徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ラフカディオ・ハーンの功績は・・・

2025-03-12 21:50:56 | 日本文化
 今秋から放送されるNHK朝ドラ「ばけばけ」のPR情報を読んでいると、枕詞のように「怪談」の文字が付く。たしかにラフカディオ・ハーンは多くの民話の再話文学が最も知られているのだが、広く日本文化を欧米へ紹介した功績を忘れてはいけないと思う。今日はその中から民俗芸能のエピソードを二つ取り上げてみた。

 ラフカディオ・ハーンが松江で最も信頼を寄せた西田千太郎とともに松江市南郊の「山の者」の部落(被差別部落)を訪ねた時、「大黒舞」を見て、その詞章「俊德丸」「小栗判官」「八百長お七」を採集する。その民俗芸能としての価値とともに部落問題を認識した。ハーンの民俗学者としての成果の中でも重要な意味を持つのがこの「大黒舞」である。
 「大黒舞」は室町時代から江戸時代にかけて旅芸人たちが大黒天の祝舞として各地を門付けして巡り、その名残が各地に民俗芸能として残っているといわれる。

 下の映像は歌舞伎舞踊化された大黒舞。

   ▼因幡大黒舞


 ハーン著「日本の古い歌(Old Japanese Songs)」の中には千葉県民謡の「銚子大漁節」の英訳が紹介されている。しかし、ハーンは銚子を訪れた形跡はない。それではどうやって「銚子大漁節」を採集したのだろうかという疑問を銚子市観光商工課に問い合わせてみた。文化財担当者からの返事では、「ハーンが銚子に滞在した記録はない」というハーンの孫・小泉時氏の談話が残っているので間違いない。それではどうやって採集したかというと、明治33年にハーンが「日本の古い歌」に載せた大漁節は「十とせ」を欠いており、その2年前、明治31年に出版された大和田健樹著「日本歌謡類聚」に収録された大漁節も「十とせ」を欠いていることから、ハーンは「日本歌謡類聚」をもとに翻訳したのではないか、とのことだった。

   ▼銚子大漁節

東日本大震災14年

2025-03-11 22:17:11 | ニュース
 東日本大震災の発生から今日で14年。この14年の間の様々な思い出の中でも特に忘れられないものがある。

 大震災から5年経った2016年3月11日、多くの犠牲者と甚大な被害を被った宮城県名取市閖上地区で追悼イベントが行われた。そのイベントで、熊本県の鹿本農業高校郷土芸能伝承部の生徒たちが、鎮魂と復興の願いを込めた山鹿灯籠踊りを奉納した。現地メディアでは報道されたようだが遠く離れた熊本へは情報は届かない。
 すると、前日にこのイベントに鹿本農業高校郷土芸能伝承部が参加することを紹介した僕のブログをたまたま読んでいただいた名取市在住のミント様という方が、当日のイベントに参加され、その様子がよくわかる次のようなコメントをいただいた。ミント様の温かいお気持が胸に沁みた。

はじめまして。
名取市に住む者です。
踊り会場の向かいの護岸で休んでたら、なにやら横笛と太鼓の音色が流れてきたので近づいてみたら、頭に灯籠をのせた若い女性たちが10人ほど、ゆったりした舞いを披露。
山鹿灯籠踊りを舞う高校生の姿に見とれてしまいました。
日本の美が凝縮された優雅に呆然。
あのような舞いがあるんですね。
この世のものとは思えない幻想は浄土の光景をまじかに見てるようでした。
亡き人も残された人も喜んでいることでしょう。
寒い中、遠い場所からありがたいことです。
ほんとうにごくろうさまでした。

 さらにありがたいことに、山形県にお住いのcake様という方がこのイベントに参加され、自らのブログ「無題・休題-ハバネロ風味-」において、当日の様子を写真付きでリポートしていただき、写真の転載も快くご許可いただいた。ご厚意がありがたかった。




 遠く離れた人々と心がつながった気がして、一生忘れられない思い出となった。
 なお、この出来事は鹿本農業高校郷土芸能伝承部の皆様にも手紙でお伝えし、感謝のお返事をいただいた。

