Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

150円のご馳走

2007年11月20日 | 大学
 月曜日は10時20分から19時まで授業が続く。昼休みも修論作成の学生指導があって、とにかく休憩時間がとれない。ということはきちんと食事がとれないわけで、たいがいパンをひとつ「さんぴん茶」で流し込んでおしまいである。
 19時までの授業が終わって、さあ自分の論文にかかろうと思ったとき、不思議とその時はじめて空腹を感じるのだ。といっても最近、大学前のコンビニはビルの取り壊しで閉店してしまったし、19時には大学生協も、近くのお菓子屋も閉まっていて、もう駄菓子一つ買う場所がない。さて困った・・・腹が減っては戦はできぬ。
 そこで思いついたのが、首里城へ向かう道の途中にある「たこ焼き屋」である。時たまガムランの練習に行くとき買うことがあるのだが、近くの高校生が立ち寄るお店で値段がとっても安いのだ。なんと10個150円で、ちゃんとタコも入っている。しかもソース、マヨネーズ、青のりがしっかりかかってこの値段である。
 思いついたら吉日!散歩がてらにそのタコ焼きを買って、持ち帰る。いいおじさんが、女子高生の後ろに並んで、「たこ焼き10個下さい」なんて言うのは、少々恥ずかしかったが。
 不思議なもので古本屋の匂いで充満する研究室が、タコ焼きを持ち帰ったとたん、あっという間にお好み焼き屋かもんじゃ屋の匂いに早代わり。これでビールでもあったら最高である。ビールではなく、お茶と一緒に空腹を満たしてから1時間半、しっかり集中して仕事ができたことは言うまでもない。150円のご馳走さまさまである。


観光地に示される「出口」考

2007年11月19日 | 家・わたくしごと
 バリで有名な観光地の一つである寺院に行った帰り、私は駐車場に近い「入口」から出ようとした。「出口」と書かれた方向に行くと、とんでもないお土産屋の迷路の中をさまようことになり、買わないにしてもその客引きがストレスになるからである。私の前のインドネシア人旅行者は、ガイドについてあっという間に「入口」から出て行ったのだが、外国人である私には「待て」がかかったのだった。
 警備員(英語)「出口はここではない。(指をさして)向こうから行きなさい。」
 私(インドネシア語)「今、インドネシア人の観光客はここを通って出たのに、なぜ外国人は向こうなのだ。」
 警備員(無言)ただ出口を指すだけ。
 私(インドネシア語)「私は買い物などしたくない。暑いのですぐに駐車場に戻りたい。」
 警備員(無言)ただ出口を指すだけ。
 だんまり攻撃なので、あきらめた。こんなところで口論する方が時間の無駄であると察したからである。しかたなくお土産屋が両側に50軒は並ぶとんでもない出口に突入した。その途端聞こえてくる。
 「オニイシャン、ジェンブ100イェン、コッチ、コッチ」
 「コレ、ジェンブ、1000(シェン)イェン、コレ、カッテ」
 疲れているときは、こういう言葉を「遊び」感覚で受け取れない。それにしても10年前は「1000(シェン)イェン」しか言えなかったはずなのに、相当に日本語が上達したものである。
 さて、今日は入試業務の合間、1時間の自由時間ができたので、散歩がてら「首里城」までぶらりと出かけた。日曜日の午後にもかかわらず、あいかわらずものすごい数の観光客である。年間250万人以上が首里城に来るというのだから相当である。歩きながらぼんやりサイン(矢印)見ているうちに、「出口」と書かれた看板を発見した。なるほど、首里城を見た観光客と、これから見に行く観光客で同じ道が混雑しないように、帰り道は別に作ってある。なにげなくそこに踏み入れたとたん、
「お兄さん、冷たい飲み物、アイスあるよ。ちんすこうは5箱で1000円・・・」そんな呼び込みがあっちこっちの店から聞こえてきたのだ。つまり「私(お兄さん)」に対する「客引き」である。「出口」の通路には、10軒以上のみやげ物が、整然と並んでいるのだ。しかもどのお店も、Tシャツ、ストラップ、ちんすこう、アイスクリームなどの似たようなものを売っているのである。
 結局、インドネシアも沖縄も同じである。というよりは、どの観光地でも出口にお土産屋が並ぶことは定番であり、もし違うとすればそれは、「客引きがうるさいか、うるさくないか」の違いに過ぎないのだ。とすれば、インドネシアと沖縄は、結構、いいライバルである。


