寒い季節が迫っているが まだまだ蝶の浮揚は健在である。
陽が射すと急にテンションが上がる舞姫たちである。
ところで 『蝶』だけに限ったことではないが自然界の生きものたちを
人間とは何ら関わりのない「虫けら」として表層認識している地球人が
余りにも多いことに 逆に「人間よそんな認識ではお前たちの前途こそが暗い」
そのように虫たちに思われているようだと警告的に思わざるを得ない。
もちろん 蝶がかれらの思考脳でそのように考えている訳ではなかろう。
かれらは自然界と一体の見守り役であるから 自然神の意念が乗りやすく
彼らの存在感そのものが自然量子網のセンサーとして機能している。
そこで 同じく自然神からの量子端末器械として創造されている『人』との
奇跡的な交流も可能となっている訳である。
本来は『人』がこの地球自然の量子的な眞の立体構造を自ら体現し
個々が夫々『自然神』の代行者として時空間に花開かねばならないのだ。
『蝶』が『私』に対し昆虫ではあり得ない挙動を伴い 野生でありながら
それ故にこそ深い共振波を示しつつ近寄り天然の美しい舞いで魅せてくれるのは
創造神の命を享けた『蝶』と表層常識を唾棄し自然量子網に想いを馳せる『私』が
クライン環を共有しているからこそ心魂震える現象を創り出しているのであろうと
理解しているところである。
… … … … …
そうなのだ。
表面の印象だけでは本物の周波数交流は得難いものである。「人間」は表層五感に
おいては無条件に与えられれているために何の感慨も感動もなく五感機能を使い回
し それがさもパワフルな人生であるかのように信じて疑わない。 勿論それも立
派な人生であるから否定するつもりもないのだが 何千年もその繰り返しでは余り
にも進歩が無さ過ぎとは内省出来ないのだろうか。
理想は五感人生も充実しつつ 霊質人生も創造根源を取り戻して三位共々輝き亘っ
て欲しいものである。