洗心 senshin

2022,07,01.autopageからgoo blogへと移行しました。

二年前の記事。

2024-04-27 09:09:24 | つぶやき

一年まえの記事。

 潜在能力言わんとすることは地上の辞書にはないかもしれない。自然界の花々そしてそれらをピークとする植物界のクライン万華鏡。それだけで天国なのだ。加えて咲き乱れ......

言わんとすることは地上の辞書にはないかもしれない。


自然界の花々

そしてそれらをピークとする植物界のクライン万華鏡。

それだけで天国なのだ。


加えて咲き乱れる花に飛び交う蝶たち

植物界を蔭に日向に支える昆虫界。

軽やかな協奏曲が流れている天国の極み。


これだけの地球自然環境が見せられているのに

何故人間は享受しようとしないのだろう。

量子端末として最高の天国環境のネットワークに

お互いが繋ぎ合えば

常に過去の事象を超えた天国化創造が起こせるんだよ。


人とはそれだけ立体的な潜在能力を

原初から授けられて地上に降りているのだ。 

… … … … … 

(一年前の感想)
奇しくも 昨日考えていたことは一年前の今日(4月26日)考えていたことと同じ内容だった。
 
いつも 深層意識で探っていることは最大関心事であり 同じような波形が生じてしまうのかもしれない。
それにしても一年を経ての同じ日とは自然の采配は粋である。

(本年の感想)
そう。深層意識で創造原初に至る周波数帯に最大関心を払うことである。そうした顕潜統合意識に合理した意識生活こそが『自然神』の粋な采配を享受していくのである。

一年前の記事。「すべての生命は光。」

2024-04-27 08:55:47 | つぶやき

すべての生命は光。

昨日は柄にもなく 創造の神に祝福されたいなどと書いてしまったが それは柄にもないどころか自分の深層からの言葉ではないなと反省した次第。 では誰の言葉なのかという話......

昨日は柄にもなく 創造の神に祝福されたいなどと書いてしまったが それは柄にもないどころか自分の深層からの言葉ではないなと反省した次第。
 
では誰の言葉なのかという話はややこしくなるからスルーするとして やはり言葉は油断すると魔物と化するものだから 細心の推敲が欠かせないものである。
 
おそらく 創造の神は自然そのものであるから 私個人にだけ祝福を贈られることはない。自然下で創造されたすべての存在に対し祝福されている筈である。
 
そこを 私は誘導され言葉の選択を間違った。繰り返して言おう。創造の神はすべての創られた生命存在を創造原初において祝福し給うたのである。
 
更に言えば 神に反する存在に対してさえ その祝福を解かれることはない。なぜなら 神に反するものなど もともと創造界には存在しないからである。
 
究極において すべては創造の光。そこにもともと闇はない。光と闇の闘いなどと実(まこと)しやかに語り継がれるがそうではない。闇は表層意識の錯覚である。
 
すべての生命は光として生まれており 光の派生以外のなにものでもないのである。原初光を奉ずる魂たちの どこに闇が蔓延る余地があろうか。

… … … … … 

兎にも角にも 表層脳価値に縛られないことである。『魂』本然の周波数層の次元を正しく踏まえて『生命』の道を進むことである。