クリスマス飾りへと模様替え

2007年11月18日 | 家・わたくしごと
 ニュースを見ていると東京の高層ビル街では、そろそろクリスマスツリーのライトアップが始まっているようだ。まだ1ヶ月以上もあるというのに、クリスマス商戦に向かって街が(市場が)動き出しているのである。そんなツリーやクリスマスデコレーションを見た街行く人々は、「クリスマスが近づいたし、プレゼントを考えなければ・・・」はたまた「今度のパーティーの料理は何にしようか」それとも「デートでいく最高の景色の店を早く予約しないと満席になってしまう・・・」などと焦りはじめるのである。
 このところ、大学のある首里近辺と、ガムランを演奏をするために海洋博記念公園にでかける以外、「久茂地(くもじ)」、「北谷(ちゃたん)」など人が大勢集まる場所に行っていないので、この沖縄の街がクリスマス用に化粧されているのかどうかはわからないが、たぶん「まだ」である。まだ昼間は半そででも大丈夫な陽気だし、いまいちクリスマスの実感がないのが本音だ。
 ところが、当然、わが家の玄関がクリスマスへと突入したのである。玄関にはやたらと鉢植えが置かれているのだが、その大半に、百均で買ってきた赤と白のクリスマスを彷彿させる花を、かみさんがところせましと差し込んだのである。ちなみにこの写真は、そうした鉢植えの「ごく一部」であることを明記しておく。ということは、こんな鉢植えでわが家の玄関は溢れているのだ。こんな早くからクリスマスの到来をいったい誰に「告知」しようとしているのだろうか?この告知は、クリスマスという「季節感」か、それとも「商戦」か?いやいや・・・この飾りにそんな下心があるわけがない。僕は焦らないぞ、絶対に市場になんか操られないぞ。まずい、血圧が上がり始めた・・・。


内科医キャン先生のお言葉(11月編)

2007年11月17日 | 家・わたくしごと
 昨日はキャン先生のお言葉拝聴の日であった。
 「今日は少し血圧が高いですね。薬は飲んでますか?」
 「薬は飲んでいるんですが、ちょっとこの3日ばかりひどい下痢が続いて、そのせいかもしれません。整腸剤だけを飲んでいるのですが。」
 事実この3日間、プリンとわずかな食事だけでこの状態を耐えているのである。きっとそのせいで血圧が若干高いに違いないと自己診断する。
 「そうですか。それではベッドに横になってください。」
  おなかの触診をしながら、聴診器をおなかに当てて音などを聞いている。
 「今日もひどいですか?」
 「よくはなってきています。」(正直に言う。といっても一日6回くらいに減っているだけである。)
 再びキャン先生の前に座る。
 「まあ、このまま良くなると思うから、家にある整腸剤、そのまま飲んでいてください。口から水飲めるでしょう?ということは点滴もいらないし。こういうのはひどい下痢とはいえません。」
 ピシっとお言葉をきめられたのだった。直球が内角低めに決まって、もう手も足もでない感じである。
 「はあ・・・」
 「じゃあ、お大事に。」
 3日も苦しんでいるんだから、同情くらいしろ!なんていえるわけがない。だいたいキャン先生にこういう言葉が通用するはずがない。
 「ありがとうございました」(なぜか、病院ではお金を払う側がお礼をいう。)
と言って部屋を出た。
 家に帰ってかみさんに「キャン先生、薬くれなかった・・・」とぼやいた。まあ、いい主治医はやたらと薬は出さないものだ。それにしてもキャン先生は常にクールである。そのクールさは、まさにブラックジャックなみである。表情一つ変えずに淡々と話すのであるから。結局、今回もありがたーいキャン先生のお言葉を賜わったのだった。ちなみに次回のお言葉拝聴のための予約は1月である。