お地蔵さん巡り

2025-03-10 19:17:20 | 
 今年二度目の風邪も治まって来たので今日は京町台を歩いた。今日の趣向は「お地蔵さん巡り」。

 最初はわが家に最も近い中坂の登り口にあるこのお地蔵さん。かつてはこの地に民謡「ポンポコニャ」にも唄われた金剛寺(現在は新屋敷1丁目)があった。この石仏、いつ誰がここに安置したのか誰も知らない。金剛寺といえば中将姫を祀った寺として知られる。僕はこのお地蔵さんは、かつてこの地に祀られていた中将姫の身代わりではないかと思って手を合わせている。



 次は中坂中腹の浄土宗専念寺の山門脇に鎮座するお地蔵さん。専念寺は、江戸前期の細川綱利公時代の「京町之絵図」に見えるので相当古いお寺であることは間違いない。お地蔵さんの台座に「天保」の文字が見えており江戸後期に彫られたものか。ただ、京町の古手の住民で、昔は中坂頂上辺りにお地蔵さんがあったという方がおられるので、ひょっとしたらここへ移って来られたのかもしれない。



 今日の最後は、宇土小路が京陵中学校前を通る県道に突き当たる角に鎮座する二尊のお地蔵さん。それぞれ、弘化と天明の文字が彫られており、50年ほどの時差があるようだ。かつて宇土小路の中間にあり、民家建設のため撤去を余儀なくされた二尊がここへ移されたものかもしれない。今度、近くの住民の方に確認しておこう。



 お地蔵さんが登場する歌といえば、美空ひばりさんの「花笠道中」がまず頭に浮かぶ。

熊本城本丸御殿の復旧計画

2025-03-08 19:16:54 | 熊本
 今朝の熊日新聞に熊本城本丸御殿の復旧計画についての記事が掲載された。
 熊本市の発表によると
  • 熊本地震で被災した熊本城本丸御殿について建物の一部を解体して復旧すること。
  • 御殿を支える石垣が部分的に沈下しており、積み直すために建物の一部を解体すること。
  • 2027年度に着工し、32年度の復旧完了を目指すこと。
という。
 熊本地震直後にも「昭君之間」の床が傾いたり、御殿を支える西側の石垣が沈み込んだというニュースが流れていたが、その後、具体的な復旧計画の情報がなかったので気になっていた。復旧完了まであと7年ほどあるが、それまでは何とか待てそうだ。


熊本地震前の本丸御殿(熊本市役所14階展望ロビーより)


加藤清正が豊臣秀頼を熊本城に迎え入れるために用意したという熊本城本丸御殿「昭君之間」


平成25年(2013)10月、「全国豊かな海づくり大会」へご臨席のため来熊された両陛下(現上皇様・上皇后様)は
28日に熊本城本丸御殿を視察されました。



本丸御殿大広間(手前から梅の間、桜の間、桐の間そして最奥部に見えるのが若松の間の障壁画)


2013.4.6 熊本城本丸御殿~春のくまもとお城まつり~より「本丸御殿」
演奏 Viento(吉川万里・竹口美紀)
舞踊 ザ・わらべ
囃子 中村花誠・中村弌誠

100年後に見た人は・・・

2025-03-07 19:34:50 | 音楽芸能
 Facebookの「思い出」をチェックしてみたら、2013年3月7日の日付で下の動画がリストされていた。この動画は別の日付で2回ほど使っているが、なぜこれが2013年3月7日の日付になっているのか不明。
 それはさておき、アメリカの旅行家、写真家であるバートン・ホームズが1920年代に日本を訪れ、撮影した若い芸妓たちの演奏と舞踊の映像である。つまり、おおよそ100年前の日本の民間芸能の記録ということができる。
 あらためてこの映像を見ながら、今まで、僕自身が撮ってきた映像は100年後(2125年頃)もYouTubeが残っているとすれば、どんな人たちがどんな見方をするのだろうと思うとちょっと怖くなった。


