判る。
地球が球体でも平板上でもどちらでも良く 表層脳解釈がどうあろうと大自然は太古よりの悠久の時を刻むのみ。要は そもそもが地球環境は十数次元の融合体であり 自然量子管轄のクラ......
地球が球体でも平板上でもどちらでも良く 表層脳解釈がどうあろうと大自然は太古よりの悠久の時を刻むのみ。
要は そもそもが地球環境は十数次元の融合体であり 自然量子管轄のクライン環であることさえ熟知すれば(目に見え
る形態がどうあれ)常に自己完結していく。
更に言うならば 『人』個々の存在形態も地球環境の集約であるから同じく自然量子の集約端末としての機能を持たされ
ているのだ。
本来そうであることを生きながら証明するために『人』は生かされているといっても過言ではないだろう。
だからこそ あらゆる学術概念を駆使してとりあえずは眼に見える世界を解き明かそうとするのであるが その前に
『人』己自身の眞の成り立ちを識る必要がある。
その生死を超えた顕潜両立意識に立てば凡その自然クライン環の超立体見取り図が観えて来るであろう。
その時 漸く『地球』の眞姿も己の眞姿も『宇宙』の眞姿も浮上して来るだろう。
近未来には 『人』(生命体)も『惑星』も『宇宙』も量子ネットワークに正接するフラクタルに関与し合うクライン環
の物理面であることが判るだろう。
… … … … …
まさにまさに この通りである。 地球が球体状か平盤状かを概念論争する前に 航空機で上空を隈なく見て回れば済む
のではないか? 庶民にだって気球や模型レベルのロケットならば観測機器を搭載して遠隔操縦すれば殆どの疑問は解け
る筈である。 地球はおそらくであるが 物理的に見えるところは球体状であり 見えない領域はクライン環構造になっ
ているのである。それらの眞實を証明するのが私たち惑星人なのである。