一年前の記事。「永遠の生命を得る」
『永遠の生命を得る』この世のあらゆることに存在すると同価の大きな価値がある。それは表層脳常識で決める価値ばかりとは限らない。見えない自然量子次元の深い裏打ち......
この世のあらゆることに存在すると同価の大きな価値がある。
それは表層脳常識で決める価値ばかりとは限らない。
見えない自然量子次元の深い裏打ちがあっての眞の価値が
この三次元現実を支えている。
私たちは「おぎゃー」と産まれて三次元物理現実に生き
表層脳プログラムに従い自らの内外に「加工物」またはそれらに準ずる痕跡を
残していく。
『人』または「人間」が肉体を置いてこの世を去らねばならない時
生まれる前から持っていた自然量子関連のものを除いて
あの世に持っていくことが出来るものは限られている。
物質界の波のように顕われ 再び波の如く物質界を去って行く。
誰が如何説明しようと自然界はその意味では非情に生殺与奪の幕を開閉する。
だからこそ 『人』は自然界の可視界と不可視界をセットで観極め
この輝くばかりの独立生命体の『今』を大切に生きねばならぬのだ。
肉体のあるうちに自己生命の自然クライン環を自覚し極めることが
『永遠の生命を得る』ということなのである。
… … … … …
(一年前の感想)
だからこそ 『人』は自然界の可視界と不可視界をセットで観極め
この輝くばかりの独立生命体の『今』を大切に生きねばならぬのだ。
肉体のあるうちに自己生命の自然クライン環を自覚し極めることが
『永遠の生命を得る』ということなのである。
まさにこれこそが 『人』が『人』たるべく『今』に生きる由縁である。
(本年の感想)
「人間」は表層記憶脳に刻み込んだ既成価値に拘り過ぎるため 深層の次元価値(周波数)構造が判らない。『人』の観座を弁えれば容易に立体透過出来ることが それでも判らない。
肉体のあるうちに自己生命の自然クライン環を自覚し極めることが
『永遠の生命を得る』ということなのである。