徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

第57回出水神社 薪能 番組

2016-07-16 15:19:14 | イベント
 今年の出水神社薪能は「田村」だそうだ。3年前に熊本県立劇場で行われた「金春流若楠会鑑賞能」以来、「田村」は二度目の鑑賞となる。
 この「田村」は今年、十七回忌を迎えた僕の父の想い出の演目。と言っても父は「田村」を観たことはない。父がまだ4、5歳の頃、泰勝寺の長岡家にお坊っちゃまの遊び相手として伺候していたが、お坊っちゃまの謡曲のお稽古に付き合わされていたらしく、数ある曲目の中でも「田村」の「一度放せば千の矢先・・・」という一節は終生忘れなかった。

 「田村」は征夷大将軍、坂上田村麿を主人公としたもので、そのあらすじは次のとおり。

 東国の僧が都に上り、春のある日、清水寺を訪れました。そこで箒を持った少年と出会い、聞けば、地主権現に仕える者であると応えます。清水寺の来歴を尋ねる僧に、少年は、坂上田村麿[田村丸]が建立した謂れを語りました。また問われるまま、少年が近隣の名所を挙げるうちに日は暮れ、やがて月が花に照り映える春の宵を迎えます。少年と僧は「春宵一刻値千金」の詩文を共に口ずさみ、清水寺の桜を楽しみます。少年は折からの景色を讃えながら舞いを添え、田村麿ゆかりの田村堂という建物に入っていきました。
残された僧の前に清水寺門前の者が現れて、清水寺の縁起を語り、少年は田村麿の化身だろうと述べ、回向を勧めます。夜半、僧が法華経を読誦していると、武者姿の田村麿の霊が現れます。田村麿はかつて、鈴鹿山の朝敵を討ち、国土を安全にせよ、との宣旨を受けて、軍勢を率いて観音に参り、願をかけたことを語ります。その後、見事に賊を討ち果たした有様を見せて、これも観音の仏力によるものだと述べて、物語を終えます。(「the能ドットコム」より)

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英雄の選択 「加藤清正・熊本築城~秘められた関ヶ原逆転の戦略~」

2016-07-15 19:18:15 | 歴史
 昨夜の「英雄の選択」(NHK・BSプレミアム)は加藤清正公と熊本城がテーマ。巨大な熊本城築城に秘めた清正公の戦略を読み解いていた。僕は、これまで関ヶ原の際の清正公の立ち位置がいま一つ釈然としなかったのだが、この番組の出演者たちの考え方を聞いて腑に落ちる思いがした。

 番組の最後に、熊本地震からの復興を目指す熊本へ、出演者たちのメッセージが送られたが、中でも印象深かったのは、歴史学者の加来耕三さんの「もし今、清正公が生きていたら、緋毛氈を掛けた大石をみんなに引かせただろう」という話だ。これは、慶長15年(1610)、名古屋城築城で大小天守閣の石垣工事を受け持った清正公は、巨石を修羅(木製の大型そり)に乗せて運ぶ時、自ら石の上に乗り、木遣り音頭を唄って気勢を上げたという故事のこと。この石引きには5、6千人の老若男女が華美な衣装に身を飾り、唄に合わせて綱を引いたという。参加者は食い放題、飲み放題というので、われもわれもと綱にとり付き、手拍子合わせて浮かれながらの一大イベントとなり、熱田から名古屋まで巨石をあっと言う間に運んだという。
 熊本城復興に当たっては一般市民も参画できるような、清正公的な発想が必要なのかもしれない。


司会の渡邊佐和子アナと磯田道史さん


コメンテーターの千田嘉博、中野信子、山田貴司、加来耕三の皆さん


▼加藤清正石引の図(尾張名所図会より)


 この石引で唄われた木遣音頭は、伊勢神宮の御神木を送り出すときの木遣音頭として歌い継がれ、江戸時代、数次のお伊勢詣りブームに乗って、伊勢音頭として日本全国に広まった。

