徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

あなたは 木村祐章 を知っていますか?

2015-08-19 19:19:39 | 文芸
 今年の山鹿灯籠まつりもつい先日終わったばかりだが、この祭りが全国区の祭りとなり、今日の隆盛を見るに至った裏に、「影のプロデューサー」の存在があったことはあまり知られていない。その人の名は「木村祐章」。戦後昭和に民俗学研究家として、放送作家としても活躍した人である。大正8年、山鹿の商家に生まれた木村は、昭和12年に鹿本中学を卒業後、東京の國學院大学に進学、ここで柳田國男と並ぶ日本民俗学の巨人であり、歌人でもあった折口信夫と運命的な出会いをする。折口を顧問とする「青衿派」(せいきんは)の同人となり、その編集にも携わり、終生折口を師と仰いだ。戦後、東京へ出ることを夢見ていたが、師折口の指示に従い、故郷山鹿に住みついて民俗学の研究に励んだ。昭和27年からはNHKの契約作家としてラジオ放送の脚本も書き始め、昭和40年、45歳の若さで世を去るまで民話の発掘、民俗芸能や民謡の振興、地元放送業界の発展等、熊本の地方文化に貢献した。
 僕がその存在を知ったのは、3年前に少女舞踊団ザ・わらべが踊る「愛の南十字星」を初めて見て、この曲の原作がラジオドラマ「ぬれわらじ」であることを知った時だ。このドラマの脚本を書いたのが木村祐章で、モチーフとなったのが「からゆきさん」の話だと知った。実はちょうどその頃、僕の父が書き遺した備忘録の中に「からゆきさん」の話があることに気付き、いろいろ資料を調べたりしていた。なんとかこのドラマの脚本を見たいと手を尽くしたが成果は得られなかった。ところが今年に入り、ダメもとで問い合わせた山鹿市教育委員会からご子息を紹介していただき、このほど埋もれていた脚本をご子息に探し出していただいた。この脚本についてはまた後日ご紹介したい。

 ちなみに、折口信夫の著書「さうや さかいに」の中に「木村祐章」の名前も登場するので、その部分をご紹介しておきたい。

「さうや さかいに」折口信夫
――前略――
 すかい すけん
敬語「す」は、敬語の古格によることが多く、敬語的発想を保つ地方の多い九州では、まだ失はれないでゐるものが沢山ある。たとへば、他の地方で、「行きなさるから」「お行きだから」「行かつしやるから」など、色々な言ひ方をする場合にも、「行かすけに」「行かすけん」と言ふのを聞くと、実際耳の洗はれた感じがする。
あしたから隊長さんにならすけん……  小説「散歩者」
これは、熊本山鹿地方の例であるが、九州は大体これで通じるやうである。作者木村祐章は、山鹿町の人で、山鹿であつたことのやうに書いた作品に「けん」「すけん」「すけんで」の類、幾十の使用例がある。けんはけに・からに(=から)で、基礎になつたものは、「から」(故)であり、「け」である。「あらつしやるから」「なさるから」に当るのが、「すけん」なので、まづすとけんは必しも密著してはゐない。其でも、九州方言の傾向として、敬語でなくてもよい所にも、又敬語を要せぬものにも使ふ所から、軽卑な待遇法が出来てゐる。
――後略――

▼木村は、山鹿灯籠祭りを民俗学的な側面から、単に灯籠奉納行事としてだけでなく、盆踊りの一形式としてプロデュースし復活させる役割を果した。また、NHK番組等を通じた山鹿灯籠踊りの全国への宣伝でも与って力があった。



▼木村祐章のラジオドラマ代表作「ぬれわらじ」より「愛の南十字星」
 原作:木村祐章 作曲:今藤珠美 作調:藤舎千穂