徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ブラタモリ伊勢路編・第一夜

2025-04-05 22:04:11 | テレビ
 ブラタモリ新シリーズが、タモリさん自身が言うように「何もなかったかのように」始まった。伊勢路編第一夜は、タモリが行きたいと願っていた自ら持っている広重の「桑名」の現地に立ち、感動する。その桑名で船着場に立つ鳥居の意味を知る。伝統の焼きハマグリに舌鼓を打った後、「日永の追分」(四日市)へ向かう。そこで見つけたタモリ大好物の三差路で東海道と分かれ、「神戸の見附」(鈴鹿)を目指す。神戸宿には門限があり、かつて大木戸があった痕跡を見つける。といった内容。やっぱり30分は短い。不満足感が残った。


タモリ念願の桑名を目指す


かつて伊勢湾が内陸へ入り込んでおり、熱田神宮から桑名へ「七里の渡し」で渡るのが東海道の正式ルートだった。


「日永の追分」の鳥居は、ここから東海道へ進む旅人が遥拝するため。


江戸時代、年間500万人もの人が伊勢を目指したこともある。お伊勢参りは庶民の夢。

「伊勢に行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」と唄う「伊勢音頭」

桜春想

2025-04-04 21:06:31 | 季節
 今日は快晴で温暖、風もなく、折しも桜は満開、この春最高の花見日和となった。今日が一年のうちで最も彩り華やかな日になりそうな気がして熊本城へ向かった。


新堀橋から金峰山を望む。熊本城三の丸北面の桜並木が美しい。


監物台側から大小天守を望む。老樹の伐採でかつての桜の賑わいこそないが、次の世代に期待しよう。


護国神社前の桜。スマホで桜の撮影に興じる人たち。


一昨日、まだ1週間以上先だろうと思っていた三の丸の御衣黄桜がほころび始めた。

熊本城には「桜の馬場」や「桜橋」そして城下に「桜町」など、歴史的に桜とのゆかりを感じさせる。
2016.3.21 益城町文化会館
 筝:蓑田由美子
尺八:佐藤翔山
小鼓:中村花誠
大鼓:今村孝明
舞踊:花童&はつ喜

大浜外嶋住吉神社年紀祭が15年ぶりに!

2025-04-03 21:26:09 | 歴史
 5年前、母のふる里である玉名市大浜町に伝わる10年に一度の祭り「外嶋住吉神社年紀祭」が、新型コロナウイルス禍で延期された。そして5年経った来月、15年ぶりに開かれる。
 外嶋住吉神社は、延久元年(1069)創建といわれ、航海を守護する三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)に阿蘇の健磐龍命を合せ祀り、約千年の間、大浜町の産土神として人々の尊崇を集めてきた。
 この神社の年紀祭は、五穀豊穣のほか、年貢米や農産物を大坂へ運ぶ船の航海安全と豊漁を祈願するためのものといわれる。江戸時代中後期、大浜町は大坂へ肥後米を積みだす高瀬港の外港として栄えた。往時の繁栄をしのばせる大規模な祭りで、玉名市重要無形民俗文化財に指定され、また菊池川流域日本遺産の構成文化財にもなっている。




御衣黄桜はまだか!

2025-04-02 18:31:28 | 季節
 昨年の今頃は、熊本城三の丸漆畑の「御衣黄(ぎょいこう)桜」が咲き始めていたので、様子を見に行ってみたが、今年はまだまだあと1週間以上先と思われる状態だった。「萌黄(もえぎ)」と呼ばれる御衣黄の色合いはいつ見ても爽やかで心が洗われる思いがする。開花が待ち遠しい。


昨年、咲き始めの頃の「御衣黄桜」

 御衣黄の名前の由来は、平安時代の貴族の着物の色「萌黄(もえぎ)」に似ているからだという。「萌黄」を辞書で調べると「襲 (かさね) の色目の名」とある。十二単(じゅうにひとえ)の構成は、「唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ) ・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)・長袴(ながばかま)・裳(も)からなる」といい、そのうち「表着」に「萌黄」色を使うという。


紫色の唐衣の下に萌黄色の表着が見える。(2023年5月の代継宮「曲水の宴」より)

水汲む女

2025-04-01 20:51:37 | 文芸
 今日は中央区土木センターへ家の前の道路補修の申請に行った。場所が蓮台寺なので、久しぶりに蓮台寺に立ち寄って檜垣の塔に参拝した。この蓮台寺は、平安時代の閨秀歌人・檜垣が白川のほとりに草庵を結んだのが寺歴の始まりといい、別名「檜垣寺」とも呼ばれる。
 実はつい最近、大正・昭和時代の詩人・小説家である室生犀星の著書「狩衣」の中に、「大和物語 百二十六」を脚色した「檜垣の御」という章を見つけたこともあって蓮台寺に立ち寄ってみたかった。


