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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 春 三月 御燈

2021年03月03日 | 日本古典文学-春

三月一日、ごとうの御神事に、きやうぶくにて仁壽殿のつまの局にわたりゐたりしに、左衞門の陣むきなれば、東三條の木ずゑも、ちかくみえわたされて、いとおもしろし。けふは陣に公事ありて、經光の宰相・頭中將・頭辨もまゐり、たきぐちどもしたがひてみゆるもをかし。宗雅・光國なども參る。花もさかりにいとおもしろきに、をりしも大宮大納言參り給ふ。なほしすがた常よりも心ことに、にほひ深くみえたまひしかば、辨内侍〔あをかりぎぬきたる人ぞ御ともにはありし。〕、 
花の色にくらべて今ぞ思ひしる櫻に増る匂ひ有りとは
(弁内侍日記~群書類從18)

(長和二年三月)一日、壬辰。
早朝、鴨川に出て、御燈を奉らない由の解除(げじょ)を行なった。女方(源倫子)も、同じく解除を行なった。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛仁元年二月)三十日、己亥。
内裏から、夜に入って退出した。女房も同行した。蔵人(平)範国が来て、申して云ったことには、「御燈の御卜(みうら)は、例年は明日、宮主(みやじ)が御厨子所に参って奉仕します。ところが明日は、子の日に当たります。そこで今日、宮主を召させましたところ、『伊勢国に下向している』ということです。如何いたしましょうか」と。私が仰せて云ったことには、「他の官人を召して奉仕させよ。もし今夜、召しても出てこなかったならば、二日に奉仕させよ」と。
(寛仁元年三月)一日、庚子。
鴨川に出て、解除(げじょ)を行なった。御燈を奉らない由の解除であった。
二日、辛丑。
時々、雨が降った。(略)(平)範国が、御燈の御卜(みうら)の占文(うらぶみ)を持って来た。申して云ったことには、「昨日、中宮の宮主(みやじ)が、御卜の占文を持って来ました。神祇祐(卜部)兼忠の語ったことによって、二月末に神祇官において奉仕しました」ということだ。私が命じていたことには、「御厨子所によいて卜占させよ」と。ところが、すでに神祇官において卜し申してしまった。「再び卜占を行なうというのは、具合が悪いことです。この卜占によるべきでしょう」ということだ。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

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古典の季節表現 春 闘鶏・鳥合

2021年03月03日 | 日本古典文学-春

さくはなも-なくうくひすも-はるはなほ-とりあはせたる-ころにもあるかな
はるさめの-なこりのにはに-ぬるとてや-あはするとりの-みのけたつらむ
(為忠家後度百首~日文研HPより)

「三日の御鳥あはせに、ことしは女房のもあはせらるべし。」ときゝしかば、わかき女房たち、心つくしてよきとりども尋ねられしに、宮内卿のすけどのは、「爲教の中將がはりまといふ鳥をいださん。」などぞありし。萬里小路大納言のまゐらせられたるあかとりの、いしとさかあるがけいろもうつくしきをたまはりて、あきつぼねにほこらかしておきたるを、もりありといふ六位が、「そのとりきとまゐらせよ。」といふ。かまへてとりなどにあはせらるまじきよし、よく\/いひてまゐらせつ。とばかりありて、かためはつぶれ、とさかよりちたり、をぬけなどして、見わするほどになりてかへりたり。おほかた思ふばかりなし。「今はゆゝしき鳥ありとも、なにゝかはせん。たまはりの鳥なれば、きくもいみしらむとこそ思ひしに。」など、かへす\〃/こゝろうくて、辨内侍、 
われぞ先ねにたつばかりおぼえけるゆふ付け鳥のなれる姿に 
三日、御鳥合なり。御所もひろ御所へいでさせおはします。冷泉大納言・萬里の小路大納言・左衞門督・三條中納言〔公親〕・頭中將〔公保〕・伊與中將〔公忠〕・すけやすの中將、藏人はのこりなし。はつゆきなるあか〔みイ〕こくろなどいふ鳥ども、かねてよりふせごにつきて、おの\/あづかりて、丁子・じやかうすりつけ、たきものなどして、「いづれかにほひうつくしき。」とぞあらそひし。みすのうちより出だされしかば、萬里小路の大納言たまはりて、あはせられし。ゆゝしかりし君なり。ひよ\/より御所に御手ならさせおはしまして、かひたてられしいみじさばかりにてこそ侍れ。御とりがらはあやしげなれば、「かたせん。」とて、それよりおとりたる鳥どもにあはせられしもをかし。公忠・公保がとりあはせしをり、「伊與中將がとり、そらおとりする。」とて人々わらひしに、冷泉大納言、「ひさかたのそらおとりこそをかしけれ。」とのたまへば、公忠「さこそ。」といひたりし、をかしくて、辨内侍、 
雲ゐとはなれさへしるや久かたの空おとりする鳥にも有る哉 
(弁内侍日記~群書類從18)

廿八日、庚子、早旦参内、於殿上小庭御覧闘鶏、数剋無勝負、各可謂翹楚之歟、今夕宿仕、
(中右記・嘉保1年1月28日条~東京大学史料編纂所データベース・古記録フルテキストデータベースより)

十三日、甲申、終日候御前、依当番供朝夕膳、終日有闘鶏興、困幡守長実(藤原)所献黒鳥已負了、頗雖異物無雄飛興歟 、(略)
(中右記・嘉保1年3月13日条~東京大学史料編纂所データベース・古記録フルテキストデータベースより)

保延元年三月三日丙子、女院有鬪鷄事、左方限合之、{摸臨時祭方}右頭經宗、依病不參之故也、 ○按ズルニ、三月三日鬭鷄ノ事ハ、遊戲部物合篇ニ詳ナリ、
(長秋記~国文学研究資料館HPの古事類苑データベースより)

(保元三年)二月十三日。於弘徽殿壺有闘鶏事。月卿雲客為左右念人。有勝負舞。
(百錬抄~新訂増補 国史大系11)

(宝治元年三月)三日 丙辰 営中ニ、闘鶏ノ会有ルナリ。此ノ間、若狭ノ前司等、聊カ喧嘩ス。 
(吾妻鏡【宝治元年三月三日】条~国文学研究資料館HPより)

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