洗心 senshin

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二年前の記事。「求められる。」

2024-10-07 17:30:50 | つぶやき

一年前の記事。「求められる。」

 求められる。近未来は自然量子ネットワークが浮上するのであらゆることが根源良心に副って現実創造化される。人類は永い間 表層脳による自己洗脳に陥っていたことに気......

近未来は自然量子ネットワークが浮上するので
あらゆることが根源良心に副って現実創造化される。
人類は永い間 表層脳による自己洗脳に陥っていたことに気付かされる。
 
いつも言うように 大自然界は『エーテル重層波∞物質波』構成による
もともと原初から在りて有る大クライン構造である。
あらゆる自然構成生命がそのような構造をフラクタルに自己保有しているのだ。
 
表層脳で想像するところの「神」は眞の神ではない。
眞の『神』は大クラインそのものである。
直接に「人間」が五感次元でどうこう詮索はできないものなのである。
 
だから 『神』に逢おうとするならば 己のすべてを自然量子から
フラクタルクライン構造を次元的に遡っていくことが求められる。
当然 表層脳の「神」を崇めているうちは深層波の鏡に
眞の『神』を写し出すことは困難となる。
 
… … … … … 
 
(一年前の感想)
そうなのだ。
表層脳で想像するところの「神」は眞の神ではない。
眞の『神』は大クラインそのものである。
直接に「人間」が五感次元でどうこう詮索はできないものなのである。
これに尽きる。
だから 
『神』に逢おうとするならば 己のすべてを自然量子から
フラクタルクライン構造を次元的に遡っていくことが求められる。
その通りである。
自然神に原初創造された『惑星人』。
その波長構造を知りたければ自らクライン共鳴環となって神の御袖に副い奉るのだ。それが極意である。

(本年の感想)
地球人はこれから多くのことを識らねばならない。それらは 表層記憶の知識ではない。そんなもの数千年もの間 命を懸けて何万巻もの教書に編纂したにも拘らず本物の『神』に逢うことも叶わず愛されることもなかったのだ。

三度繰り返すことになるが 敢えて言おう。
『神』に逢おうとするならば 己のすべて(三位)を自然量子から
フラクタルクライン構造を次元的に遡っていくことが求められる。


一年前の記事。「迷妄の霧は晴れる。」

2024-10-07 09:33:09 | つぶやき

迷妄の霧は晴れる。

『自然クライン環』の凄いところは 生命体ならばすべてに内在し生死を超えて過去未来永劫に超越的に重層リンクし果ては(果ては無いのだが)自然神の懐に擁かれているという眞實......

『自然クライン環』の凄いところは 生命体ならばすべてに内在し生死を超えて過去未来永劫に超越的に重層リンクし果ては(果ては無いのだが)自然神の懐に擁かれているという眞實性である。
 
私は三つ子の魂からの生き様の中で自然から教えられ 『自然クライン環』を強く意識するようになって 今では臆面もなくその浮上と活用を提唱している訳であるが だが その内実は表層意識脳での「習い事」とは訳が違うのである。
 
もちろん 個々惑星人の三位を存分に駆使するのであるから 「習い事」「真似
事」に近似する面はあるだろうが あくまでも三位(顕潜)統合意識が円滑に働かずして『自然クライン環』浮上に辿りつけるものではない。
 
先ずは 表層脳にへばり付いてしまった既成概念の霊質創造原初から観ての不整合性(悪魔性)を立体客観して観抜き あなたそのものが三つ子の魂からの無垢な意識層状態を維持出来るようになれば迷妄の霧は晴れるのである。

… … … … … 

『人』の三位を立体駆使して『自然クライン環』を意識浮上させ効率稼働するためには『人』と『自然』の創造原初を識らねばならない。それは在り来たりの表層脳学習では磨き出せないものである。

これまでの平面文化の教える所謂ノウハウは表層理論的には完成していても『三位』を活性化するものではない。蝉の抜け殻のように『創造原初』の実体は既に失われているのだ。

先ずは それらの次元間を跨ぐ意識詐欺の眞實構造に氣付くことである。