人々に自由に見させた。歓楽を極めて終った。歌垣に参加した男女らに物を賜わった。
(続日本紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承和十二年)二月戊寅(一日) 天皇が紫宸殿に出御して、侍臣に酒を賜った。ここにおいて殿前の梅花を折りとって、皇太子および侍臣らの頭に挿し、酒宴の楽しみとした。近衛少将に命じて、親王以下、侍従以下の見参の物の名を記録し、御被(みふすま)・襖子(ぬのこ)等を賜った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(嘉禄元年二月)一日。戊辰。終日天陰る。夜に入りて微雨降る。西面の紅梅(八重)盛んに開く。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建保元年二月)三日。禁裏詩歌合せ、其の座に参ずべしと云々。未の時許り、重ねての召しに依り参内す(束帯)。(略)人々座廻る。兼隆参じ進みて詩の方を読み上ぐ。詩・和歌を評定す。大略一人之を申す。又、家衡卿康光に示し合せ、狂言を出す。御気色に依り、勝負を定められ了んぬ。次で作者を書き、重ねて之を読み上ぐ。御製之を知らず。任意に褒美の詞の如き、露顕するの時甚だ其の興あり。帥秀句あり。予、其の結びの歌を詠ましめず。雪尽き、草の色青し。南老の鬂眉残る。緞在西施(脱字アラン)。顔色斯より新なり。此の題に於て、尤も沈思の力あるか。花綻ぶ仙遊の裏。同じ腰の句に云ふ、唐帝の清宮唯月の夜。漢皇の汾水又風秋。頗る賞翫ありと雖も、予の愚歌、天気に依り勝ち了んぬ。存外の面目なり。
  河上の花
 名取川春の日かずはあらはれて花にぞ沈むせぜのむもれ木
頭弁の詩、尋常なり。次で当座の歌有り。庭上の柳。書き了りて読み上ぐ。各々退出するなり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄二年二月)四日。暁に雪降る。朝の間、粉々たり。辰後に漸く晴る。猶間々飛ぶ。(略)沍寒、厳冬の如し。今朝、硯水氷る(冬、此の事無し)。仍て出で行かず。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

 二月大
一日 壬申 幕府ニ於テ、和歌ノ御会有リ。梅花万春ニ契ルトイフヲ題ス。
武州、修理ノ亮、伊賀ノ次郎兵衛ノ尉、和田ノ新兵衛ノ尉等、参入ス。女房相ヒ接ハツテ、披講スルノ後、御連歌有リト〈云云〉。
(吾妻鏡【建暦三年二月一日】条~国文学研究資料館HPより)

(嘉禎元年)九日、壬申、将軍家、後藤大夫判官基綱の大倉の宅に入御、御水干、御騎馬なり、陸奥式部大夫、相模式部大夫、前民部少輔、駿河前司、伊東大夫判官、駿河大夫判官等供奉す、五位は水干、六位は直垂、立烏帽子、上野七郎左衛門尉、同五郎、武田六郎、以上三人、甲を著けて最末に候す、今夜彼家に御止宿、遊興一に非ず、先づ御的、次に小笠懸、次に御鞠、次に御酒宴、管絃、夜に入つて、和歌御会と云々、相州、武州、参り給ふ、(略)
(吾妻鏡~岩波文庫)

比は二月初の事なれば、峯の雪村消て、花かと見ゆる所も有り。谷の鶯音信て、霞に迷ふ所も有り。上れば白雪皓々として聳え、下れば青山峨々として岸高し。松の雪だに消やらで、苔の細道幽なり。嵐にたぐふ折々は、梅花とも又疑はれ、(略)
(平家物語~バージニア大学HPより)

比は二月の始也、霞の衣立阻て、緑を副る山の端に、白雲絶々聳つゝ、先咲花かとあやまたる。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

春風にそよぐ松の響、岩間に落る水音ばかりにて、(略)。姑射山仙洞の池の汀(みぎは)を望ば、春風波に諍て、紫鴛白鴎逍遥せり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

詩歌管絃は公家仙洞の翫物、東夷争磯城島難波津の言葉を可存なれ共、梶原は心の剛も人に勝れ、数寄たる道も優也けり。咲乱たる梅が枝を、蚕簿に副てぞ指たりける。蒐れば花は散けれども、匂は袖にぞ残りける。
  吹風を何いとひけん梅の花散くる時ぞ香はまさりける
と云ふ古き言までも思出ければ、平家の公達は花箙とて、優也やさししと口々にぞ感じ給ける。
(略)
懸るやさしき男成ければ、さしもの戦場思寄べきにあらね共、折知貌の梅が枝を、箙にさして寄たれば、源氏の手折れる花なれ共、平家の陣にぞ香ける。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

時しもきさらぎ上旬の空のことなれば。須磨の若木の桜もまだ咲きかぬる薄雪のさえかへる浪こゝもとに。生田のおのづからさかりを得て。かつ色見する梅が枝一花開けては天下の春よと。軍の門出を祝ふ心の花もさきかけぬ。
(謡曲「箙」~謡曲三百五十番)

(2013年2月9日と10日の「古典の季節表現 二月上旬」を二つとも削除して、本記事にまとめました。ついでに、竹むきが記と良寛歌集と続日本紀と続日本後紀と吾妻鏡と謡曲「箙」などを追加しました。)