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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ブレヒト『処置』から思うこと

2012年12月12日 | 家・わたくしごと
 昨日、静岡のアトリエみるめで劇団渡辺2012冬公演、ブレヒト『処置』の演劇を観た。ぼくがブレヒトを知るきっかけは高校の頃だ。いわゆる「たたかう音楽」に夢中になり、どんないきさつだったのかはよく覚えていないのだが、クルト・ワイルやハンス・アイスラーの音楽を貪るように聞くようになったからである(今も研究室にはよく流れている)。いわゆる彼らのブレヒト・ソングと呼ばれる一連の作品の詩は、すべてブレヒトが書いたものだったし、それらの多くはブレヒトの戯曲を作品化したときに作曲されたものだった。笑えることだが、ぼくが最初にお金を払って観たオペラは、忘れもしない東京文化会館で上演されたベルリンのなんちゃら歌劇団によるワイルの《三文オペラ》だった。「三文」のわりには1万円近くして偉く高かった記憶がある。「三文」のブルジョア・オペラか!

 ブレヒト=アイスラーの作品で最初に音楽劇として聞いたのは『おふくろ』だった。そこで語られる、ぼくら世代には刺激的な単語――学生運動を経験した団塊の世代にとってはごくあたりまえな言葉であったとして――に触れるごとに、ぼくは少しずつ「正しい大人」になっていく気がしたものだった。『処置』を知ったのはしばらく後のことだが、実は、このアイスラーの音楽作品の音楽について印象が全くない。いまだ聞いたことがないのかもしれない。

 30年前のぼくは、単なる暴走心にはやる青二才に過ぎなかったから、『処置』におけるテーマを「全体」と「個人」の葛藤としか捉えていなかった。若かった頃、なぜ「正義」であるはずの「個人」が、党という「全体」により粛清されなければならないのかという、憤懣やるかたない思いに駆られた。しかし、今となってみれば「組織」の中である一定の地位を得て、その枠組みの中で生きる自分であれば、はやる「同志」に対してどう「処置を施す」のだろうか?

 それにしても劇団渡辺の舞台は、演出も舞台装置もユニークだったし、役者も個性派ぞろいだった。4人の出演者が全員、黒、金ボタン、ツメ入りの「学生服」を着用。今の若者にとって、中学生や高校生ではなく、青年が着用する「学生服」が象徴するものについて考えるとユニークだ。今じゃあ、応援団くらいだろうか?それに歌、アイスラーが聞いたら驚くだろうが、流行歌風、ジャズ風、ラップ風、ゴスペル風などさまざまな雰囲気が醸し出される。考えても見れば、ワイルの音楽は当時としては「アメリカン」な香りを漂わせているし、民衆に届かなくては意味がないのだから当然のことなんだろう。まだまだ見所満載であるが、週末まで公演は続くようなので、ご興味のある方は是非ご覧あれ。静岡の小劇場である「アトリエみるめ」から検索すれば簡単に情報を入手できる。