   ▼YouTubeにアップした映像の中から

熊本放送局の歴史

2025-03-06 19:35:56 | 歴史
 今年は放送が開始されて100年ということで、NHKアーカイブスでは「NHK放送100年史」と題したサイトを設け、放送の歴史を振り返っています。
 1925年(大正14年)3月22日、「ああ、あー、聴こえますか。ああ、あー、聴こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。……」という第一声が東京・芝浦より発せられ、放送の歴史が始まりました。
 その3年後の1928年(昭和3年)6月16日、九州で最初の放送局、熊本放送局(JOGK)が放送を開始しました。
 下に歴代の放送局の写真を掲載しましたが、僕の思い出は幼稚園の頃、現在、熊本市役所の駐車場ビルの辺りに初代の熊本放送局がありましたが、千葉城町の熊大附属幼稚園から先生や数名の園児たちと一緒に歩いて来て、スタジオで童謡を歌いました。当時はナマ放送でしたのでスタジオはピリピリした緊張感が漲っていたことを憶えています。この地にはJOGK(熊本放送局)放送発祥の地の記念碑が建てられています。


初代NHK熊本放送局(城見町 昭和3年6月~昭和38年3月)


熊本市役所裏・立駐の前にある初代放送局の跡碑


2代目NHK熊本放送局(千葉城町 昭和38年3月~平成29年6月)


3代目NHK熊本放送局(花畑町 平成29年6月~)

 熊本放送局が開局間もない昭和3年7月19日、柳川に帰郷していた北原白秋が招かれ、開局記念特別番組が放送されました。その時、白秋は荒尾の少女海達公子を伴っていました。文芸誌「赤い鳥」で童謡・自由詩の選者を務めていた白秋は、応募者の一人であった小学生の公子の詩才を高く評価していました。白秋は自分の愛弟子ということで連れて行ったのですが、それがきっかけとなり、2ヶ月後の9月24日、熊本放送局の番組「コドモの時間」に荒尾北尋常小学校の児童が出演。公子の談話「児童自由詩の作り方」が放送されました。
 
北原白秋と海達公子

五高記念館で来し方を思う

2025-03-05 18:54:06 | 
 先月27日、熊本大学黒髪キャンパスの五高記念館を訪れた。漱石関連の展示を見るためだったが、残念ながら五高記念館は臨時休館。ここを訪れたのは久しぶりだったので、しばらく煉瓦造り二階建ての校舎を眺めて過ごした。
 ここに来ると決まってある想いが湧いてくる。それは自分自身の来し方のこと。自分の進路を考え始めたのは中学に入って、同級生が進路の話をするのを聞くようになってからである。僕は両親が教職だったので、何となく将来は教職の道へ進むのだろうなぁと漠然と考えていた。おそらく両親もそれを望んでいただろう。その流れで行くと、多分、熊本高校に進学して熊本大学の教育学部を目指したのだろう。一方で、僕は中学入学と同時に水泳部に入っていたので高校でも続けたいという気持もあった。
 中学3年の時、ローマ五輪の水球に参加した中学の先輩、藤本重信さんが、日の丸を付けた白いブレザーを着て学校に挨拶に来られた。そのカッコよさに憧れたものだ。さらにその年熊本で行われた国体では高校水球の決勝で、済々黌が熱戦を繰り広げていて、その結果に熊本県の天皇杯獲得がかかっているという情報が授業中の教室に飛び込んできた。そんな出来事があって僕は済々黌に進んで水球をやりたいという気持が強くなってきた。担任の先生との進路面談でその気持ちを伝えると、先生には意外なことだったらしく、「君は熊髙に進んでご両親と同じ教職の道を目指すのかと思っていたよ」と言われた。さらに「しかし、僕は君の選択を支持するよ!」と付け加えられた。
 僕は結局、済々黌へ進んで水球部に入り、インターハイや国体で貴重な経験をした。大学もスポーツ推薦で入学し、そんな経歴が就職にもつながった。
 ひょっとしたら進学していたかもしれない熊本大学の五高記念館の煉瓦造りを眺めながら、中学3年時の判断が人生のターニングポイントになったことに思いを致すのである。 