▼伊勢音頭

「民謡魂 ふるさとの唄」(大分県臼杵市) 演目

2016-07-14 19:04:19 | テレビ
 8月6日(土)15:05~ 放送
     NHK総合「民謡魂 ふるさとの唄」(大分県臼杵市) の演目がアナウンスされました。


「鶴崎踊り(猿丸太夫~左衛門)(大分県)」
(唄)高橋キヨ子、(唄)田中祥子、(唄)江島ちあき、(唄)剣持雄介、(唄)力武杏奈、(三味線)本條秀太郎、(胡弓)本條秀五郎、(尺八)竹井誠、(笛)西川浩平、(鳴物)鼓友緑美代、(鳴物)中村花誠、(はやし詞)新津幸子、(はやし詞)新津美恵子

▼写真クリック → 動画再生
(撮影:栗田弘一さん)

「おてもやん(熊本県)」
(唄)田中祥子、(三味線)本條秀太郎、(三味線)本條秀五郎、(尺八)竹井誠、(笛)西川浩平、(鳴物)鼓友緑美代、(鳴物)中村花誠

「久住高原の唄(大分県)」
(唄)力武杏奈、(三味線)本條秀太郎、(胡弓)本條秀五郎、(箏)佐藤亜美

「宇目の唄げんか(大分県)」
(唄)江島ちあき、(三味線)本條秀太郎、(三味線)本條秀五郎、(箏)佐藤亜美、(尺八)竹井誠、(笛)西川浩平、(鳴物)鼓友緑美代、(鳴物)中村花誠、(はやし詞)新津幸子、(はやし詞)新津美恵子

「豊後風景(吉四六音頭)(大分県)」
(唄)高橋キヨ子、(三味線)本條秀太郎、(三味線)本條秀五郎、(箏)佐藤亜美、(尺八)竹井誠、(笛)西川浩平、(鳴物)鼓友緑美代、(鳴物)中村花誠、(はやし詞)新津幸子、(はやし詞)新津美恵子

「姫島の盆踊り(大分県)」
(唄・演奏)姫島北浦地区キツネ踊り保存会

「関の鯛釣り唄(大分県)」
(唄)剣持雄介、(三味線)本條秀太郎、(三味線)本條秀五郎、(尺八)竹井誠、(笛)西川浩平、(鳴物)鼓友緑美代、(鳴物)中村花誠、(はやし詞)新津幸子、(はやし詞)新津美恵子

「牛深ハイヤ節(熊本県)」
(唄)高橋キヨ子、(唄)田中祥子、(唄)江島ちあき、(唄)剣持雄介、(唄)力武杏奈、(三味線)本條秀太郎、(胡弓)本條秀五郎、(尺八)竹井誠、(笛)西川浩平、(鳴物)鼓友緑美代、(鳴物)中村花誠、(はやし詞)新津幸子、(はやし詞)新津美恵子

クレイジーだよ! ザ・ピーナッツ

2016-07-12 16:17:39 | 音楽芸能
 大学生の頃、正月に熊本に帰省し、1週間ほど過ごして再び上京すると、必ず有楽町の日劇でクレイジー・キャッツとザ・ピーナッツの正月公演を見てから寮に帰るのが楽しみだった。当時は観客の入れ替えはなかったので2ステージ続けて見たものだ。
 当時の公演のプログラムがどんなものだったのか忘れてしまっていたが、ザ・ピーナッツのファンサイト「INFANT LAND」さんに詳細な記録が残っていた。下に昭和41年(1966)のプログラムを転記させていただいたが、演目ひとつひとつをつぶさに見ていくと、当時の舞台の様子がまざまざと甦ってくる。

◆哀悼の意を表します
伊藤ユミさん 2016年5月18日(満75歳没)
伊藤エミさん 2012年6月15日(満71歳没)




▼今年もクレイジーだよ! ザ・ピーナッツ(日劇)
    昭和41年1月7日~14日


第一景 寿・八木節囃子
♪八木節ーーーーーー(ザ・ピーナッツ)
○恒例 クレージーの新年ご挨拶
          (クレージー・キャッツ)