首振り鳥の風竹

2007年11月16日 | 家・わたくしごと
 天気予報をみると、北海道や東北の最低気温はもう零下にまで下がっているようだし、東京だって朝夜は10度近くになっているので、風鈴や風竹の話題は時期はずれなのかもしれないが、ここは沖縄である。正直、この時期はまさに東京の秋。風でなる鈴や竹の音が心地よい季節である。
 さて、先月末からわが家にとんでもなく大きな風竹がお目見えした。バリで買ってきたもので、なんと縦にぶらさがる6本の竹の上には、でかい鳥の飾り物がつけられており、この首も尻尾も、風とともに動くのである。それまでは百均の騒音に近い風鈴が、「鳥除け」の目的でガンガン鳴り響いていたので、それにかわってやわらかな竹の音が響くのは快音である。まさに「癒し」のひとときなのだ。
 しかし、かみさんはそれを頻繁に室内に移動する。理由は「洗濯物を干すのに邪魔になる」「うるさい」「壊れる」からである。しかしわが家は洗濯物が多いし、沖縄は風が強い時間帯が長く、そうなると大半は室内のカーテンレールに吊り下げられ、音の出ない風竹を居間からぼんやり眺めることになる。音具というのは基本的に音を楽しむものであり、観賞用ではないのだが、なんとなく風変わりなこの風竹を、最近はじっくり眺めてしまう。そんな「首振り鳥の風竹」は、今やわが家の室内アクセサリーでもあり、時々、ベランダでやわらかい音を奏でてくれる風竹である。ありがたや、ありがたや。


バリ博物館の猫

2007年11月15日 | バリ
 猫ですから、バリだって日本だってそうたいした違いがあるわけではないのです。しかし、この写真の猫、とっても、もの騒がせな猫ちゃんでした。先月、バリで博物館を何人かで見ながら、たまたま展示品について私が話していたところ、とんでもない勢いで、展示室に子猫が走りこんできたのです。子猫は予想だにしなかった場所に迷いこんだことを知ってか、あまりにもあせりすぎているせいか、すべる床の上で狂ったように前足と後ろ足をばたつかせて・・・それでも床の上で先に進まぬ櫂をこいでいるように暴れています。まるで子猫の一人芝居を見ているようです。ツルツルと床をひっかいているばかりで、まったく前へ進みません。子猫のパニック状態というやつでしょうか?
 やっとのことで前へ進んだかと思うと、あっという間に展示室の棚の下に隠れました。もう一瞬のことです。展示品を見ていた日本人はその後、展示品どころではなくなってしまいました。床に這いつくばって子猫を探します。
 カメラの持ち込みのお金を払っていた私は、床の下に隠れる子猫の写真を撮るよう命じられました。もちろん命じられるままに撮影した写真がこれ。もちろん、この出来事の後は、博物館見学なんて雰囲気ではなく「あの猫がいかにかわいかったのか」という話題でもちきりになり、バリの歴史と文化は一時的にぶっ飛んでいきました。まあ、かわいいのでいいことにしましょう。できるなら今度は、ものすごく猫嫌いな団体のいるときに紛れ込んできてください。別な意味で展示室はパニックになるかもしれませんが・・・。

燃えた市場

2007年11月14日 | バリ
 今年の5月、デンパサールの市場の一つが火事になった。市場といっても食品や日用品を扱う場所ではなく、「クンバサリ」と呼ばれていたおみやげ物の市場である。世界各国からバイヤーが買い付けにくるような大型の店もあれば、一坪ほどのスペースで個人経営の土産屋がひしめきあうまさに「市場」の様相を呈していた。しかしその市場はたった一晩で消えてしまったのである。
 20年前に留学していた当時から、家族や友人が来るたびにこの市場に案内した。最近ではこの年の3月に学生をバリに連れていったときにこの市場に出かけた。20年の間に売られるお土産はだいぶ姿を変えたが、それでも店々の雰囲気は昔のままだった。学生を連れて迷子になりそうな細い市場の路地を廻りながら、ノスタルジックな気分に浸った。
 留学を終えるとき、勉強の援助をしてくれた両親に何かお土産を買おうとこの市場にふらりとでかけ、そこで大きな木彫のレリーフを買った。帰る日までの日数を指折り数え、必要なお金だけを残して、それ以外の所持金の大半をそのレリーフ代につぎ込んだことを、今なお鮮明に記憶している。そしてこのレリーフは今もなお、実家の玄関を飾っている。
 たくさんの思い出がつまった燃えた市場を遠目に眺めるだけで、なんだか胸が詰まる思いがする。無くなって初めて気づいた自分と「クンバサリ」の距離。


