眞の『自然神』の存在を観じようとすれば 『自然神』は自然そのものであられるから 観じようとする『人』も自然と同容量の周波数層対応性が求められるだろう。まずは『己』の周波数層構造を識らねばならない。
果たして そんなことが出来るだろうかと「人間」は頭で考えてしまう。そこで 表層記憶脳に簡便な想像上の「神」を登場させ密かに安堵するのである。しかしそれは想像上の「神」であるから まるで紙のような平面の「神」である。
そのような「神」で満足して数千年を費やして来たのである。五感に心地良い「神」を追い求めるから求めた通りになるのだ。やはり 「人間」は『人』に還り平面の「神」崇拝を卒業することである。