言葉は大切だが全てではない。
言葉は仲介存在に過ぎない。
言葉の究極は記号信号である。
何種類かの民族言語があり 置き換えの言語翻訳が成り立つように
言葉は所詮意識の道具なのである。
あなたが『人』として霊心体を統合させ 神の意図を汲み取るのに
表層の言葉は要らない。
言葉がその次元のみでオールマイティーであったなら この数千年で自然神と
親しく対話出来ていた筈であろう。
数多く輩出した言葉を操る天才たちがそれらを成就した筈ではなかったのか?
しかし 世は真逆の様相を呈し 人々は更なる迷いの道を徘徊した。
表層で操る言葉には自然量子を伴うだけの光圧が無い。
言葉は口(五感脳)で自在に操れるかに錯覚するがその努力は神には届かぬ。
なぜなら自然神は「人間」の言葉を持たれぬ 使われぬのだ。
神の意念とは自然界の大クラインの循環エネルギーそのものである。
それらの真実を「人間」の平面知ですり替えてはならない。
大クラインの偉大な叡智をも畏れぬ平面意識こそ悪魔の証明となる。
先ずは旧き悪しき言葉の連鎖を自然量子の光で解きほぐすことである。
そして 『人』らしく生活し
相互クライン環の極みに晶出する眞の『言葉』の華を育て慈しむのだ。
必ずやあなた自身の言葉で霊心体を輝かすことが出来るだろう。
… … … … …
まさに 上記の言葉の通りである。
一年前の記事であるが 内容は未来の周波数に満ちている。
よくよく反芻してさらなる境地に繋げたい。