洗心 senshin

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二年前の記事。「恩恵。」

2024-06-15 20:24:18 | つぶやき

一年前の記事。

 恩恵自然界保持の量子ネットワークを采配なされる自然神が波長の次元に存在されることは人それぞれの良心(量子ネット端末)に写せば明らかなことである。良心に写し ......

自然界保持の量子ネットワークを采配なされる

自然神が波長の次元に存在されることは

人それぞれの良心(量子ネット端末)に写せば

明らかなことである。


良心に写し 写したそのままに感謝の生活を

為せば良かったのである。

しかし人間は何から何まで表層脳に記録し

それを執拗に追い求め生きて来た。


表層の我に映そうとするゆえ 

あらゆる関連情報が擬人化され暴走する。

神は人間の中には居られない。

自然量子界の根源に位置なされるのである。


せめてこの立体構図を深い意識に育み

『人』として自然神の恩恵に浴することである。

… … … … … 

(一年前の感想)
まさに 自然の深奥の深いシステムに気付けるかどうか そして『人』も自然の原初創造次元から写した自然そのものの量子器械であることを自覚できるかどうかなのである。

(本年の感想)
まさにまさに 表層記憶脳の合点認知だけではなく 自然量子界(エーテル界)に権限共振して考えられる(思惟思念)かがますます重要になって来るだろう。

やがて 表層情報が泡沫(塵芥)のように扱われる時代が到来してしまうのである。根源神を眞に識る者は幸いである。


一年前の記事。「自然界は今か今かと待ってくれている。」

2024-06-15 07:13:51 | つぶやき

自然界は今か今かと待ってくれている。

蝶々さんの話題がこのところ少ないのだが 出逢わなかったわけではない。確かに雨天が続き翔べないコンディションだったこともあるが 例年通りの盛り上がりを見せている。 ......

蝶々さんの話題がこのところ少ないのだが 出逢わなかったわけではない。確かに雨天が続き翔べないコンディションだったこともあるが 例年通りの盛り上がりを見せている。
 
昨日などは 通算で10匹(頭)ほどか。車の前方か直前を絶妙なタイミングで横切っていった。そのうちの1匹はやや前方にホバリングしながら 車の接近をギリギリまで待ち受けて名残り惜しそうに風圧をうまくかわし去って行った。
 
その間数秒 しかし時間の短さなど関係なく自然の時空層に繋がる一期一会の奇跡的な邂逅に 吾が魂は打ち震えるのである。自然は眼に見える物体だけではない。惑星自然はさまざまな生命体の融合体である。波動さえも生命なのである。
 
表層脳知覚の人間は蝶をただの昆虫に過ぎないと却下するだろうが 彼らこそまこと自然界の使者である。ただし 自然を三位一体で観透すことが出来なければ その奇跡の邂逅を享受することは不可能である。
 
逆に 『人』が三位一体で大自然に対峙出来るように原初創造のポテンシャルを整えれば 蝶に限らずあらゆる自然の宝庫の扉を開放することが可能となるのである。地球人の深い眠りからの覚醒を自然界は今か今かと待ってくれているのだ。 

… … … … … 

表層脳情報に凝り固まった地球人は 自然エーテルエネルギーが何たるかを立体感受出来ない。『蝶』の存在ひとつを取っても 其処に深遠なネットワークが働いていることも判らないのである。

以下の文章はもう一度反芻し 輝かしい未来を迎える糧としたい。

 
表層脳知覚の人間は蝶をただの昆虫に過ぎないと却下するだろうが 彼らこそまこと自然界の使者である。ただし 自然を三位一体で観透すことが出来なければ その奇跡の邂逅を享受することは不可能である。
 
逆に 『人』が三位一体で大自然に対峙出来るように原初創造のポテンシャルを整えれば 蝶に限らずあらゆる自然の宝庫の扉を開放することが可能となるのである。地球人の深い眠りからの覚醒を自然界は今か今かと待ってくれているのだ。 

二年前の記事。「変わり目に。」

2024-06-14 08:54:08 | つぶやき

一年前の記事。

 変わり目に魂が表層のみの善良に過ぎたが故永きに亘り洗脳奴隷となり自然量子界の眞の神を見失い流れ流れてここまで来た。眞の神は原初よりありその子を見捨て給うこと......

