洗心 senshin

2022,07,01.autopageからgoo blogへと移行しました。

容易く劇的に満たされる。

2024-10-11 21:28:02 | つぶやき
三次元表層知覚脳価値世界は その構造故になかなかに厄介なものである。
所属次元が物質物理に依って成立しているがために 表層知覚の優越感が残像として悪さを重ね「己」が世界の中心と思い込み勝ちなのである。

創造原初の『己』(霊質の源魂)を世界の中心と思い込むならば それは大いに有意義に作用することになるのであるが 中心を『神』と繋がず「悪魔」と繋いで我良しと優越に浸るのであるから始末が悪いのである。

地球人はこれらの究極の反自然構造を悟るために 敢えてその渦中に存在せしめられている。永い永い辛く厳しい反転の意識歴史であったが 眞に覚ればその覚りの深さに於いて『正転』は容易く劇的に根源の『光』に満たされるのである。
 


二年前の記事。「観極め。」

2024-10-11 11:18:40 | つぶやき

一年前の記事。「観極め。」

 観極め。見えない次元のことばかりでなく 見えるリアル三次元の変容推移も極めて重要である。如何に正しくとも見えない事象にうつつを抜かしていては自然量子器械とし......

見えない次元のことばかりでなく 見えるリアル三次元の変容推移も極めて重要である。如何に正しく(正しいと常識化されたことでも)とも見えない事象にうつつを抜かしていては自然量子器械として創造の神には申し訳が立たない。
 
『今』あるそれぞれの個々心身 これほど大切なものはないからである。
大きな意味でクラインのフラクタル融合生命体であるから
すべてが一蓮托生 切り捨てるものなど何もない。
 
とはいえ 大クライン環は『無』乃至『無限』においては至高完璧であるが
諸所局面では正反離合は自然端末の命運でもある。
自然量子の使徒たる『人』は能々(よくよく)五感の機能を凝らして
自然量子に照らし観極めねばならないのである。
 
… … … … … 

(一年前の感想) 
難しい表現になっているが いつも述べる『自然クライン環』原初原理に副うべき心構えが改めて説かれている。

(本年の感想)
そう。
それでよい。
既成に諂う表現に捉われず 周波数層次元に超越存在し三次元現実を支える『自然クライン環』こそを『眞魂』と位置付けすればよいのである。
そして そのすべての課程は(他者他動ではなく)自己自涌により完結する。