転職というのは、常に「自分は何がやりたいのか」突きつける。次に、何が何でもやりたいことが見つかった時に転職するのであれば、その悩みは自然と沸き上がり、スムーズに答えが出てくるのではないか。夫の転勤に伴う転職では、「まだ今のままでいい」という選択肢がないので、半ば強制的に考えさせられる状況になる。それはまた、やりたいことをはっきりと答えることのできない自分の言い訳でもある。おとといの夜、夜中の授乳時に起きて寝付けなくなり、そこから「自分には何もやること、やれることがない、何も答えられない」とひどく落ち込んでしまうということがあった。日経新聞に出ていた熊谷市長のインタビューを読んで、「できる人は私とは違うんだ」というような、かなりざっくりとした疎外感を感じたことも理由のような気がする。いや、今の自分が自信喪失状態なので、そのような疎外感を感じたということのほうが正しい。
それぞれのときに、やりがいのある仕事をしていれば、それまでがどんな紆余曲折で一貫性がなさそうな人生でも、どうにでもストーリーに仕立てられるというもの。話としてまとまっている(=まとまっていれさえすればそれはサクセスストーリーと言える)ものを読んでは落ち込む、というのはもう止めたい、と思い、昨日は真面目に自分の方向性についてノートに書いて考えてみたりした。
今日も、そんなどっちつかずの自分の気持ちを引きずっていたことは否めない。同時通訳で活躍していた人が医学部に入って医者もやっている、という女性の話なんて、スマホで読む必要なんてなかった。結果的に。そんなことをしている間に、娘がベビーラックから落ちたのだ。うごうごとか弱い声で鳴きながらずり落ちて行って。書くのも落ち込む。スマホで記事を読んでいる間に、すぐ近くにいた生後3か月の娘が落ちたのだ。幸い、打ったのは後頭部ではなくおでこ側で、おでこの右側にたんこぶができてはいるが、泣いた後抱っこで泣き止み、ベッドで寝たり起きたり笑いかけてくれたりと、いつもと変わらない様子に戻っている。
自分のもやもやした気分と、それに伴う行動が、彼女を危機にさらしたと思えてつらい。すぐに、ベビーベッドを組み立てた。ベビーラックは、座れるようになるまで片付ける。かわいくて優しい笑顔で穏やかに寝ていてくれている彼女のためにも、しっかりとこのもやもやの闇を踏みしめたい。その後、もやに足をすくわれないようにするために。
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