檜垣の墓ともいわれる「檜垣の塔」


檜垣が閼伽の水を汲んで岩戸観音に日参し供えたという「檜垣の井戸」跡

◇大和物語 百二十六「水汲む女」
◇現代語訳
 筑紫の国にいたという檜垣の御(ご)という女性は、とても気の利く人で、風流に年月を重ねていた人だった。藤原純友の乱の巻き添えを食って、家も焼け、財産もすべて失って、惨めな生活に落ちぶれていた。
 そんな事情も知らず、追討のため京から下った小野好古(おののよしふる)が、彼女の家のあったあたりを訪ね、「檜垣の御という人に、どうすれば逢えるのだ。どこに住んでいるのだ」とおっしゃると、「このあたりに住んでいたのですが」と、お供も言った。
「あわれな、どのような騒ぎでこうなってしまったのか、尋ねたいものだ」とおっしゃると、白髪の老婆が水を汲んで、前を通り、みすぼらしい家に入って行った。ある人が、「この人が檜垣の御です」と言う。
 たいへん哀れに思った好古は彼女を呼ばせるが、恥じ入って出て来ず、ただこのように言った。
 むばたまの わが黒髪は 白川の みづはくむまで なにりけるかな
(ぬばたまと称えられるような わたしの真っ黒な髪の毛は白く変わり、今では九州は白川の水を汲むような姿に成り果ててしまいました)
と歌を詠んだので、好古はあわれに思い、着ていた衵(あこめ)を脱いで与えたのだった。


◇「水汲む女」を長唄舞踊化した「檜垣水汲みをどり」
2013年4月6日 熊本城本丸御殿  くまもとをどり2013
作詞・作曲: 杵屋六花登   作調:中村花誠
立方:城北高等学校ダンス部
地方:中村花誠と花と誠の会およびサポートメンバー

あの日のこと ~平成24年3月31日~

2025-03-31 21:34:56 | イベント
 毎年、3月31日を迎えると必ず思い出すことがある。それは「平成24年3月31日」のことである。この日はおそらく熊本城の歴史の中でも最も華やかで賑やかだった日かもしれない。
 それは1年前、九州新幹線全線開業を祝う予定だったイベントが、東日本大震災のためすべて中止となり、1年間思い沈んできた市民の喜びが爆発した日でもあったのだろう。当日のブログ記事でその様子を回想したい。

◇今日は一日 熊本さわぎ! ~ 城下町くまもと時代絵巻 ~(2012.3.31)
 熊本は昨夜の激しい雨も嘘のようにカラリと晴れ上がり、今日は1年待たされた「城下町くまもと時代絵巻」が行なわれた。俳優の藤岡弘さん扮する加藤清正公に率いられた甲冑武者隊が熊本駅で出陣の儀を行う頃、メインステージの熊本城二の丸広場では様々な熊本の伝統芸能を華やかに披露する「城下町くまもと踊り」が始まった。桜の花もちょうど見頃の熊本城周辺は一日中、時空を超えたエンタテイメントパークの様相を呈していた。


熊本城二の丸広場のメインステージは見物客でぎっしり


華やかな花魁道中が登場


山鹿灯籠踊り保存会による山鹿灯籠踊り(よへほ節)


明治・大正時代の熊本ゆかりの偉人たちも人力車で到着


葦北鉄砲隊の行軍


青の武者隊の行軍


赤の武者隊の行軍


加藤清正公に扮した藤岡弘さんの勇姿


ザ・わらべ が花娘姿で舞う

祇王寺祇女桜

2025-03-30 21:57:18 | 古典芸能
 昨年春、復旧工事閉鎖中で見ることができなかった監物台樹木園の「祇王寺祇女桜」の開花を今日見ることができた。実は、昨年10月、異常な暑さが続いたので季節を勘違いしたのか、3輪の花を開いているところを偶然目撃していた。そして今回は春本番、満開の花を咲かせてくれた。





 日本花の会の「桜図鑑」によれば、「桜守として名高い佐野藤右衛門が京都市右京区・嵯峨の中院に自生していたものを発見し、祇王寺の庭に移植したもので祇王の妹・祇女に因み佐野が名付けた。」とある。平清盛の寵愛を受けた姉の祇王がその後、暇を出され、母娘三人草庵で悲哀をかこつたという伝説がもとになっている。白拍子だったという祇王・祇女の姉妹がその名の由来である。白拍子の起源について「平家物語」には次のように書かれている。

―― そもそもわが朝に白拍子の始まりける事は、昔、鳥羽の院の御宇に、島の千歳、和歌の前、これら二人が舞ひ出だしたりけるなり。はじめは水干に立烏帽子、白鞘巻をさいて舞ひければ、男舞とぞ申しける。しかるを中頃より烏帽子刀をのけられて、水干ばかり用ゐたり。さてこそ白拍子とは名付けけれ。――

