Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

楽器工房

2011年09月05日 | バリ
 楽器の調査のためにブラバトゥにある楽器の工房に出かける。楽器工房には調査でよく出かけるのでそれ自体は珍しくないのだが、今回、驚いたのはこのビニール製の垂れ幕である。ここに印刷されている写真は、この工房の主人の顔写真で、ゴング・ガムラン工芸「シダ・カルヤ(工房名)」が大きく印刷されている。すでに工房に来ているのだから、ここで宣伝は必要ないのだが、それにしてもすごい。
 この工房は、街から近いこともあり羽振りがいい工房の一つで、10年以上訪れないうちにりっぱな母屋も建っている。ガムランを購入したい観光客も、ガイドに連れられてしばしば訪れるようだ。観光地ウブドにも近い。
 この垂れ幕にあるkerajinanというインドネシア語は「手工芸」という意味である。確かにガムランは手工芸で作られていたのだが、この工房ではあちこちで機械音が鳴り響く。「手」で行う部分と「機械」で行う部分がすでにはっきり区分けされている。もはや「手工芸」のレベルでは注文が追いつかないのである。その結果、機械化が明らかに生産効率を上げた。しかしここまでくると、kerajinan (あるいはkerajinan tangan)「手工芸」ではなく、kerajinan mesin 「機械手工芸」ではないかと思ってしまう。(8月27日に記す)(写真は後日)

熔かされたガムラン

2011年09月05日 | バリ
 今回の調査でよく聞いたことは「古いガムランは持っていたのだけれど、音が気に入らなかったので、金属部分を溶かして新しく作りなおした」という言葉である。こちらとしては古いガムランの調律された音の高さを音響解析したいので、歴史的なガムランを持つ村を訪れるのだが、基本的には金ぴかのガムランに様変わりしてしまっている。
 バリの人にとっては、よほどのことでない限り、「ガムランは消耗品」なのだ。ガムラン楽器やゴングの神聖性が語られる一方で、「割れれば使えないから溶かして作りなおす」わけである。これまでの調査で、壊れたゴングを後生大事に保管して供物をささげていた場所はひじょうに少なかった。
 今回調査したガムランの中で、溶かしてしまったけれど、2台だけ楽器を残した村に遭遇した。この村では古いガムランを溶かして新しいガムランに変えようと若者たちが提案したときに、老人たちがさまざまな理由をつけて、「どうしても2台だけ溶かしてはいけない」と抵抗したそうである。その結果、グンデル・ランバットという2台の楽器だけが後世に残った。 
 溶かしてしまってから20数年後、この村では再び、かつて溶かしてしまった楽器を再興しようという機運が高まり、結局、以前の楽器を新たに作りなおしたのだった。こういう所がバリらしいのだが、このとき老人達が守った楽器が役に立った。かつての楽器の調律をこの楽器から知ることができたからである。今考えてみると、老人たちはこういう事態を予測した上で、先を見据えて若者たちから楽器を守ったのかもしれない。今回の調査の中で、ちょっぴり感動した話である。(8月28日に記す)(写真は熔かされなかったグンデル・ランバット)