第二景 新春・歌うザ・ピーナッツ
♪悲しき願い
    (ザ・ピーナッツ)
    (クレージー・キャッツ)
♪夜霧のしのび逢い(ザ・ピーナッツ)
♪キャラバン   (ザ・ピーナッツ)

第三景 クレージーの昨年のヒット・パレード
♪愛しちゃったのよ
♪さよならはダンスの後で
♪柔
♪涙くんさよなら
♪女心の唄
♪夢みるシャンソン人形
♪帰ろかな
♪赤来の子守唄
♪赤坂の夜は更けて
♪エレキー
     クレージー・キャッツ
     木の実ナナ
     ザ・ピーナッツ

第四景 新春・ナナの謡い初め
♪ギッチラ舟唄 (木の実 ナナ)

第五景 シンデレラものがたり
シンデレラ姫Aーーー伊藤エミ
シンデレラ姫Bーーー伊藤ユミ
その継母ーーーーーーハナ肇
意地悪な姉妹Aーーー植木等
意地悪な姉妹Bーーー犬塚弘
妖婆ーーーーーーーー谷啓
王様ーーーーーーーー石橋エータロー
王子様ーーーーーーー桜井センリ
大臣ーーーーーーーー安田伸
家来ーーーーーーーーNDT
従卒--------NDT
舞踏会の男女----NDT

第六~七景
配役ーーーーーー第五景と同じ

第八景 チャチャチャ・フラメンコ
♪チャチャチャ・フラメンコ
(木の実 ナナ)

第九景 グラナダ
♪グラナダ    (ザ・ピーナッツ)
         (ギター:松宮庄一郎)

第十景 今年も無責任だよ
♪スキーツーーーーー(植木 等)

第十一景 クレージーコンサート・ホール
演奏:スカイ・ライナーズ/日劇オーケストラ

第十二景 新春ヒット・パレード
演奏:スカイ・ライナーズ
♪誠に遺憾に存じますーー(植木 等)
♪夢みるシャンソン人形ー(ザ・ピーナッツ)
♪明日になればーーーーー(ザ・ピーナッツ)
♪500マイルーーーーー(ザ・ピーナッツ)
♪大冒険マーチーーーーー(クレージー・キャッツ)
♪パブリック讃歌ーーーー(クレージー・キャッツ)
            (ザ・ピーナッツ)
            (木の実 ナナ)
♪フィナーレ      (全員、NDT)

永六輔さんのはなし。

2016-07-12 10:40:23 | 
■永六輔さんにインタビューを受けたはなし。
 昭和48年(1973)、RKK熊本放送が放送開始20周年の特別番組をやった。番組の企画として中継車が市内を回った。たまたまわが家の近くを中継車が通りかかり、生まれたばかりの長男を抱いて歩いていた家内がつかまった。そして、スペシャル・インタビュアーの永六輔さんが家内にマイクを向けた。永さんはギャグで、家内に抱かれた長男にもマイクを向けた。長男はひとこと「goo !」と言った。

■永六輔さんがタイヤ工場を見学して感動したはなし。
 昭和60年(1985)、僕は栃木県黒磯市(今の那須塩原市)にあるブリヂストン栃木工場に勤務していた。ある時、労組主催の講演会に永六輔さんが招かれた。講演会の前に永さんは、工場をくまなく見て回られた。講演会ではその感想も話題となった。永さんはなかでもタイヤ成型工程にいたく感動された。タイヤ成型とはゴム板や補強材などのタイヤの部品を組み上げる工程のことだ。職人的な手作業が残るこの工程を永さんは、「この近代的な機械が並ぶ工場に、職人のワザがいまなお残っていたことに感動した。ぜひこれをずっと残してほしい」とエールを送られた。

■永六輔さんと岩城宏之さんが仲がよくなかったはなし。
 その講演会が行われた当時、僕の直属上司だった方が指揮者の岩城宏之さんのお兄さん。永さんの工場見学をアテンドしたのもこの方だった。永さんにそのことを明かしたら、永さんは苦笑いしたという。というのは、その数年前、永さんと岩城宏之さんは政治行動を共にしていたが、意見が合わず袂を別っていたかららしい。