魂が表層のみの善良に過ぎたが故

永きに亘り洗脳奴隷となり

自然量子界の眞の神を見失い

流れ流れてここまで来た。


眞の神は原初よりあり

その子を見捨て給うことは無し。


表層概念に捉われ悪魔の囁きに負けた人間には

その己を量子次元で再構築する機会が訪れる。

いずれにしても自らを自らの量子で裁くのである。


悪魔の素性を見抜き眞の神に創造の光を

観て育み続けて来た者は

この時代の大きな変わり目に

神の眞の偉大さを目の当たりにするだろう。

… … … … … 

(一年前の記事)
結局は 今直面しているリアル現実は数千年に亘り 或いはそれ以上に亘る己の魂が経験して来た良いも悪いも可能性が集約しているものである。
 
知らぬ存ぜぬことは現象化しない。すべては己の魂心体のいずれかで呼び寄せた創造現象なのである。
 
神が裁くのではない。あなた自身が創造し呼び寄せたものにより あなた自身が裁かれそして裁き その一連の経過の全てを 神はみそなわし給う。
 
その意味において神はすべてを裁かれる。

(本年の感想)
実に畏ろしくも深淵に過ぎる宇宙自然界の掟である。「人間」はその周波数層構造ゆえにその深く超立体的な眞實が判らない。表層脳記憶の平面価値を卒業し眞の『人』と成り『自然神』を自らの内に甦らせねばならない。


一年前の記事。「それだけ。」

2024-06-13 19:34:32 | つぶやき

それだけ。

地球の表層脳科学では大自然の神秘と調和融合することが出来なかった。それが この数千年間の表層歴史を刻んだ結果なのである。 自然神の意図される惑星天国が出来たのかと言え......

地球の表層脳科学では大自然の神秘と調和融合することが出来なかった。それが この数千年間の表層歴史を刻んだ結果なのである。 自然神の意図される惑星天国が出来たのかと言えばNOと認めざるを得ない地球人の現状がある。
 
では地球の全てが駄目になったのか?そうではない。地球の自然は悠久なる保持を超然と継続している。何が駄目かと言えば 地球人の表層脳概念が正しく自然のクライン環流動を体現させるために機能していないという憐れむべき現実である。
 
私は極めて個人的な感覚であるが 自然根源と人類が共振融合するためには極端には二つの方向性しかないと観ずる。一つは人類が自然根源の眞の意図を知り共振創造すること。二つは自然の強制介入により創造原初から組み立て直すことである。
 
さて 現在時はいかなる状況か?数千年の時間的な猶予は疾うに過ぎたであろう。自然の創造原初はとっくにしびれを切らし進化に反する存在物を地球自然から排除にかかっているように感じられるのである。というより まさにそうなのである。
 
現在時は この二つの要素が絡み合い表層脳常識には解けない枷となっている。仕方がない 地球人はこれだけの自然が与えられながら呆けた魂で自然神に背を向けて来たのだ。だがヒントもチャンスもある。成すか成さぬかそれだけである。

… … … … … 

仕方がない。地球人が数千年 否それ以上かけて形態化し続けて来た人類社会の基礎模様なのである。また一から原初から始めるとなると数億年はゆうにかかるだろう。地球人はそんな膨大な無駄をするために『今』の時空を選択しているのではない。あなたなり私なりが 自然クライン環を創造原初から立ち上げ リアル周波数層を立体客観するだけですべては事足りるのである。そのためにこそ 今私たちはこの惑星地球に生き合っている。その必然眞理の源光をめいめいが掲げることである。

一年前の記事。「沈思黙考の必要。」

2024-06-13 10:35:12 | つぶやき

沈思黙考の必要。

地球は数千年に亘り 表層脳意識の帳に閉ざされて来た。光だ闇だのと安易に言別けしたくはないのだが そうにまで表現せねば判らぬから面倒な言い回しで言葉のロープを編んでゆか......

地球は数千年に亘り 表層脳意識の帳に閉ざされて来た。光だ闇だのと安易に言別けしたくはないのだが そうにまで表現せねば判らぬから面倒な言い回しで言葉のロープを編んでゆかざるを得ない。
 
もちろん あわよくば盲(めしい)た羊(地球人のこと)を誘導するがため。それは延いては己自身の表層意識を せめて自然神の懐まで導くためなのだ。そのために言葉に繋がる言霊を選り分け紡いで 迷える人霊の視界を晴らしたいのである。
 
地球人は煎じ詰めれば このような光と闇の周波数戦争を何千年も繰り返している。飽きもせず戦闘モードに突入しやすいのは 眞の自然の大仕組みを知らないからである。いや 知らされず逆に洗脳され聴く耳を喪失してしまっているのだ。
 
この大正転期 せめて己が如何なる位置にあるか沈思黙考してみる必要がある。

… … … … …

吾が身から発した言葉ながら 吾が『魂』と『心』に響き突き刺さる。まさにこの大転換期(実は大正転期)に惑星地球の周波数層が創造原初へとクライン環の舵取りを開始したように 『人』もまた同様の自然行動を敢行せねばならない。
沈思黙考し 『人』があるべくあらしめねばならない。