どうあるべきか? 生まれた時から直観で身体内外のすべてを処理して来た。 物
心ついてより外的情報に捕縛され直観の芽を摘まれ一般常識人として表層脳記憶価
値を尊重すべく生きて来た。今から思えば そんな概念奴隷のような生き様を強い
られながらも 自己意識の深層では『自然創造神』という超概念が苦しい時ほど魂
の底から浮上して吾が三位と時には外界環境をその原初光で照らし周波数層透過し
ていたと記憶する。
それは微かな意識波印象でしかなかったが 当事者である『私』はその光に藁にも
縋る想いで接続を(後先考えず)敢行して来たかと思う。 時にはその意識場にお
いて詐欺的被害に打ちひしがれながらも表層因果のせいにせず 原初光の照らし出
す各周波数層のクライン流動の動向に意識集中して来たことが 今となっては功を
奏したのではないかと回顧する次第である。 話を元に戻そう。どうあるべきか?
現実『場』を真摯に生き抜き何時如何なる場合でも原初光を引き出せる己たること
であろう。