■永六輔さんの蕎麦の食べっぷりがすごかったはなし。
 永さんは、講演会が終わったら東京へとんぼ返りというタイトなスケジュールだったが、新幹線の駅まで永さんを送った僕の上司が、せめて地元の蕎麦でも食べて行ってほしいと駅にほど近い店に案内した。ところが、新幹線の時刻がどんどん迫って来る。とてもゆっくり食べる時間などない状況に僕の上司は焦った。しかし永さん、少しも慌てず、「大丈夫です!1分もあれば食べられますから」と。実際、永さんは出されたアツアツの汁蕎麦をあっという間にたいらげた。さすがはチャキチャキの江戸っ子。「蕎麦は噛むもんじゃねぇ!飲み込むもんだ!」とばかりの勢いに上司も感心することしきり。

享年83歳 合掌

俚奏楽のこと、佐藤亜美さんのこと、そして民謡魂のこと。

2016-07-11 10:42:19 | 音楽芸能
 時々、本條秀太郎さんのサイトをチェックしているのだが、活動予定に、下に貼付した「第11回俚奏楽演奏会」のポスターが掲載されていた。その中に「筝」の奏者として佐藤亜美さんの名前があった。佐藤亜美さんとは、5年前の「第17回くまもと全国邦楽コンクール」に優勝し、僕が邦楽にハマるきっかけとなったの奏者である。本條さんと佐藤さんというちょっと意外な組み合わせに、佐藤さんにメールでおたずねしてみた。すると、彼女が桐朋学園在学中にも、教鞭をとっておられた本條秀太郎さんの演奏会に出演していたとのこと。そして、つい先日も本條先生と一緒に大分でNHKの民謡番組を収録してきたのだという。中村花誠さんも一緒だったそうだ。その番組が下の「民謡魂 ふるさとの唄」。これも見逃せない。


2015年2月22日「邦楽新鋭展Vol.4」森都心プラザホールでの佐藤亜美さん


NHK総合「民謡魂 ふるさとの唄」(大分県臼杵市)

平成28年8月6日(土)15時05分~
司 会:城島茂(TOKIO)/塩屋紀克アナウンサー
出 演

( 唄 )高橋キヨ子、田中祥子、江島ちあき、剣持雄介、力武杏奈
(三味線)本條秀太郎、本條秀五郎 
( 箏 )佐藤亜美 
(尺 八)竹井誠
( 笛 )西川浩平
(鳴 物)鼓友緑美代、中村花誠
(囃し詞)新津幸子、新津美恵子
(ゲスト)劇団立見席
(ジャパニーズソウル)姫島村北浦地区キツネ踊り保存会



第11回俚奏楽演奏会 写真をクリック → 拡大



俚奏楽「雪の山中」 写真をクリック → 動画再生

地震の爪痕 偉人たちの墓にも!

2016-07-10 17:47:05 | 熊本
 地震で倒壊したわが家の墓は石屋さんに依頼済みだが、いまだ手つかず。今日、再び立田山へ現状を確認しに行く。周囲の他家の墓もほとんど手つかずの状態のままだった。これは相当気長に待たなければならないようだ。
 ついでに近くの立田自然公園(泰勝寺跡)と小峰墓地を見に行ってみた。立田自然公園は四つ御廟だけ無料で公開しているが、それ以外はまだ補修は行われておらず、再開は相当先のことだとのこと。ただ、石塔類がほとんど倒壊したのに対し、仰松軒(細川家茶室)などの建物類の被害は大きくなかったことが救いだ。
 次いで小峰墓地へ行く。全体的に被害が酷い。偉人の墓の区域も全滅状態。個別には次のとおりだが、地震は偉人もわれわれ庶民も区別はなかったと見える。


