本当に神に繋がるなんて
伊達や酔狂で出来ることではない。
ましてや3次元時空間に身を置いている生身の人間が
ネタ芝居宜しく演ずる次元のものではなかろう。
過去には敢えてそれらが必要な時代もあったかもしれない。
しかしこれからは地球人個々が
厳しくともネタ芝居を超えて真摯に取り組まねば
ならない時代趨勢に至った。
それには表層脳の横波映像の虚実を確りと観極め
個々魂の源流である自然量子ネットワークに
ダイレクトに目覚めることである。
伊達や酔狂で出来ることではない。
ましてや3次元時空間に身を置いている生身の人間が
ネタ芝居宜しく演ずる次元のものではなかろう。
過去には敢えてそれらが必要な時代もあったかもしれない。
しかしこれからは地球人個々が
厳しくともネタ芝居を超えて真摯に取り組まねば
ならない時代趨勢に至った。
それには表層脳の横波映像の虚実を確りと観極め
個々魂の源流である自然量子ネットワークに
ダイレクトに目覚めることである。
… … … … …
(一年前の感想)
一年前は状況が状況なだけに ある意味切羽詰まった想いからこの記事を書いた記憶がある。
自分の渾身の想いではあるが それでも地球の前途を背負ってまで たとえ私がのた打ち回ったとしても そうは簡単に大正転に加速がつくものではない。
そのような想いで 一年前は背水の陣を構えた決意と共にあらゆる物事に対峙していた記憶がある。
一年を経ての感想は 切羽詰まった感は消滅し 『確定!』という絶対的な想いが自然クライン環全域を駆け巡っているように感じている。
眞に有難いことである。
(本年の感想)
或る意味 『魂』的には満身創痍で自己創造原初究明に打ち込んで来て 永年の『自然クライン環』解析結果が自分なりに意味付け可能となり(漸く時代が追い着いて来た)そのような正転現象に慶びながらも戸惑いを感じていた一年前が初々しく想い出される。まだまだ『自然クライン環』感受の旅は始まったばかりである。