 祇王の物語のあらすじは「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」をご覧ください。

 下の舞踊は、島の千歳と和歌の前による白拍子舞を長唄舞踊化したもので、祇王・祇女の姉妹に見立てると一層味わい深いものがある。
花童あやの(左)と花童くるみ

夜桜見物 ~本妙寺・桜灯籠~

2025-03-29 20:44:53 | イベント
 今日は本妙寺の「桜灯籠(はなとうろう)」の日。ここ数日とは打って変わって寒が戻ってきた。
夜桜見物も防寒に万全を期す。寒さのせいか観客も例年より少な目のようだ。
 イベントの関係者によれば、桜馬場の桜並木も樹齢の老齢化が進んでおり、落枝防止のための枝落としや場合によっては伐採も行っているとのこと。かつての桜のトンネルのような風景が懐かしい。これは全国的な問題だとテレビ番組でも言っていた。熊本城なども老齢化した桜の伐採が進んでおり、すっかり寂しくなった。かつてのように桜花爛漫という風景が戻るのはいつの日。 


本妙寺仁王門下


桜馬場
   〽 夜桜
花童あかね・花童ゆりあ

ラフカディオ・ハーンと民俗芸能

2025-03-28 22:39:38 | 民俗芸能
 先々週、熊本城ホールで行われたNHK朝ドラ「ばけばけ」関連イベント「小泉八雲を変えたKUMAMOTO」を見に行ったが、昨夜その時の録画映像がNHK総合で放送された。さすがによくまとまっていてよい復習となった。
 ラフカディオ・ハーンは、民俗学的研究の中で、民族芸能も数多く収集しているが、今日はそれらの中で代表的な三つの芸能を掲載してみた。

♪ ライザ・ジェーン
 1876年、ハーンはアメリカのシンシナティでジャーナリストとして新聞記事を書いていたが、ミシシッピー川やその支流の港湾労働者が歌っていた「ライザ・ジェーン(Liza Jane)」を採集した。この歌は南北戦争前から南部の黒人奴隷たちが歌っていた一節のフォークソングだった。他にも多くのフォークソングを収集している。
ハリー・ベラフォンテとグロリア・リンのデュエット

♪ 因幡大黒舞
 明治24年(1891)の春、ラフカディオ・ハーンは、松江で最も信頼を寄せた西田千太郎とともに松江市南の「山の者」の部落を訪ねた時、「大黒舞」を見て、その民俗芸能としての価値を認識した。そしてその歌詞「俊德丸」「小栗判官」「八百屋お七」を採集し、「三つの俗謡」と題して発表している。
 「大黒舞」は室町時代から江戸時代にかけて旅芸人たちが大黒天の祝舞として各地を門付けして巡り、その名残が各地に民俗芸能として残っているといわれる。音源も映像も残っていないので音楽的に近いと思われる隣の因幡国の「因幡大黒舞」を添付してみた。
立方:花童みこと・花童あやか

♪ 銚子大漁節
 ハーン著「日本の古い歌(Old Japanese Songs)」の中には千葉県民謡の「銚子大漁節」の英訳が「SONG OF FISHERMAN」として紹介されている。しかし、ハーンは銚子を訪れた形跡はない。それではどうやって「銚子大漁節」を採集したのだろうかという疑問を銚子市観光商工課に問い合わせてみた。文化財担当者からの返事では、「ハーンが銚子に滞在した記録はない」というハーンの孫・小泉時氏の談話が残っているので間違いない。それではどうやって採集したかというと、明治33年にハーンが「日本の古い歌」に載せた大漁節は「十とせ」を欠いており、その2年前、明治31年に出版された大和田健樹著「日本歌謡類聚」に収録された大漁節も「十とせ」を欠いていることから、ハーンは「日本歌謡類聚」をもとに翻訳したのではないか、とのことだった。
立方:ザ・わらべ(くるみ・あやの)
地方:本條秀美社中/中村花誠と花と誠の会

本妙寺つれづれ

2025-03-27 16:59:42 | 季節
 昨日は花園公民館図書室へ行ったついでに本妙寺の桜開花状況を見に行った。
 明後日(29日)夕刻より桜の季節の恒例イベント「桜灯籠(はなとうろう)」が開催されるが、午後1時からはステージイベント「本妙寺さくら祭り」(夏目漱石来熊130周年プレイベント)も行われる予定。
 もうすっかり準備万端という感じの桜馬場を歩いていると、犬の散歩中、リードを離してしまい、逃げ出した犬を追いかけて若い女性が必死に走って行った。塔頭の一つ、妙心院の入口にあった「役者寺」の標柱が無くなっているのが気になった。

▼明後日(29日)の桜馬場はこんな風景が見られるだろう。


▼塔頭東光院のしだれ桜は満開までもうひと息といった感じ。


▼本妙寺大本堂前のしだれ桜はもう満開。