ラフカディオ・ハーンが愛した石仏(鼻欠け地蔵)は南を向いていたはずだが、なんと今は東を向いている。



三島由紀夫が心酔した神風連副隊長・加屋霽堅の墓も倒れたまま。



最近、改葬したばかりの長谷検校の墓は、仏石が消えている(後へ倒壊)。



勤王の志士・宮部鼎蔵の墓は倒壊してブルーシートが掛けられていた。



藩校時習館の初代教授・秋山玉山の墓も無残な状態。

2016 熊本県陸上競技選手権 兼 国体最終予選

2016-07-09 21:09:39 | スポーツ一般
 昨年7月以来、ちょうど1年ぶりの陸上観戦。地震後、使えなくなっていた県民総合運動公園の陸上競技場で見られるというのはやはり嬉しい。これも復興の一歩と言えるだろう。
 しかし、大会の内容的にはやや不満足な結果となった。男子100mにエントリーしていた末續慎吾選手は欠場したし、江里口匡史選手は元気な姿を見せてくれたものの、予選1本を走っただけで、準決勝は棄権した。また、女子の期待の若手、宮崎亜美香選手は準決勝で足に違和感があったらしくレース途中で棄権した。大事に至らなければよいが。そんな中、女子100m決勝の野林祐実選手と深川恵充選手のデッドヒートは見ごたえがあった。向かい風2.4mと厳しい条件で記録的には伸びなかったが、深川選手が100分の1秒差でかわした。
 1日観戦で、まるで海水浴にでも行ったかのような日焼けをしたが、やっぱり青空のもとでのスポーツは素晴らしい。


炎天下の競技となり、選手にとって過酷なコンディションとなった。


江里口匡史選手が久しぶりに元気な姿を見せた(ゼッケン2143)


野林祐実と深川恵充のデッドヒート




ラフカディオ・ハーン 「 青柳のはなし 」

2016-07-08 20:25:22 | 文芸
 熊本地震のせいで忘れられかけているが、今年は夏目漱石来熊120年の記念年。しかし、漱石の内坪井旧居も地震後、閉館されたままで、通るたびに寂しい思いをしている。
 そして今年は漱石よりも5年早く五高に赴任したラフカディオ・ハーン来熊125年でもある。今年の2月には、32年前にNHKでドラマ化されたハーン原作の「日本の面影」の脚本を書いた山田太一さんの講演会も行われた。
 5年前のハーン来熊120年の時の記念イベントでは「青柳のはなし」を題材にした「創作舞台 青柳」などが行なわれた。以前、このブログで「青柳のはなし」を紹介したが、今でもその記事がよく検索される。
 そこで、もう一度、内容を再編集して掲載することにした。


2011年10月27日 ハーン来熊120年記念イベント「創作舞台 青柳」






日本民謡フェスティバル2016

2016-07-07 20:27:12 | 音楽芸能
 今年は、毎年楽しみに見ていた「民謡田原坂全国大会」も開催されなかったし、「長谷検校記念くまもと全国邦楽コンクール」も熊本地震のため延期となり、まだ開催のめども立っていないようだ。

 そんな中、先日、東京のNHKホールで行われた「日本民謡フェスティバル2016」の放送日はいつなのか、ネットで調べていたが、やっと今日になって飯村充代さんという方のフェイスブックに放送日が掲載されているのを見つけた。この方も出演者の一人で栃木県在住の方とわかった。このフェスティバルは全国各地で行われる民謡コンクールで優勝した実力者を集めて行われる大会。きっと飯村さんもいろんなコンクールで優秀な成績を収めてきた方なのだろう。事務局のサイトで出演者リストを確認してみると、曲目が「那須松坂」という、僕にとってはとても懐かしい那須板室温泉辺りの民謡らしい。思い切って飯村さんにフェイスブックの友達リクエストを送ってみた。ありがたいことにすぐにご承認いただいた。放送日が一層楽しみになってきた。

 この大会の出場者で、僕が唯一、名前を存じあげているのは「おてもやんコンクール全国大会」優勝者の梅元遥香さん。福島竹峰先生の秘蔵っ子で、彼女がまだ中学生の頃から、いろんなイベントで唄っている姿を見ていた。いずれ熊本を代表する民謡歌手になるにちがいない若手のホープだ。