新車のお祓い

2007年11月13日 | バリ
 新車を買うと日本人でも信心深い人は「お祓い」をするらしい。京都の下賀茂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮にいったとき、車のお祓い場所みたいなものがあったのを記憶している。さて、本日の車のお祓いの舞台はバリ。バリの人々が新車を買うと、ヒンドゥー教徒であれば規模の大小を問わず、ほぼ100パーセントの人々がお祓いを行う。しかも210日に一度、その車に供物を捧げ続けるのであり、人によっては毎日、供物を捧げ続ける者もいる。どんなところにも神が存在してしまうのがバリである。
 10月にバリに調査に行ったとき、大きなお寺の駐車場で新車のお祓いが行われていた。日本と違って、お祓いをする場所があるわけでもなく、ふつうの駐車場の一角である。白い衣装をまとった僧が祈りを捧げる中、供物担当の女性、そして親族がその様子を見守っている。たった今、荘厳な寺院を見てきたドイツ人観光客の一団は、駐車場でいったい何が行われているか不思議そうに眺めている。
 これで事故が絶対に起こらないならいいのだろうが、そこは交通事情無秩序なインドネシアである。こっちが気をつけていても相手が勝手につっこんでくるものだ。だからこそ、神の力が必要なのだ。つまり不可抗力を回避するためには、超自然的な力を借りる以外に方法はないのであるから。と考えると、交通事情が整備され、バリの事故率が低下していけば、車への儀礼も徐々に忘れられていくものなのだろうか? 


「キョロちゃん」はヤンバルクイナだった?

2007年11月12日 | 家・わたくしごと
 日曜日、ガムランの演奏で海洋博記念公園に行ったとき、花で飾られたヤンバルクイナの像を見て、「沖縄らしい」という理由からその像をデジカメに納めた。それきり、この像のことは忘れて一回目の舞台を終えて楽屋に戻ったとき、机の上に「森永チョコボール」の箱を見つけた。私が子どもの頃にはあったこのお菓子、21世紀の今もまだ存在しているのかと感心しつつ、なんとなく箱を見つめたのだった。
 「そうだ!そうだよ!さっき撮影したヤンバルクイナと、この箱に描かれた鳥、同じじゃない?いやいや、同じだよ!」
とんでもない大発見をした気になってしまったのである。見れば見るほど鳥の姿が似ている。特にそのくちばしは、色が違うものの瓜二つである。感動的な瞬間である。
 チョコボールの鳥のキャラクターは正確には「キョロちゃん」という。このキャラは、このお菓子が販売された1960年代後半にはあったようで、どうりで私も知っているはずである。金のエンゼルと銀のエンゼルを狙って、いったいこのチョコにいくら投資したことか。
 とにかく私の世紀の大発見を誰かに話したくて、楽屋で暇をつぶすメンバーたちに鼻高々とこの話をしたのだった。ところがわがガムラングループの年長者にして知識人のI氏が一言、ポツリといったのだった。
「ヤンバルクイナの発見の方が、チョコボールのキョロちゃんより遅いんですけど・・・」
なるほど、よく考えてみるとヤンバルクイナの発見は1981年である。
「そうか、そうだよな、そんなに「発見」なんてお手軽にできるものじゃないよな・・・」
 私の発見は、その瞬間、泡と消えたのであった。
(ちなみにチョコボールの「キョロちゃん」を見たい方は、昨日アップしたブログの写真をご覧あれ。)


楽屋の差し入れ

2007年11月11日 | 家・わたくしごと
 舞台のある日、もちろん舞台での上演は最も大切な時であるが、実は舞台よりも長時間過ごす場所は楽屋である。楽屋の雰囲気がよかったり、過ごし易かったりすることも、舞台にとっては大切な要素である。だからこそ、打ち合わせなどに行くときも楽屋や楽屋として使う予定の部屋は必ずチェックするし、要望も伝える。
 楽屋に入って楽しみなことは、その日のお弁当、そして差し入れのお菓子。昨日の楽屋への差し入れは、揚げたてホカホカのサータアンダギーと、今帰仁にお店のある美味しい和菓子、それとメンバーがもってきた駄菓子が少々。沖縄らしくて素敵なお菓子たち。
 メンバーが舞台と舞台の休憩時間にそんなお菓子をつまみながら、1回目の舞台を反省したり、世間話をしたり・・・。そんな楽しいひと時を演出してくれるのが差し入れのお菓子。下さった方々に感謝。