Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

「笑い」は耳から

2007年11月22日 | 家・わたくしごと
 この4,5年、バリではワヤン・チェン・ブロンとよばれる新しいワヤン(影絵人形芝居)が人気を博している。とにかくワヤンといえば、チェン・ブロン。老若男女は皆、チェン・ブロンの大ファンといった様相を呈しているのだ。バリの新聞に掲載されたこのワヤンの人形遣いのインタヴュー記事を昨晩読んでいると、気になる部分に出会う。
「私のワヤンは面白さを前面に出しています。伝統的ワヤンでは、演目から、観客は、文学や哲学を学んできましたが、文学も哲学もワヤンから学ばなくたって本で読めばいい。だけど「笑い」は本で読んでも面白くないでしょう?聞くから面白いのです。だから、私のワヤンは、文学や哲学よりも「笑い」を重視するんです。」
 なるほど、だから面白いはずである。そして、それまでのワヤンの常識を覆し、文学的要素や哲学的な要素を排除してしまったわけだ。なるほど納得である。もちろん、これまで培われてきたワヤンの伝統が、このワヤンの存在によって揺るがされていることは否定できないが。
 そんなことを考えてパソコンの前に座っていると息子が寝る直前ニコニコしながら、私の所になってきて こんなことを言う。
「お父さん。今、学校で流行ってるんだけど・・・。ぼくの言うこと、繰り返して言ってくれる?」
 そういって、犬、猫、チョコボール、ヤンバルクイナ・・・などなど、一つずつ単語を言われて、私は仕方なくそれを単語ごとに繰り返した。最後に息子はこういった。
「この中で、ふつう食べられるものどれ?」
 私は考えてこう答えた。
「チョコボール!」実に簡単な問題である。ところが息子はこういった。
「ぼくの言ったことを繰り返し言わなきゃいけないんだよ!引っかかった!」
私は彼の罠にまんまとひっかかったわけだ。しかし、このくだらなくも、面白い言葉のやりとりは、確かにワヤン・チェン・ブロンの人形遣いが言うように、こんな風に文字にしてしまったら、あまりにもそっけないものだ。笑いはやはり時間芸術のように、笑った瞬間、さらりと消えていくのが「粋」である。