▼日本民謡フェスティバル2016 放送日
【NHK総合テレビ】8月28日(日) 15時5分〜16時34分
【NHK-FMラジオ】8月7日(日) 16時〜17時30分


2009年10月12日 熊本城竹の丸 くまもと秋のお城まつりで歌う梅元遥香さん

3年前の今日は・・・

2016-07-06 20:17:00 | 音楽芸能
 フェイスブックのノスタルジー機能で、3年前の今日の記事がピックアップされていました。2013年7月6日、山鹿温泉さくら湯の池の間で行われたさくら湯再建開業を祝う新曲発表会の記事でした。この新曲は舞踊団花童の中村花誠理事長が企画し、本條秀美さんが作詞作曲した「山鹿湯の町」という曲です。
 あれからもう3年経ったかと、時の流れの早さに驚きながら、当日の演目の中から今日は、「よへほ節」と「銚子大漁節」の2曲を選んで再アップしてみました。特典映像も入れてみましたのでぜひご覧ください。








「かくれ里」 真夏の風景

2016-07-05 19:28:59 | 熊本
 今日はお中元を持って玉名の親戚筋を回ったので、帰りは河内から山越えすることにした。僕の大好きな岩戸の里が地震の被害がなかったかどうかを確認したいということもあった。今日見た限り、建物や石仏石像類などが倒壊したような形跡もなく、被害は比較的小さかったようで安心した。かくれ里は真夏の太陽が照りつけていた。


ギラギラと照りつける太陽のもと、いつもと変わらぬ静謐な里のたたずまい


檜垣の嫗が草庵を結んだ山下庵跡の野仏もよくぞご無事で


みかん畑越しに金峰山を望む


有明の海の彼方に雲仙岳が霞んで見える


歌枕「鼓ヶ滝」は今日も鼕々と流れ落ちる

墓石と家紋

2016-07-04 18:54:05 | ファミリー
 地震で滅茶苦茶に壊れたわが家の墓を改修しなければならないが、一番肝心な仏石が倒れて割れてしまったので、この際、地震でも倒れにくいといわれる洋型墓石に変えようかと思う。
 35年前の昭和56年に父が改葬した時、仏石の下の台座に初めてわが家の家紋が刻まれた。それは「右三つ巴」と呼ばれる紋だった。しかし、8年前に甥の結婚式で上京した際、東京在住の従弟が、実はもともとのわが家の家紋はこれだと、印刷物を見せられたのが「軍配唐団扇」と呼ばれる紋だった。由来などを調べたのだが、確認できる史料が見つからない。本当にそうなのだろうかと半信半疑だった。
 先日、母が押入れから古い新聞紙にくるんだ筆箱を取り出してきた。祖母が生前ずっと大事に保管していたもので、細川家に仕えて書道師範をやっていた曽祖父が使っていたものだという。細川九曜紋の下にわが家の姓が書いてあり、その下に小さな紙片が貼ってあった。何だろうと思って目を凝らすと、なんとそれは「軍配唐団扇」の家紋だった。16年前に父が亡くなって以降、おそらくこの筆箱を開けたことはないと思われるので、随分昔から貼ってあったのだろう。父が貼ったのか、それとも祖父が貼ったのかわからないが、おそらくこれがわが家の本当の家紋だということを子々孫々に伝えたいと思っていたのかもしれない。
 これを見て、今度の新しい墓石には「右三つ巴」ではなく「軍配唐団扇」を刻んでもらおうと思っている。






右三つ巴 と 軍配唐団扇
          

水前寺成趣園の能・狂言

2016-07-03 18:04:47 | 音楽芸能
 4月16日の熊本地震本震直後、水前寺成趣園の池の水は枯渇しましたが、その後徐々に水位が上がり、現在は8割ほどまで回復した状態だそうです。
 その成趣園で楽しみな能・狂言の公演が二つ。

▼熊本支援狂言「万作・萬斎の会」





▼出水神社薪能

日 時 8月6日(土)午後6時開演
場 所 水前寺成趣園・能楽殿

    ※観能無料(入園料のみ要)