今日は近くの神社での神事がありお手伝いをして来た。お天気も良く神事は滞りなく納められた。
この先は私個人の印象の語りである。
神事が始まる少し前 蝶が出没し始めた。人里離れた山の中の小さな社であるからおそらく蝶が出没する確率は極めて少ないだろう。それが 神事が始まると 先ずはギフチョウがツインで現れ 次にキチョウ モンシロチョウが交互に現れた。
私に言わせれば俄かに降って来た蝶の狂喜乱舞である。神事を執り行う方々には甚だ失礼であるが 私としては蝶たちの舞いが素晴らしく
そればかりに見とれていた。蝶は神前を吾が物顔に翔び回るが 何故か直線的に移動しそれ故か誰も蝶の存在に気付かないのだ。摩訶不思議なことである。
蝶に密かに感謝の念を送ると 昨年鬼籍に入られた○○さんのお顔が脳裏に浮かんだ。「あぁ ご挨拶に来られたのか」そう思い御足労を労った。○○さんは神事の常連だったのだろう。蝶に想いを乗せられるとは自然量子世界を魂で判っておられる所謂霊格の高いお方だったのだろう。
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一年前 あぁ そんなことがあったのだと感慨深い。『蝶のセレモニー』には深い意味があるのだろう。それらを感じ(観じ)とれる『魂』たちにより深層世界は『光』を湛えていく。
誰かが表層意識で熱心に祈るから「神」が現れるのではない。(大方は熱心波長に宿るのは邪神と相場が決まっている) 『神』はあらゆるところにあなたが此処に来る前から其処に居られたのである。物質を切れば(立体透過すれば)其処に『神』は居られる。物質を超え全方位におはしますのが創造の神なのである。
ちなみに あのお方は遠く爽やかな居場所に居られるようである。有難いことである。