宇宙究極の栄光を掴むために。
『洗心』の表題を変更したいと かれこれ数年考え続けて来たのであるが超える代案もなく 道しるべのようなものであるからよいかとそのままにしている。個人的には「洗心」等さま......
『洗心』の表題を変更したいと かれこれ数年考え続けて来たのであるが超える代案もなく 道しるべのようなものであるからよいかとそのままにしている。個人的には「洗心」等さまざまな標榜を掲げ声高に叫ぶ時代はすでに終わった気がする。
何の標榜であっても類似の感想であるが もう地球人類は表層脳平面概念のしがらみ(柵)を超えて 時空を超えた創造原初の大元に立ち還らねばならぬ時期に遭遇しているのだ。地球惑星人 数万年の総点検&総決算期に突入していると観ずる。
惑星人は自然神に創られた自然生命端末である以上 自然創造根源に遵う他は無い。人類発祥については諸説紛々あろうが 自然創造原初の周波数域に先ずは誰もがチューニングすれば喧々囂々に堕することなく『魂』は幸はう筈である。
自然(宇宙)の神々も 時空を超えた原初から地球人類の羽化脱皮を観護っておられるのである。栄えある惑星人たる者 その宇宙究極の栄光を掴むために 後今少しの精進を貫徹していきたいものである。
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まさにこの通りなのだが なかなかその本質構造が判らない。言葉で追えば追うほど 既成概念で迫れば迫るほど眞理は乖離していく。何故そうなるのか?地球人は何千年以上も希求したが表層記憶脳平面は悲惨な結末を呈している。『自然クライン環』起動により原初創造された惑星の現実時空間は『自然クライン環』起動により惑星人ひとりひとりが享受する以外に無いのだよ。