NHK-BS「英雄たちの選択」は「島々の歴史を探る旅シリーズ」第一回の今夜は八丈島。関ヶ原の戦いに敗れた宇喜多秀家が徳川家康により島流しにされてから流刑地になった八丈島。江戸時代におよそ1,900人が八丈島へ流刑になったという。流人たちは島でどんな人生を歩んだのか。最初の流人・宇喜多秀家と最後の流人・近藤富蔵の生き様を通して、流刑の実像と八丈島の歴史を検証していた。
僕が八丈島に行ったのは36年ほど前の東京勤務の頃に一度きり。会社の水泳仲間とダイビングをするのが目的、往復飛行機で一泊二日の旅だった。日中はほとんど海の中でろくに観光もしていない。したがってそんな八丈島の歴史を知る由もなかった。
八丈島はその昔、「女護ヶ島」ともいわれ、美しい女性ばかりが住み、男性が足を踏み入れると二度と島を出られないという伝説も残っている。八丈島の代表的民謡に「八丈ショメ節」(東京都無形民俗文化財)という唄がある。盆踊りや宴会などで即興で歌われた唄で、何百という歌詞があるというが、多くの島ことばが使われていて、その中に「めならべ」という島言葉がある。「女童」あるいは「美並」とも書いて若い娘のことだそうだ。前述の流人・近藤富蔵が書き残した「八丈実記」には「めならべ」とは「美並」と書くという一節もある。
▼ショメの由来
「ショメ」という囃子ことばの語源は「塩梅」、「潮目」、「処女」、「所望」など諸説あるらしい。
森田曠平 「八丈のめならべ達」
2014年10月25日 熊本城本丸御殿「秋夜の宴」
【立方】花童くるみ・花童文乃
【地方】唄と三味線:本條秀美と本條秀美社中 鳴物:中村花誠と花と誠の会
【立方】花童くるみ・花童文乃
【地方】唄と三味線:本條秀美と本條秀美社中 鳴物:中村花誠と花と誠の会