ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

映画「アクト・オブ・キリング」

2014-06-01 21:34:21 | Movie

話題のドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」を観てきた。観た方がいいと思う、こんな映画はもう二度と出てこないから。私にしては珍しいが、もう一度観たいと思った。ドキュメンタリーは、辛い事実を観ることが多くて、いつもは一回観るのにえらくエネルギーを使ってしまい、二度目を考えないのだけど。

もう一度観たいと感じている理由は、この映画は辛さを突きつけるのではなく、人間の、社会の不思議さを突きつけているからだと思う。人は、大した理由もなく(華人だからとか、共産主義者っぽいからとか、共産主義を盾にアメリカ映画の上映阻止を訴えているとかで)、虐殺を楽しめるものなのだろうか。別にゴッドファーザーのような特殊な家庭に生まれた人ではない。ただの、映画館のダフ屋をやっていたチンピラが。

そして、「1000人は殺したよ」と言う彼らを、(そして映画には出てこない、同じように虐殺を実行した多くのギャングたちを)、隣人として平穏を装って暮らすだけにとどまらず、英雄にしたり、現役政治家が慰問したり、選挙の立候補を要請したりという社会がなぜあり得るのか。1965年当時の大虐殺で、犠牲者は100万人とも200万人とも言われる。遺族はその数倍いて、生きているというのに。

ひとつめの疑問は、映画で少し理解した気がする。彼らは、少年のように映画スターに、アクション(虐殺)映画に憧れて、真似していたようだった。でもそれだけで、血がベトベトにまとわりつく人生を続けられるだろうか。彼らは銃で殺すのではなく、針金で首を絞めたり、殴り殺したりというやり方なのだ。

彼らをおだてた人たちもまた、権力者にとどまっている。例えば、地元新聞の編集長は、「あいつはアカだ」とギャング達に伝えては、殺してしまえと促した。映画館の向かいにある新聞社の社屋の屋上を使わせた。でも、この社会の成り立つ理由はわからないところが多いから、もう一度観たい。


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