1957(昭和32)年、読売新聞の立松記者が、
名誉毀損罪で逮捕された。記事に書かれた贈収賄の事実を確かめるよりも前に、
逃亡のおそれも証拠隠滅のおそれもないのに身柄が拘束され、
取り調べを受けた理由を追いながら、人間や時代を詳細に描いた、
元読売新聞社会部で、当時立松記者の近くに居た本田靖春によるノンフィクション。
新聞記者、検察という組織と検察官、新聞社、
五十五年体制ができあがった頃の時代とは何か。
すべてが周辺の事実ではなくて、本筋の要素として
浮かび上がってくる。
「不当逮捕」というくらいで、その不当性を訴えたい思いも
読み取れるのだけど、それより何より
「こんな面白い話を書かずにはいられない」という気持ちが
あったに違いない。と思わせるほど、どの場面、どの人間に関しても
記述が細かい。絵を描いているようで、ノンフィクションということを
本当に忘れてしまいそうだった。
事件そのものは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B2%E6%98%A5%E6%B1%9A%E8%81%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6
「なぜ立松が名誉毀損罪で逮捕されたのか」。
これに対する著者の仮説は、講談社文庫の316ページから、
・財閥解体後の昭和電工に社長についた日野原がらみで、
GHQ内の対立(GS:民政局VS GⅡ:参謀第二部)が顕在化する
・このとき、GSを舞台から降ろしたいGⅡが執拗に捜査(を検察に命じ)、
読売の立松記者らにリークしたりしていた
・財閥解体や財界有力者の追放が相次いだ占領前期、政治に財界の存在はなかったが、
この疑獄で芦田内閣が倒れ第二次吉田内閣が成立して以降、
池田勇人や佐藤栄作ら官僚出身者が大臣となり、官僚が国会を支配する
保守体制の原型が形成
・ 一方で朝鮮特需などで財界は存在感を増す
・それゆえ、1954年の造船疑獄では検察は佐藤栄作を逮捕できなかった
・財界を含めた保守勢力の圧力に、屈し始め、占領前期のような検察の権限は弱まり、
立松が書いた贈収賄についても、確証を抱く段階ではなかった
・それに付随して、検察の内部闘争(馬場派VS岸本派)があからさまに繰り広げられ、
馬場派から情報を得ていたと思われる立松に、岸本派から大胆な攻撃が仕掛けられた
・立松は、昭電疑獄後、名誉毀損罪となった贈収賄事件まで、
病気のため入院して、十分に背景を体得していなかった
というもの。
「事実は小説より奇なり」と思わされるし、ノンフィクションというのは
ここまでできるものかと驚かされた作品でした。
正月には『誘拐』も読みました。
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