徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

黒鍬衆とあらしこ

2024-03-19 21:09:19 | 熊本
 日頃ブログを通じてご好誼を賜っている「津々堂のたわごと日録」さんが昨日「黒鍬衆は隠密にては非ず」という記事を掲載された。黒鍬衆と言うのは戦国時代から江戸時代にかけて、専ら土木などの力仕事や汚れ仕事などで武士をサポートしていた軽輩のことだそうである。熊本にもそんな黒鍬衆が住んでいた「黒鍬町」という町があった(下地図参照)。現在は「黒鍬通り」という通り名だけが残っている。
 僕の祖母の生家はこの「黒鍬町」のとなり街で「一番被分(わかされ)町」といった(下地図の赤い点線の辺り)。生前、祖母の口から「黒鍬町」という言葉を何度か聞いたことを憶えている。津々堂さんの記事で「黒鍬町」という町名の由来を初めて知った。
 祖母が嫁いだ先が立田山麓の黒髪村下立田、泰勝寺の隣接地である。わが父が幼い頃、この泰勝寺に住んでいた長岡氏(細川刑部家の一つ)の邸へ、若様の友達として日参していたことは何度もこのブログに書いたが、長岡家には「あらしこ(荒子)」と呼ばれる使用人がいたことが父の備忘録に書かれている。「あらしこ」とは武家の邸で主に力仕事を受け持つ下男のことで、ちょうど「黒鍬衆」の個人版とも言えそうだが、父の記憶では幼い令息や令嬢の見守り役も務めていたらしい。若様と一緒に柿ちぎりをしていて、木登り上手の父が高い木に登っていたところ、巡回して来た「あらしこ」に咎められ、すごすごと降りて来た逸話を父がよく話していたものだ。




白川公園脇の電信柱に残る「被分町」の名残り


3号線から上通へ通じる通り名の一つ「黒鍬通り」


「黒鍬通り」の電信柱に残る「黒鍬町」の名残り


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2 コメント

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Unknown (tkgmzt2902)
2024-03-20 09:48:33
黒鍬衆、とても気になるキーワードですね。
穴太衆のように、小説になることを期待しています。
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Re:tkgmzt2902様 (FUSA)
2024-03-20 10:33:02
「秀吉の一夜城」なんて言いますが、つまりは黒鍬衆などが頑張ったということですね!
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