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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ワヤン・チェンブロン

2011年09月04日 | バリ
 『変わるバリ・変わらないバリ』という本の中で、バリの変容するワヤンとして、ワヤン・チェンブロンをとりあげて論文にまとめた。この調査から数年が経過したが、今回、久しぶりにワヤン・チェンブロンを見る。あいかわらずその人気は高く、小さな集落での路上での上演にも関わらず、近隣の村からも観衆が訪れ、その数は数百人に及んだ。しかも観客の多くは若い世代である。これだけの若者を集められるワヤンは、今なおチェンブロンのダランだけだろう。
 チェンブロンはある意味、ワヤン革命だった。衰退しつつあるワヤンに再び光を当て、バリのワヤンを救済したのである。志望者がいなかった芸術高校や大学のワヤン学科の志望者は急激に増加したし、教育機関以外でもダランになりたいと思う若者が増えたそうだ。不良少年たちが食い入るようにスクリーンを見つめ、大声で笑う姿を見て、そんなワヤンブームも理解できるような気がする。
 ワヤン・チェンブロンは。伝統的な手法でワヤンを上演し続けているダランに大打撃を与えた。依頼が激減したからである。ワヤン・チェンブロンはもはや伝統的なワヤンとは一定の距離があり、正直、マハバラタやラマヤナの物語を楽しむよりも、これらの叙事詩を臭わせた「お笑い」である。トゥワレンとムルダ、デレムとサングト、グレンチェンとケブロンという三組の「漫才(お笑い)」を楽しみに観客は集まるのだ。日本だって大阪、東京にかかわらず「よしもと」の劇場はいつも満員だそうだ。
 しかしワヤン・チェンブロンのダランは、僧侶である。2時間、その話術で人々を笑いの渦に巻き込んでも、その後、彼はそれまでとは打って変わったような表情と、古い人形を使って聖水を準備し、人々の穢れを清める。しかしそんな様子を見ている観客など誰もいない。数百人、数千人の観客が会場を去った後、賑やかなガムランではなく、静かなグンデル・ワヤンの音色の中で、浄化儀礼が執り行われる。時代とともに観客に受け入れられるワヤンの姿は変わった。しかし、ワヤンの僧侶としての役割はこうして継承されている。
(8月26日に記す)(写真は後日)