熊本大学五高記念館

ひな祭り

2025-03-03 19:04:52 | 季節
 今日は「桃の節句=ひな祭り」の日です。もともと旧暦の3月3日の節句で、今年の暦では3月31日にあたるそうです。その頃は桃の花が咲く頃なので「桃の節句」となったわけです。今はまだ桃の花は咲いていませんが、3月31日には綺麗に咲いていると思われます。

 そこで、「ひな祭り」を詠んだ句を三句選んでみました。

   雛祭る節供になりて春の雪(正岡子規)
      まさに、今年は東日本がこんな状況になっています。
      風雅を感じますが、降雪地方の方はそんな悠長なことは言っていられないでしょう。

   或夜夢に雛娶りけり白い酒(夏目漱石)
      春の夜にうたた寝をして「雛」を娶る夢を見たのは飲んだ甘酒のせい?
      何やら怪しく幻想的な句。漱石熊本時代の一句。

   白酒の紐の如くにつがれけり(高浜虚子)
      つがれている白酒がまるで瓶から垂れている紐のようにみえるという
      虚子さん少しお酔いになりましたか、という感じの一句。


今はまだ咲いていないが、旧暦の3月3日(3月31日)にはきっと桃の花も咲いていることだろう。
(昨年の柿原桃畑の様子)

ふるさと遥か 民謡の旅(1)

2025-03-02 13:48:11 | 音楽芸能
 まだ今日のような通信手段がなかった時代、ある地方の民謡が海路、陸路を往来する人々によって遠く離れた地方に伝わる。そんな例は枚挙にいとまがないほどだが、いくつかの代表的な例をあげてみたい。今日はその第1回として「ハイヤ節」を取り上げてみた。

 天草の「牛深ハイヤ節」は全国ハイヤ系民謡の源流だといわれる。牛深は天然の良港として江戸時代から明治初期にかけて海道の要衝であり、行き交う廻船の船乗りたちが聞き覚えた唄や踊りを日本各地に伝えたといわれる。廻船の寄港地は全国何十箇所とあり、それぞれの港にも民謡はあったはずなのになぜか、「牛深ハイヤ節」が船乗りたちによって各地の港に伝えられたのは、各港での酒席において船乗りたちを高揚させるノリ(グルーブ感)が際立っていたからではないかと思われる。
 牛深を立ち、大坂を経由した廻船は北前船として瀬戸内海を通り、下関を回って日本海を北上した。最終的には北海道の松前に向ったが、津軽地方に入ると、鯵ヶ沢や青森、野辺地などの港へ寄港し、酒席で船乗りと港の女たちが入り混じって盛んに「ハイヤ節」を唄い踊った。そして「ハイヤ節」は、牛深から1600㌔も離れた津軽の風土に晒されながら「津軽あいや節」へと変化して行った。

立方 はつ喜月若・花童あやの・花童あかね・花童ゆりあ
地方 【 唄 】本條秀美・西村直子
   【三味線】本條秀美・本條秀紫・蒲原サヤ子・勇美智子
   【鳴 物】中村花誠と花と誠の会

    若手津軽三味線奏者として今注目されている駒田早代の「津軽あいや節」

梅は咲いたが…

2025-03-01 20:03:33 | 季節
 今日は2,3日前の寒さがウソのような暖かさ。朝から藤崎八旛宮に朔日詣りを済ませ、午後は、ほとんど外出できなくなった103歳の母を車に乗せ、見ごろを迎えた護国神社の梅園へ出かけた。妻と姉が同行してくれた。やわらかい日差しの下、母も久しぶりに外の空気を満喫してくれたようだ。
 今年の梅は紅白混じった花が特徴的。たしか昨年までは真っ白な花を咲かせていた梅の木にほのかにピンク色をにじませたような花を開いている。そんな木が何本も目についた。開花が一ヶ月も遅れたことや気候変動などの影響があるのだろうか。そうなると心配なのが次の「桜」のこと。今月下旬には桜の開花が始まるだろうが、今までと同じような美しい花を見ることができるだろうか。


紅白混じった梅の花


紅梅は今までどおり

      〽 梅