タバナンの街の中の集落でガムラン楽器の調査をした。61年にはアメリカやヨーロッパに、すでに老年に達したマリオとよばれる有名な舞踊家とともに演奏旅行したグループがあった地域である。彼らにとっては、今なおマリオが最高の踊り手なのである。マリオが住んでいた集落もこの集落から歩いてすぐのところだ。
ところで、マリオの晩年に芸能活動を共にしたメンバーが面白いことを話してくれた。「もともとオレッグ・タムリリンガンは、クプクプ・タムリリンガンだった」というのである。プリアタン村のアメリカ公演の時に、オレッグという名称になったらしい。確かに最初の踊り手は蝶のように見えるではないか?二匹の蜂というのは無理があるし、花と蜂というのもちょっと疑問だった。「クプクプ(蝶)」というのは実に納得のいく説明ではないか?
オレッグは、プリアタンのアメリカとヨーロッパ公演(1952年)のためにプリアタンのマンダラとマリオが創作した舞踊曲ということになっていたと思うが、プリアタン側の語りだけでなく、タバナン側の語りもしっかりと調査する必要があるのだと思う。難事件を解明する刑事と同様に、芸能の調査もまた、少しでも疑問があれば「現場に戻れ」である。(9月2日に記す)
ところで、マリオの晩年に芸能活動を共にしたメンバーが面白いことを話してくれた。「もともとオレッグ・タムリリンガンは、クプクプ・タムリリンガンだった」というのである。プリアタン村のアメリカ公演の時に、オレッグという名称になったらしい。確かに最初の踊り手は蝶のように見えるではないか?二匹の蜂というのは無理があるし、花と蜂というのもちょっと疑問だった。「クプクプ(蝶)」というのは実に納得のいく説明ではないか?
オレッグは、プリアタンのアメリカとヨーロッパ公演(1952年)のためにプリアタンのマンダラとマリオが創作した舞踊曲ということになっていたと思うが、プリアタン側の語りだけでなく、タバナン側の語りもしっかりと調査する必要があるのだと思う。難事件を解明する刑事と同様に、芸能の調査もまた、少しでも疑問があれば「現場に戻れ」である。(9月2日に記す)