僕が熊大附属幼稚園に通ったのは戦後間もない昭和25・26年だった。朝の登園は幼稚園の職員だった母と一緒に、家から新坂を下り、内坪井を通って坪井川沿いに行く最短コースで登園した。しかし、帰りは基本的に一人だったので、その日の気分でコースを選んた。中でも一番楽しかった思い出が残るコースが下記の図(赤いライン)である。幼稚園児が一人でこんなコースを歩いて帰るなど、今の時代にはあまり考えられないが、随分と大様な時代だったのだろう。

熊大附属幼稚園(現城東町)を出ると千葉城橋を渡って旧国道3号線(現県道303号線)に出る。左折して厩橋のところまで下り、須戸口門から熊本城に入る(当時の熊本城は出入りフリー)。平御櫓から一気に十八間櫓を目指す。十八間櫓の前で左折して石段を登り、本丸の広場に出る。当時は大天守も小天守も、もちろん本丸御殿もなく、ただの広場だった。広場を西に向かって抜け、頬当御門を出て右折。唯一残っていた宇土櫓を右に見ながら進み、監物台を左折し、新堀橋へ向かう。新堀橋を渡ると、愛染院の前から加藤神社(当時は新堀町に鎮座)の脇道を通って加藤神社の中へ。さて、ここが道中の一番のお楽しみである。ちょうど今頃、梅雨の季節になると拝殿・本殿を囲む玉垣の根っこあたりに小さなカエルがいっぱい出てくる。これを捕まえてポケットに入れて帰るのである。ここで時間を費やした後は、神社の裏口を出て、裁判所の前を通り、中坂を横切って京町測候所の前へ。そして柳川小路を下って新坂へ出る。これがおおよそのコースだった。
熊本地震の前、幼稚園時代を想い出しながらこのコースを歩いてみたが、大人の足でも結構歩きがいのあるコースだった。もう一度歩いてみたいものだが、熊本城復旧工事が完了するまでにはあと30年近くかかるらしいのでもう無理かもしれない。

大小天守が復元される前の宇土櫓

熊大附属幼稚園(現城東町)を出ると千葉城橋を渡って旧国道3号線(現県道303号線)に出る。左折して厩橋のところまで下り、須戸口門から熊本城に入る(当時の熊本城は出入りフリー)。平御櫓から一気に十八間櫓を目指す。十八間櫓の前で左折して石段を登り、本丸の広場に出る。当時は大天守も小天守も、もちろん本丸御殿もなく、ただの広場だった。広場を西に向かって抜け、頬当御門を出て右折。唯一残っていた宇土櫓を右に見ながら進み、監物台を左折し、新堀橋へ向かう。新堀橋を渡ると、愛染院の前から加藤神社(当時は新堀町に鎮座)の脇道を通って加藤神社の中へ。さて、ここが道中の一番のお楽しみである。ちょうど今頃、梅雨の季節になると拝殿・本殿を囲む玉垣の根っこあたりに小さなカエルがいっぱい出てくる。これを捕まえてポケットに入れて帰るのである。ここで時間を費やした後は、神社の裏口を出て、裁判所の前を通り、中坂を横切って京町測候所の前へ。そして柳川小路を下って新坂へ出る。これがおおよそのコースだった。
熊本地震の前、幼稚園時代を想い出しながらこのコースを歩いてみたが、大人の足でも結構歩きがいのあるコースだった。もう一度歩いてみたいものだが、熊本城復旧工事が完了するまでにはあと30年近くかかるらしいのでもう無理かもしれない。

大小天守が復元される前の宇土櫓